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エピソード2――外にいたナニカ――

 五月の終わり。

 俺と若下の交流は相変わらず続いていた。若下が苦手とする現国を教えたり、体育祭の準備をしたり、漸く平穏が戻ってきたかのように思えたこの頃。

 体育祭。うちの石坂高校は体育祭がメジャーであり、あのN●Kにも取り上げられたことがあるほどの規模である。応援をする応援団、フォークダンスをするマスゲーム、そして、俺と若下が所属してる、三メートル以上のマスコットを一から作るマスコットの三つに別れ、それぞれの役割を果たす。

 今年のマスコットはホワイトライオン。校舎の傍にて竹を割って、骨格を作って、木材で補強し、新聞紙をぺたぺた張り付け、最後に白いペンキを二階からぶっかけるだけの簡単なやり方だ。

 作業時間は放課後から九時まで。体育館に沿うように設置された三つの照明塔のおかげで、視界には困らないからだ。まさしくブラック企業の鑑。

 この日もとても遅く、時刻は夜八時を回ったころのことだった。体育祭まで、あと四日。作業は、あと一時間。校舎と体育館の間隔は広く、黒いコンクリートで塗り固められた地面。そこに、俺達の作品があった。

 

 「補強怠すぎですー。木材組み立てて、その後ウイーンとドライバーで動かないように固定する。……明日でよくないですか?」

 「あと四日なのに、三年生はやる気がないせいで一人分の仕事が拡大してる。それじゃ終わらないからな」

 「ま、受験ありますもんねー」

 「だろうな。別に責められることじゃない……あ、ちょっとここ押さえておいて」

 「了解です先輩! やっぱり先輩なんだかんだ僕のこと好きですよねぇ」

 ドライバーでネジをぶち込む。なんだかんだ言ってるが、若下は優秀な奴だ。俺が求めるアクションを先読みしてやってくれるため、おかげで体育祭準備はものすごく楽だった。


 終わる三十分前くらいのことだった。

 マスコットリーダーであり、唯一無二の親友、篠崎秀樹に頼まれたのは、四階にある貸出証明書を取りに行って来いという趣旨の物だった。

 貸出証明書は材料を借りたり使用するときに書かなければならない紙だ。なんでも使った機材の証明書をどこかで紛失してしまったらしく、急いで新しく書く必要があるらしい。紛失が露見するとルール違反としてそれを次の日から使わせてもらえなくなる。

 「そういうのはマスコットリーダーが行くべきじゃないのかな……」

 怠すぎる。校舎はすでに電気を落とされており、中に入るときは懐中電灯を常備しなければならない。

 「頼む! ほら、三田村には可愛い後輩がいるじゃないか。クッソ羨ましい奴だ何お前爆発しろや」

 「それ関係ないぞお前」

 「頼む次期会長殿! ホントに!」

 ちなみに俺は当時生徒会の会計を務めていた。

 断れない生粋の日本人の俺も俺だ。


 「先輩一人じゃ不安ですもんねー。なんて優しい後輩なんだろう、僕は」

 「できれば一人で行きたいよもんだな」

 頼んでいないのについてくるのは、やはり若下だった。相変わらずのニッコニコスマイル。

 「大丈夫ですか? おっぱいもみます?」

 「どっかで聞いたことあるぞ、それ」

 相変わらずのへらへらとした表情に、俺は無性にいらだった。

 俺の持つ懐中電灯の光が頼りなく揺れる。よりによってなんで最上階の四階なんだと悪態をつきたくなる。

 校舎に入ると、先ほどの雑然とした騒音が一気に離れ、まるで別世界のように閑散としている。

 「電気付かないのは本当にくそだよな」

 「都立高校はお金がないですから」

 俺の懐中電灯が階段を映し出す。

 「さっさと行こう」

 「先輩ビビってるんですかぁ?」

 たいてい若下の語り口調は、残酷なまでにのんびりしている。

 「大丈夫ですよ、ここは学校です。先輩二年間もここにいるんですから、平気ですよ」

 「それは、そうだがな」

 正直、舐めていた。

 俺が知っている昼の高校と、目の前に広がる、闇に堕ちた校舎。

 ここまで違うのかと本気で驚いた。今にも懐中電灯に何かが飛び出してくるのではないか、とありもしない妄想に駆られてしまうのは、小説家志望の性か、はたまたあのジジイの恐怖を引きづっているからか。

