第35話 氷の精霊王シヴァ③
「このサウナとかいう小屋に入ればいいのね?」
人間の姿になった氷の精霊王シヴァが、サウナの扉をゆっくりと開いて入っていく。
俺はシヴァの後ろ姿をチラリと見る。
細くくびれた腰から、布が巻かれているお尻に広がっていく曲線。
すらりと伸びたしなやかな手足。
……うん。
後ろ姿もぐっと来るものがある。
「ケントよ」
「な、なにっ!?」
イフリートに急に話しかけれ、声が裏返りそうになった。
「精霊王に欲情する人間など、初めて聞いたぞ」
「くっ……!」
イフリートには見透かされていた。
「ははっ! 相変わらず不思議な男だ。普通の人間はあのような感じだぞ」
イフリートがフリッツ男爵を指差す。
「くくぅ……。氷の精霊王様が、人間の姿に顕現なさった。尊い、尊いお姿……」
フリッツ男爵は、両目から涙を流しながら、激しく嗚咽し、拝むように両手を合わせている。
「……あれ、普通の人間の反応かな?」
「……違うかもな」
イフリートは、フリッツ男爵から目を逸らした。
俺はサウナの扉を開こうとして、手を止める。
「イフリート、ちょっと手伝って欲しいことがあるんだけど」
「何だ? 今からサウナに入るのではないのか?」
「すぐに終わるからさ、頼むよ」
「……まぁ、すぐに終わるならばいいがな」
俺とイフリートはサウナに入る前に、ちょっとした準備をしていくのだった。
「待たせたな」
俺とイフリートは、サウナの扉を開いて中に入っていく。
「あら、少し遅かったじゃない。何をしていたのかしら?」
シヴァはそう言って、座りながら足を組み替えた。
俺は一瞬、その長い足に目を奪われる。
「ああ、ちょっとばかり準備があってね」
俺とイフリートの手は、大きな布の四隅を握っている。
そして、その布の上には、外で集めてきた粉雪がこんもりと盛られている。
さっき、雪でロウリュをするときは、手でペタペタと固めた雪の塊を乗せたからな。
今回は、粉雪をそのままお見舞いしてやるんだ。
「「せーのっ!」」
ーーバフッ!
大量の粉雪が、熱せられたサウナストーンの上を舞う。
熱で融かされた雪は、雨粒のようになり、サウナストーンに降り注いでいく。
ーージュジュジュジュジュジュッ!
雪から雨粒のようになった水滴は、サウナストーンに当たって蒸発し、熱い湯気となってサウナ内に充満していく。
「ふーん、悪くない演出じゃない」
シヴァは微笑みながら、言ったのだった。
しばらくサウナに入っていると、シヴァの顔は真っ赤に火照っていた。
「……もう、かなり厳しいわね」
「よし、それじゃあ、出るぞ」
俺たちはぞろぞろとサウナから出る。
「よーし、みんな! 雪に突っ込め!」
俺はみんなに声をかけた。
ーーズボッ!
俺はまた、雪ダイブをする。
ーーズボッ!
ーーズボッ!
俺が雪に突っ込んだ後に聞こえてきた雪ダイブの音は2つ。
たぶん、フリッツ男爵はまだ遠慮しているんだな。氷の精霊王の前だしな。
俺はそのまま真上を向き、夜空を見上げる。
火照った身体に、冷たい雪が沁み渡る。
「また、ととのったぞー!」
俺の声が、修行場に響きわたった。
少しして、俺とシヴァは向き合って立っていた。
「……サウナ、悪くなかったわ」
シヴァが小さな声で言う。
「人間……、ケントくんだったわね」
「ああ」
「……私と契約しましょうか」
「ああ、一緒にサウナを楽しもう」
俺はシヴァの目を真っ直ぐに見て言った。
「かはっ……! 氷の精霊王様と、け、契約ですとな……!」
フリッツ男爵は、フラッと大きく仰け反り、
ーーズボッ!
