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115、業

 食んだアノンの口内で、匙が傾き、具が舌にのせられた。口から抜かれようとしてた匙を、アノンはカチッと噛んだ。

 匙の動きに合わせて、ライオットの手がピタリと止まる。


 アノンは、ライオットの碧眼に映る世界を覗き見る。


 生来の有り余る魔力に、魔物の核を補充し続けてきたアノンは化け物である。武器であり、化け物だとアノンは自分をとらえている。

 なのにライオットの目には、自分が人間と映っている。恐れることなく、疑うことなく、彼は迷いもせず、アノンを人間だと言った。


 アノンはライオットの内側に映されている自身の姿が本当に人間であるのか知りたかった。


 ライオットにとってアノンは年下の子である。男の子か、女の子かと言われたら、今は分からない。彼は彼女になり、彼であれば被っていられた仮面をはぎとられた。


 素を晒せば、その使命感、正義感とも呼べる強者の矜持を胸に秘めた子どもだった。

 

 強く、正しくあろうとする痛々しい子ども。


 ライオットには、アノンはそんな風に見えていた。


 ライオットは無理に匙を引こうともせず、穏やかな目でアノンを眺める。アノンのするに任せて、空で匙を持つ手の動きを止めていた。


 アノンは歯の力を抜く。

 ライオットは匙をアノンの口からするっと引き抜いた。


「サラの料理は、美味いよな」


 口内に残った具をアノンは無表情で咀嚼する。

 ライオットは微笑を浮かべて、手にしたお椀に匙を戻し、アノンに柔和な視線を向けた。

 ずぶ濡れの捨てられて子猫を拾って、初めてミルクを飲ますことができたかのような心境だった。

 

 アノンがのみ込んだことを確認し、もう一度、ライオットが具をのせた匙を差し出す。


 今度はアノンが少し前に出て、舌先で匙を口内に誘い入れた。ころんと具が転がって、ライオットは丁寧に匙を引き抜く。アノンは黙って食べている。ライオットはそれでいいと思った。


「ライオット」

「どうした」


 咀嚼し終えたアノンに名を呼ばれ、お椀の具を匙で拾いながらライオットは答える。


「僕の魔力は、人を殺せる」

「そうだな」


 匙を差し出せば、アノンは自らそれを食べる。

 アノンが唇に残った具の汁を親指でぬぐって、舐めた。


「人を殺したくないんだ。目の前で、誰も死んでほしくない」

「誰だって、そう思うだろ」


 ぐるりと一周、匙を回して、お椀の中心に具を集める。


「俺だって同じだ。だから、フェルノのことを俺たちは何もしないで取り巻いていたんだろう」


 本気でもないくせにフェルノを暗殺しろと命じ、放置する。表向き、護衛らしいことをしていれば、何も言われない。互いに干渉することもなく、権威を振りかざすこともしない。

 二年間、安穏としていたとも言える。


 ライオットは顔をあげた。もう一口食べれるか、と目で問うと、アノンは首を振った。


「魔法術協会は僕にフェルノを殺す気が起きるわけがないことを分かっていた」

「その性格なら、な。会長も父親なら当然じゃないか」


 ライオットはただ淡々と答える。

 アノンは軽くうつむいて、口元を引き結んでから、もう一度顔をあげた。


「僕は、まだ年端もいかない子どもの頃に、人を殺しかけた」


 ライオットは驚かない。そうだろうな、ぐらいの気持ちしか動かなかった。あれだけの魔力をもって、何事もなく順調にいくわけがない。


 騎士の訓練でも事故はある。魔術具の暴発。魔術具を通した魔力の誤操作。事故を最小限に抑えるように配慮しても、年に数人は怪我人がでるものだ。


「騎士だって、武器を使う。事故は起こるよ」

「そういう大人の不注意の事故じゃない」

 アノンは手を見つめた。魔力が宿る体を意識する。


「長く、僕は、自分の魔力量と、幼少期の体の小ささが事故の原因だと思ってきた。今回の旅で、僕はそれが違うと知ったんだ」


 アノンは苦し気に目を細めた。眉間にしわを寄せ、身を屈めて、肩を震わす。


「あの事故は、幼少期の体に、人工的な負荷をかけられた結果、僕の体が……耐えきれなかった。そういう事故だったんだ」


 アノンの全身が悔しがっていた。

 

 ライオットはお椀を静かに股座に置いた。


 生まれながらに選ばれた人間の苦悩などライオットは分からない。天才であり、能力があれば、それだけで幸せになれる、認められると思う者は星の数ほどいる。アノンの苦悩など、味わえるだけましだと言う人間もいるだろう。


 ライオットは平凡だ。その他大勢でしかない。なのに、天才の苦悩、選ばれた者の苦しみを見て、それを哀れとさえ思う。

 能力だけで、幸せになれるほど、人間は簡単ではない。


 選ばれた子どもであるアノンは、本人の希望など関係がない。生まれつき、なるべくして背負わされただけの子だ。


 そのなかで、必死で、真っ直ぐであろうとするから、痛々しい。


 たった一人の子どもに、そんなものを背負わせたのは誰なのだ。魔法術協会か、その会長か、始祖か、始祖の残した思想か、魔法を受け入れた二百数十年前の祖先か、魔神を封じるしかできなかった三百年前に生きていた名もなき人々か……誰が、アノンを犠牲にしたのか。ライオットには判断はできなかった。


「血の海だった。僕の魔力が、外に影響が出ないように、僕とともに、魔力で作った壁で囲ったなかにいることを選んだ」


 淡々と話すアノンの視線はサラの用意してくれた食事に向けられていた。


「僕は、子どもだから、すべてが終わって、正気に戻った時に……」


 小さく唇を噛んだ。


「リタは血の海の中で片腕と片足を失っていた。僕は死んだと思った。子どもだったから、確かめるすべもなくて、そうとしか思えなかった。

 僕の衣服は真っ赤で、血飛沫は頬にかかり、まつ毛も血に濡れて、髪にもべっとりと着いていた。視界が赤く濁っていた……」


 片手で、顔を覆った。


「今も何があって、何を起こしたのか、記憶がない。ただ、その最後の光景だけ、鮮明に覚えている」


 大きく頭を振った。髪が左右に激しくなびく。両目はきつく閉じられていた。


「ふざけているだろ。そんな僕に、魔法術協会は、会長は、父は……僕にフェルノを殺せって言うんだ」


 うつむくアノンの頭頂部しか、ライオットには見えない。


「忘れるもんか。忘れられないんだよ!」


 ばっとアノンは顔をあげる。泣きそうな顔が浮かぶ。


「あの時、僕が、感じたこととが、そのまま、僕にしみこんだままなんだ!!」


 見開かれた潤んだ双眸がライオットをとらえた時、ぼろぼろと雫が落ちた。



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