 光が、上に続く階段を照らし出す。駆け足になってしまうのは仕方がないだろう。遠くの方で緑色の避難マークだけがぼんやりと浮かび上がってるのが、何とも薄気味悪い。職員室も、電気はついているのだが、教員の姿はない。

 まるで異世界だなと俺は思った。

 四階に上がる。

 「先輩、紙どこにあるか分かってます?」

 「美術室の前だ。さっさと回収するよ」

 つい小走りになる。美術室は四階の最奥に位置している。扉はしっかりと施錠されており、その手前に机が出されていた。

 上には、貸出証明書の紙がうず高く置かれている。上から一枚とる。

 「よし」

 少しだけほっとする。あとは、引き返すだけだったから。

 「あ、すみません、先輩」

 今までだんまりだった彼女が口を開いたのは、そんな時だった。

 「なんだ」

 「教室に財布、置いてきちゃったんですよ」

 えへへと苦笑いするこいつ。俺は早く帰りたかっただけに、マジかよと相当落胆した。

 「先輩、一緒に行きましょう」

 「……お前なぁ」

 一年生の教室フロアはここ、四階。一組から六組まである。若下は四組だった。

 「今思い出したんです。いやー定期がないと私帰れないのでー」

 「一人で行って来いよ」

 「え! せっかくついてきてあげたのに」

 「誰も頼んでねーよ」

 こいつと一緒にいると、何かが起こる。先の件や、四月のこともあり、俺は全力で拒否したかったのだ。

 しかし。

 「いやマジでお願いします。僕にも一応恐怖心、あるんですよ」

 「……嘘だろ」

 「先輩一人で一階に降りるなら懐中電灯貸してください」

 そう、ライトは一つだけ。……後輩に渡して、真っ暗闇の中一人で降りる? どんな罰ゲームだよ。

 「……早く行くぞ」

 「それでこそ先輩ですねーいやーいい先輩を持てて僕感激ですよ」

 大げさに喜ぶ。彼女の爽やかな声音が、闇に融けていく。正直こいつを電灯無しで置いていくのは俺の良心がとがめる。一応生徒会だし。

 「お前何組だ?」

 「四組ですよ、先輩」

 今も断言できる。

 俺は本気で、こいつを置いて、たとえ懐中電灯を渡してでも校舎を後にするべきだった、と。


 細い廊下を通り、俺と若下は『1-4』というプレートがある教室の扉を開く。ガラガラといとも簡単に扉が開く。

 「開いてますね! よかったです」

 「お前の席どこだ? というか暗くて席分からないな……」

 「オカルトですね!」

 若下がくるりと振り返り、俺を見やる。ニコニコと、試すような笑顔。

 「……何が?」

 「せんぱーい、知らぬが仏、ですよ」

 「……ああそう」

 知りたくもない。いつもの習慣で扉を閉める。壁中にライトの黄色い楕円形の光がぐるぐると動く。

 「あれー僕の机どこですかー」

 先輩照らしてくださーいと能天気にほざく若下。そんな彼女を見ていると、少しだけ、不安感が腹の奥に沈殿する。

 何より、若下の言葉が、魚の小骨のように引っかかていた。

 オカルト?

 ……何がだ?

 入り口付近の机に座り、あ、机発見、と引き出しをガサゴソする彼女をしり目に、向かい側の窓を見やる。

 夜は更け切って、窓からは何も見えない。向こう側には体育館が見えるはずなのだが、もう完全に闇に沈んでいる。

 ……ん?