頭から雪に突っ込んでいた。
「見事な雪ダイブだな」
イフリートが腕を組みながら言う。
「ちょっとみんなとタイミングがずれたけどな」
俺はクスっと笑ってしまった。
「おじさんの雪ダイブよりも、こっちを見なさいよ」
そう言われ、俺はシヴァの方を見る。
シヴァが両手を開くと、空中に雪の結晶のような銀色の紋章が浮かぶ。
銀色の紋章は光を放ちながら、俺のほうに向かってきて、……俺の左胸に吸い込まれるように消えていった。
俺の左胸には、新たに氷の紋章が浮かんでいた。
俺は、今回は「こんな中二病みたいな紋章」ということは、全く考えていないのであった。
そんなことよりも、ヴァーラ渓谷に戻ったら、シヴァにどんな水着を着せるか、ということで頭がいっぱいだ。
サウナと水風呂をしっかり味わってもらうためにはだな、布の面積は最小限にした方がいいだろう。
限界まで布の面積を少なく……。
「おい、ケント」
「いや、違うんだ! 他意はないんだ! サウナを楽しんでもらうためなんだ!」
イフリートに話しかけられ、俺は大声で言い訳をする。
「はぁ? 何を言っておる。それよりも、フリッツは大丈夫か?」
「えっ?」
俺は振り返って、フリッツ男爵の方を見る。
「グガガガッ!」
雪山の中からフリッツ男爵の奇声が聞こえる。
雪山から飛び出したフリッツ男爵の両足は、寒さで真っ白になり、ガクガクと痙攣していた。
俺とイフリートはフリッツ男爵の両足を掴み、雪山から救出するのであった。
***
翌日、フリッツ男爵の屋敷から出ると、マルコが外で待っていた。
「ケントさん、聞いたよ。氷の精霊王と契約したんだって? 本当にとんでもない男だな」
「ああ、俺も驚いたよ」
「もう旅の目的は果たしたんだもんな。氷雪の霊槍には行かないで、帰っちゃうのか?」
「そうだな。もう、やり残したことはないかな」
やり残したこと……。
あっ……!
思い出した。
トゥルクの主だの、フリッツ男爵の氷魔法だの、氷の精霊王シヴァだのと続いて、すっかり忘れていた。
マルコの家の裏に、サウナを作ったときのこと。
(わかった! ケントお兄ちゃん、約束だからね!)
(ああ、エリナ。約束だ)
俺は、エリナにサウナを教えてあげる約束をしたんだった。
「……マルコ」
「ん、どうした?」
「娘さんのエリナとな、ちょっと約束をしたのを忘れてたよ」
「約束?」
「まぁ、大した事じゃないんだけどな。最後にマルコの家に寄らせてもらうよ」
「……そうか」
マルコは一瞬、不思議そうな顔をしたが、
「ケントさん、約束を守るのは大事なことだもんな。俺もひと仕事終わったら家に帰るからさ。その時に、まだ家にいるようなら、その約束について聞かせてくれよな」
笑顔で右手を差し出してきたのだった。
俺はマルコと握手をする。
マルコの右手は凍傷の跡で少しゴワゴワしていたが、温かく優しい手だった。
俺は、エリナとの約束を果たすため、カヤニ村へと風魔法で飛んでいく。
向かう先には、険しいトゥルク連峰が見える。
そして、一際高く、一際急峻な山。
バルドゥル王国の最高峰、氷雪の霊槍。
「氷雪の霊槍も、これで見納めかな」
こんな近くで氷雪の霊槍を見ることはしばらくないだろうな。
その、槍の切っ先のように尖った山頂は、氷雪が融け、黒い岩肌が少しだけ見えていた。
【スキル】
ケント(中山健斗)
•炎属性 精霊王級魔法
•水属性 精霊王級魔法
•風属性 精霊王級魔法
•地属性 精霊王級魔法
•氷属性 精霊王級魔法
【作者からのお知らせ】
第2章、もう少しだけ続きます。




