第85話 ケントの下働き②
「疲れた、疲れた」
俺は今日も一日中、エルフに狩られた魔獣の運搬の仕事をしていた。
外はすっかり暗くなった頃、居候しているクロエの家に帰って来たのだった。
「お帰り、ケント。今日も遅かったね。シルフィはもう部屋で寝てるよ」
クロエが俺を出迎えてくれる。
……シルフィード。
もう寝ているのか。
何だか本当の妹みたいに思えてきたよ。
俺は上着を脱いで食卓に座る。
すぐに、クロエが料理を出してくれる。
「ケントは大人気だからねぇ。私もケントの予定を押さえるの、大変になっちゃった」
クロエが微笑みながら言う。
「まぁ、みんなに認められるように、頑張っていくことにするよ」
毎日毎日、魔獣の運搬ばかりやっているわけであるが。
……気づいてしまったことがある。
風魔法を使った魔獣の運搬、実はそれほどきつくないのである。
森の中を歩き回るのだって、魔獣を運ぶのだって、ほぼ無尽蔵にある魔力を使っているのである。
自分の身体が疲れることはほとんどない。
正直なところ、魔物の解体の方が面倒である。
そもそも魔獣とか動物の解体なんて好きじゃないし……。
なかなかにグロテスクなのだ。
俺は元々、先進国、日本に住む現代っ子なのである!
従って、最近は、ただ狩られた獲物を運ぶだけで良いのだからこっちの方が良いや、と思うようになってきているわけだ。
魔法のコントロールの練習にもなるしな。
まぁ、疲れたふうの演技は、やめるつもりはないけどな。
これ以上、仕事を増やされたら困るのである。
「それにしても、ケントはすごいよね」
クロエが食卓を挟んで、俺の正面に座って言う。
「……何がだ?」
「あんなにたくさん働くことになって、それでも頑張ってる」
「そんなにでもないけどな」
先ほど、解体をするよりも今の仕事の方がずっと楽だって思ったばかりだ。
「そう言えるのが凄いんだよ。一体、何が君をそんなに頑張らせるの?」
「……それは」
「それは?」
「世界樹ユグドラシルだな。俺の心の中には、確かに、あの世界樹が光り輝いている」
世界樹の枝葉な。
枝葉というか、それで作るヴィヒタな。
正確に言うと、ヴィヒタでのウィスキングだな。
もっと詳細に言うと、女の精霊王へのウィスキングだな。男は駄目だ。
「そっか。君の気持ち、よくわかったよ」
クロエが笑顔で頷く。
……よく分かられてたら、困るんだけどな。
「今になって気づいたけど、私ってケントのこと何も知らないよね」
「ああ、そうかもな」
俺もクロエのことはあまり知らない。
胸の大きいエルフのお姉さんで、いつか世界樹のそばに住むっていう夢がある。
あとは、胸が大きくて、狩りの腕前が凄い。
……こんなところか。
「ケントって何歳なの?」
「ああ、俺は34歳だな」
「え、そうなんだ? 私とそんなに変わらないんだね」
「……そうなのか?」
俺は驚いてクロエの顔をまじまじと見る。
どう見ても、19〜20歳ぐらいに見えるわけだけれど。
「うん。私は29歳」
……そうだったのか。
やっぱり、あれかな。
人間とエルフで寿命が全然違うのかな?
何となく、エルフは長命ってイメージがあるしな。
「……ケントってさ、奥さんとか恋人とかはいないのかな?」
「……おお」
まさか、こんな話題になるなんて。
この場にシルフィードがいないせいか?
この世界に転移してからというもの、色恋沙汰から完全にかけ離れている俺は、少し面くらってしまう。
「……いないな」
「そうなんだ」
クロエは微笑みながら言う。
……何なんだ、その微笑みは。
感情が読めないエルフだな!
「ケントの好きなものって何?」
……あっ。
先ほどの話題とは一転。
その答えは……。
一瞬たりとも悩む必要がないのである。
「サウナだっ!」
俺はハキハキと答えたのだった。
「……サウナ?」
クロエは小首を傾げて言う。
「あれぇ、サウナの話ですか?」
突然、後ろから声が聞こえて、俺の身体がビクッとなる。
振り返ると、そこには、眠たげに右目をこするシルフィードがいた。
「お、起きてたのか、シルフィ」
シルフィードが俺とクロエの顔を交互に見る。
「駄目ですよ〜、ケントさん。また、女の人をサウナに誘っちゃって」
シルフィードはクロエを見ると、その視線を少し下げる。
「クロエさん、そんな大きな胸ぶら下げてサウナに入ったら、ケントさんに舐め回すように見られちゃいますよ」
……おい、シルフィード。
「クロエさんのお胸なら、もしかしたら、シヴァにも勝てるかもしれないですけどね」
……やめろ、シルフィード!
「あー、やだやだ。サウナに入る大人たちって怖いです。それじゃ、おやすみなさい」
そう言って、シルフィードは寝室へ帰っていく。
この場の空気を、滅茶苦茶にして……。
「……ケントさ」
微笑みながらクロエが言う。
「奥さんとか恋人とかは、いないって言ってたけど」
相変わらず、感情が読めないエルフだ。
「……シヴァさんって、誰?」
えーと。
氷の精霊王です。
……精霊王の話は、ちょっと出来ないか。
「サウナに入ったら、胸を見られちゃうのかな?」
……もう、勘弁してください。
俺は再びハキハキと答えられない状況に追い込まれてしまった。
……明日から、シルフィードには冷たく当たろう。
俺はこの日、そう決意したのだった。
 