 瞬間、俺は違和感を覚える。それがいったい何のものなのかは分からない。……けど、何かが、おかしいと漠然とした確信だけがあったのだ。

 いずれにせよ、気分のいいものではない。

 机から立ち上がり、懐中電灯の明かりを頼りに、黒板側に歩く。ちょ、照らしてくださいよと後輩が不満をあげる。

 黒板側には教室の灯のスイッチがあるのだ。

 「暗いですよ先輩」

 黙殺し、俺はスイッチを見つける。見つけた瞬間、どうしようもなくほっとしたのを覚えている。すぐにボタンに手を伸ばし、カチリと押した。


 電気は、点かなかった。


 「……あれ?」

 カチカチと片切ボタンをいじくりまわす。電気はやはりつかない。

 「故障か?」

 「どうかしましたか?」

 いまだに探し中の若下が尋ねる。

 「お前、この教室、電気壊れてないよな」

 「点かないんですか?」

 若下がこちらを見る気配がする。

 「ああ……なんでだよ」

 「どうでもいいですから懐中電灯の光をこちらにやってくださいよ。見えないです!」

 じれったいかというように、若下の口調にわずかに棘が含まれる。

 「もう完全に外真っ暗なんですよ、先輩のライトだけが頼りなんです!」

 「ああ、悪かった――」

 な、と言いかけて、俺はようやく違和感に気づいた。ライトの光が、不自然に跳ねた。いや、違う。それを持つ俺の手が反射的に震えたのだ。


 外が、真っ暗?


 そんなはずない。

 だって、外には三つの照明塔があるはずだ。

 真っ暗なはずがない。窓からそれ相応の光が差し込むはずじゃないのか?

 俺は窓を見やる。

 ……真っ暗だ。明かり一つ、点いていない。

 いくらなんでも暗すぎる。百歩譲っても、向かい側の体育館が見えなくなるほどだろうか。普通は輪郭がうすらぼんやりと見えるはず。

 口が渇いていく感覚がする。若下が何やら喚いているが、うまく聞き取ることができない。知らぬが仏、という先ほど言われた言葉が、頭の中でリフレインした。

 比喩などない、全てが真っ暗だった。何もかも飲み干してしまうような、完全な黒。あれは実際あの場にいなければ分からないだろう。筆舌に尽くしがたいほど、窓一枚隔てた先は、完全な闇にのまれていたのだ。

 おかしい。

 おかしすぎる。

 耳鳴りがした。キィンと耳を塞ぎたくなりそうな、劈く高音。バクバクと早鐘を打つ俺の心臓音が、やけにはっきり聞こえる。

 「先輩」

 「うお!」

 間抜けな声をあげてしまったのは仕方がないだろう。ライトに浮かび上がる、陰陽明確に彩られた彼女の笑顔が、青白く、そして不気味だった。

 「早く帰りましょう」

 「……そうだよな」

 そうだ。

 帰るんだ。

 知らぬが仏だ。

 はやく、皆のところへ。

 俺はすぐに教室の扉の引き戸に指をかけ、開き、そのまま外へ出――そして気づいた。


 暗かった。


 一寸先は、闇だった。

 懐中電灯で照らしても、すぐ向こうにあるはずの廊下が、天井が、他の教室が、見えなかったのだ。さながら、底なし沼のように。

 まるで、先ほどの窓の先のように、全てが真っ暗だった。


 人は理解を超えた意味不明な物を見ると、本気で固まってしまうもので、俺は暫く何が起きているか分からず、そこで硬直するしかなかった。


 パタン、と扉が閉じられる音がした。

 振り返り、俺は絶句する。あの衝撃を、俺は今もありありと覚えている。

 若下が扉を閉めたのだ。扉のガラス部分から、ニタニタする後輩の姿が望めた。

 「……は?」

 扉を開けようとするが、若下は否応でも俺を入れるつもりがないらしかった。扉をぴっちり閉め、にこにこと何も言わずに静観する若下。

 「……おい、開けろよ」

 声が、震えた。

 「先輩、実験ですよ!」

 若下が扉に手を添えながら言う。

 「さて、ここから何が起こるでしょうか?」

 「ふざけんなお前!」

 頭に血が上り、扉を開けようと努めるが、この華奢な体のどこにそんな力があるのか、ピクリともしない扉。

 「てめ、お前開けろよ! マジで洒落になんねーだろうが、おい!」

 怖い怖い怖い怖い怖い!

