第75話 ユリアの物語③
ユリア目線の話(後編)です。
私は重たい石の扉を開けて、サウナの中に入ります。
むわっと熱い空気が私の肌を包みます。
でも、思ったほど熱くはありません。
「おお、ユリア、来たか」
ケントさんが上の段から、降りてきます。
そして、下の段に座ると、私を手招きしてくれます。
私はケントさんの隣に座ります。
「ここからが本番だぞ」
ケントさんは、随分と柄の長い、不思議な形をした柄杓で水をすくいます。
そして、その水を、積み上げられた石の上にゆっくりとかけていきます。
ーージュジュジュジュッ!
心地よい音がサウナ内に響き渡ると同時に、熱い蒸気が発生します。
……ところで、サウナ内は静かです。
あの、私をからかい始めたら止まらない、シヴァさんとリヴァイアサンさんが静かなんです。
ケントさんも精霊王の皆さんも静かに目を閉じてじっとしています。
皆さんから真剣さが伝わってきます。
私にはこの修行のことはまだわかりませんが、皆さんの真似をしてそっと目を閉じます。
私は難しいことは考えるのはやめて、身体の感覚に集中します。
身体がじんわりと温かくなっていきます。
……なんでしょう、この修行。
何だか、少し気持ちがいいかもしれません。
「よし、ユリア。そろそろ出よう」
ケントさんに声をかけられ、私は目を開いて隣を見ます。
私の方を見るケントさんと目が合います。
実は、少し前からサウナの熱さを我慢していました。
心臓が少しバクバクいっています。
でも、耐えられないほどの熱さというわけではありません。
私はケントさんの後ろをついて、サウナの外に出ます。
涼しい外の風が身体を包みます。
……これまた、何とも言えない気持ち良さです。
……あれ、修行はどうなったのでしょう?
「ユリア、ゆっくりな、この水風呂に入るんだ」
ケントさんは水を張ったお風呂にゆっくりと入っていきます。
私もケントさんの真似をして、右足の指先を水に入れます。
冷たいです……!
これですか。
これが修行なんですね、ケントさん。
私は勇気を出して、ゆっくりと水風呂に入っていきます。
心臓の鼓動を強く感じます。
身体中が心臓になってしまったみたいです。
……でも、何でしょう。
まるで、身体が心地よい薄い膜で包まれたみたいです。
……やっぱり、気持ちがいいのです。
その後、外に置かれた椅子にゆっくりと座らせられました。
……これまた、とても気持ちがいいんです。
このようなことを、3回繰り返しました。
私はケントさんの横で、深く椅子に腰掛け、目をつぶります。
「……ケントさん、これって修行なんですか?」
「やってみないとなかなか分からないものだろ? これがサウナ……、サウナ道だ」
「サウナ道……。とても気持ちがいいですね」
「ああ、ユリアはかなりセンスがいいぞ」
「ありがとうございます。……まるで身体が宙に浮かんでいるみたいな感覚です」
「ユリアはそんな感覚なんだな。そういう時はな、ととのったって言えばいいんだぞ」
……ととのった、ですか。
初めて聞きましたが、何となく意味がわかるような気がします。
「ととのいましたー!」
私は大声を出してみます。
大声を出すのも、また気持ちがいいものですね。
ーーゴロゴロゴロォッ!
ーードォォン!!
突然の落雷です。
とてもびっくりしました。
先ほどまでとても天気が良かったと思うのですが。
目を開けると、そこには大きな生き物がいました。
見たことのない生き物です。
その生き物は、私のことをジッと見つめているのでした。
童話で語られる竜に顔がそっくりで、二本の大きなツノを生やしています。
身体は大きな馬のようで、長い体毛を風になびかせています。
「おうっ、麒麟じゃねぇか!」
後ろから、雷の精霊王トール様が声をかけます。
「おい、そこの娘。あそこにいる麒麟がな、お前さんと契約をしたいようだぞ!」
……え?
私、ですか?