 おかしい。全ておかしい。先ほどまで甘えていた若下が悪魔に見えた。これは夢じゃないのかと思うほどに、今置かれた状況が面白いほどに非現実だった。

 必死に扉をたたきながら、再び俺が若下に恐喝しようとした。

 が、それは叶わなかった。


 唐突に気づく。


 後ろに、誰かがいる気配。

 かすかな息遣い。

 ガラスに反射する、俺の顔。

 背後に潜む、人、人、人、人、人――。


 すぐ真後ろに、誰かが立っていた。一瞬呼吸が止まった。顔は、分からなかった。けど、分かる。ガラスに反射するそいつは、そいつらは、一様耳元まで口角をあげ、俺を囲んでいた。

 あの時の恐怖は相当だったと思う。

 首を絞められたかのように、声が出なくなった。

 若下は、それでも笑顔に、残酷なことを言い放った。

 「先輩面白いですねー。そんなひきつった表情しちゃイケメンが台無しですよー」

 へらへらと笑うこいつは、本気で楽しそうだった。

 「……開けろ」

 足ががくがくと震え、今にも転びそうになる。

 「開けてくれよ……」

 後ろにいる。

 何かが。

 数十センチのところに。

 手を伸ばせば届くような距離に。

 たくさんの影が、立っている。

 まるで若下を真似るように、不気味な笑顔を顔に張り付けた、何者かが。


 振り向くことは、できなかった。

 「開けろよマジで! おい! 若下ぁ! てめぇマジで開けろよ! おい!」

 ガンガンガンガンガンガンガンガン!

 扉をひたすら叩く俺。強烈な気配が、背中に当たっている。視界がぼやけ涙が溢れる。

 「ふざけんな! おい若下! 開けろっつってるだろうがぁ!」

 「あっはははっはははは! 先輩最高ですよぉ!」

 狂ったように笑いだす若下。本気でぶっ殺そうと思った。

 「先輩後ろ振りむかないでくださいねぇ! 振り向いたら――


 死んじゃいますからぁ!


 あははははははははは!」

 精神が崩壊しそうだった。後ろにはよくわからない化け物がいて、数センチ先に若下が発狂したように笑っている。

 「ふざけるなよ! おい、若下ぁ!」

 最後は声が潰れていた。狭まった喉を無理やり酷使して叫び散らしたからだと思う。

 しまいには、後ろからぼそぼそと聞き取れない、低い声まで聞こえてきていた。

 本当に俺は死ぬと思った。扉をたたきすぎた腕がひりひりと熱を持ち痛む。


 唐突に、扉が開かれた。

 抵抗を失い前にもんどりうつ俺。即座に若下が扉を締め切るのが、視界の隅に見えた。


 ガラスにへばりつく、数えきれないたくさんの手と、バンバンと窓を叩き割らんとする破裂音とともに。


 俺は叫んでいた。耳を塞ぎ、目を固くつぶり、無様に地面に伏した状態で丸まっていた。というかそうするしかなかった。失禁しなかったのが奇跡なくらいだった。


 それからの記憶はない。

 気づいたら、教室の電気がついていて、先生に囲まれていた。

 俺は教室の扉前で意識を失っていたらしく、若下が先生方を呼んできてくれたらしかった。

 時刻は十時か、そこらへんだっただろう。すでにマスコットチームは引き揚げた後で、誰も俺達の不在には気づかなかったそうだ。

 若下もいた。

 「先輩が突然倒れちゃってー貧血なんですかねー」

 と面白おかしく先生方の事情聴取に応じていた。若下に対しブチギレる気力も、体力も残されていなかった俺は、特に何も考えることができず、自失茫然としていたと思う。

 窓の奥は、先ほどみたいな暗闇ではなく、普通に照明塔があり、向かい側の体育館の輪郭がはっきりと見えた。

 その時、俺は確かに「帰ってきたんだ」という安心感でいっぱいだった。どこから帰ってきたか、未だに分からんが。

 「けど不思議なこともあったもんだねー」

 廃人一歩手前の俺に向けて、先生が言った言葉を、俺は未来永劫忘れることができない。

 「一回私が巡回して、教室の鍵を全部閉めておいたはずなんだけどね」

 つまり、俺と若下は本来なら教室に入ることができないはずだったのだ。……俺たちが入った教室は、はたして本当に学校のそれだったのか、はたまた、すでに異世界だったのかはわからない。

 ちなみ後日、若下に俺を締め出した理由を聞くと「言ったじゃないですか、実験だって」と笑って答えていた。黒い影も暫く扉をバンバン叩いていたそうだが、突然電気がつき、そいつらが蒸発したように消えたのだという。

 「まあ、夜の学校はこういうの、起こりやすいですからねー」

 若下はやっぱりへらへらと笑いながら、そう話していた。


 体育祭は楽しかったが、それから一か月ほどは電気が点いていないと眠れなくなった。

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