私は麒麟と呼ばれた精霊の目の前までゆっくりと歩いていきます。
えーと。
……契約の方法は。
あ、そうでした。
私はトール様と契約を交わした時のケントさんの姿を思い浮かべます。
私は地面に右膝をつき、麒麟と呼ばれた精霊の顔をまっすぐ見上げます。
何故か後ろでリヴァイアサンさんがクスクスと笑っています。
ケントさんは黙って目を逸らしています。
もしかして、ちょっと失敗してしまったでしょうか。
でも、私は勇気を出して言います。
「……麒麟さん、私と契約しましょう」
私がそう言った途端、麒麟から私に向けて黄色の紋章が飛んできました。
そして、その紋章は私の首元へと消えていったのでした。
***
「お父様、ただいま帰りました」
その日の夜、私は自宅に帰ります。
玄関に置いてある鏡を見ると、私の首元には黄色い稲妻の紋章が浮かび上がっていました。
お父様はリビングで読書をしているようです。
「ユリアお帰り。夕食は食べてきたのかな?」
お父様はこちらをチラリと見て、再び本に目を落とします。
私の首元の紋章には、まだ気づいていないようです。
「お父様、少しお話が。ちょっと、私の方を見てくれますか?」
「ユリア、どうしたんだい?」
お父様はこちらを見て……。
私の首元の紋章に気づいたのでしょう。
ポカンと口を開けてしまいます。
「雷の精霊将、麒麟と契約をしてしまいました」
「そ、そ、そうか! ユリア、ケントさんの修行はそんなに早く効果が出るのかっ!」
「ええ、修行と言いますか、何と言いますか……」
とても気持ちの良い、サウナというものなのですが。
「それで、どんな修行だったんだ!?」
「……えーとですね」
なかなか口で説明をするのは難しいのです。
私は頭の中で内容を整理します。
「しかし、これはすごいことだぞ、ユリア。ケントさんの修行を我が断食修行派に広めることが出来れば、苦痛修行派につけられた差を一気に縮めることが出来るな!」
……お父様。
ケントさんのサウナ道を、断食修行派だけに広めてどうするつもりですか?
また、派閥争いなのですか?
「お父様……! それでは、苦痛修行派の皆さんと一緒ではありませんか!」
私はそう叫ぶと、玄関に向けて走ります。
「あ、ユリア! ちょっと待って!」
お父様の静止を振り切って、私は玄関を飛び出します。
「麒麟、私を乗せて、思いっきり走ってください!」
麒麟は私を乗せて走り出します。
麒麟はとても疾く、風のように走ります。
クロピオの街を抜け、夜の草原を抜け、満月だけがその場を照らす、小高い丘までやってきます。
お父様はあの場ではあんな発言をしましたが、よくやり方を話し合えば、うまくサウナ道を広めることが出来るかもしれません。
お父様は仕事熱心で、断食修行派のことをとても大切に思っているのです。
先ほどの私は、ちょっと感情的になりすぎたかもしれません。
……しかし、です。
ケントさんに教えていただいた、サウナ道。
これは、決して新たな争いの火種になって欲しくはないのです。
お父様にお任せして、絶対に大丈夫でしょうか?
「……いえ、問題はそこじゃないですね」
私は夜空を見上げます。
「麒麟、お前もいるのにね」
私は麒麟の長いたてがみを撫でます。
私は、いつまで、ケントさんやお父様に守られる子供のままなのでしょう?
……私自身が、やればいいんです。
「修行派閥なんてくだらないもの、私がぶっ壊してやります」
私は空に浮かぶ満月に向かって誓うのでした。
ーー雷鳴の聖女。
強く美しい、一人の雷魔法の達人の呼び名である。
聖女様は首元に稲妻の紋章を浮かべ、雷の精霊将、麒麟にまたがって、数多の戦場に現れる。
麒麟は風のように疾く戦場を駆け抜け、聖女様は天に響く雷の大魔法を使って、争いを鎮めて行く。
この、雷鳴の聖女様の活躍によって、
やがて、百年余も続いた、苦痛修行派と断食修行派の争いは終わることになる。
それは、もう少し先、数年後のお話。
これから幾多の試練を乗り越えて、
一歩一歩成長していく、
一人の少女の物語。
 




