第29話 オイゲン男爵領への侵略①
翌朝、俺とイフリートはフリッツ男爵の用意してくれた馬車に乗り、カヤニ村へと向かっていた。
馬車の後ろから、馬に乗った兵士が2人付いてきている。
「護衛と言うよりは、見張りだろうな……」
俺は馬車を操縦する御者に聞こえないように小声で言った。
「イフリート。今日の夜、フリッツ男爵は氷魔法を使って、隣の領地、オイゲン男爵領を侵略するらしいぞ」
昨夜、マルコから聞き出した話である。
フリッツ男爵領では、例の地獄房座禅修行により、昨冬の初め頃から、急激に氷魔法使いが増えていたとのことだ。
そのたくさんの氷魔法使いの魔力と冬の冷気を使い、フリッツ男爵は、数ヶ月の時間をかけて、強大な氷魔法の術式を練り上げていた。
その術式の影響で、今年は真夏に雪が降るという異常気象が起こっていたようだ。
フリッツ男爵領では、この作戦は厳秘とされながらも、領内ではしっかりと異常気象への準備が行われていたわけだ。
真夏にも関わらず冬支度が整っていた、カヤニ村のマルコ宅を思い出す。
それほどの氷魔法が、オイゲン男爵領の領地にぶつけられた場合、領民にどのような被害を与えるか、俺には想像もつかない。
また、その被害は人だけでは済まないだろう。
主に寒い地方で播かれる春小麦は、この夏が生育期である。
王国最北のフリッツ男爵領に隣接するオイゲン男爵領においても、春小麦は領民の主食である。
数ヶ月かけて準備された強大な氷魔法を受ければ、これらの作物はひとたまりもないだろう。
「なるほどな。それで、氷魔法の天敵である、炎魔法を使うケントを遠ざけようとしているわけか。ケントの炎魔法は上級なんてレベルではないしな」
イフリートが納得いったというように頷く。
「その魔法が発動されて、それがフリッツ男爵の仕業だとオイゲン男爵の耳に入れば、全面戦争になるかもしれないな……」
「……そうだな」
「もしかしたら、氷魔法で弱らせた後に、一気に攻め入ってしまう作戦なのかも」
氷魔法の術式をぶつけた後は、フリッツ男爵は何をしようと考えているのか。
そこまでは、マルコも知らされていないようだ。
「……そうかもな」
イフリートが馬車の外を見ながら言う。
「興味なさげだな、イフリート」
「人間が魔獣を殺そうが、人間同士で戦争しようが、それは人間の問題だからな。異常気象は多少気になっているが、それもオレが何かする話ではない」
自分には関係のない問題か……。
確かにイフリートの言うことも、わからなくはない。
俺だって、フリッツ男爵とオイゲン男爵の間で、何があったかも知らないわけだし。
精霊であるイフリートはもちろん、俺が首を突っ込む問題ではないのかもしれない。
「ケントは他人のことなど気にせず、好きなことに集中すれば良いのではないか?」
イフリートが、俺の目を見て言った。
馬車はカヤニ村に到着した。
今日はカヤニ村から、トゥルク連峰の中でも一際高くそびえる、氷雪の霊槍がはっきりと見える。
久しぶりの晴天だ。
フリッツ男爵の言うとおり、今日は晴天になった。
氷魔法でオイゲン男爵領を攻めるため、冷気をどこかに移動させた結果、この辺は晴天になったのだろうか。
「ケント殿、これから山への修行入りですか? 我々もお供します」
馬車について来た兵士2人が言った。
まだ俺を監視しようっていうのか。
フリッツ男爵は用意周到なことで。
「ついて来れるならな」
俺はそう言い捨てると、風魔法を使って空中に飛び上がる。
後ろから「あっ!」と声が聞こえたが、気にせずに、氷雪の霊槍に向けて一人で飛んでいくのだった。
***
氷雪の霊槍の頂上には、それほど時間がかからずに到着した。
その山頂付近は見れば見るほど急峻で、崖のようになっている。風魔法で飛んでこなければ、簡単に辿り着けるような場所ではない。
また、上空はかなり気温が低く、風魔法だけでも辿り着けなかっただろう。恐らく寒さのせいで途中で意識を失う。
炎魔法で身体の周りの温度を調整しながら、風魔法で飛ぶという、2属性魔法の同時使用ができるようになったからこそ、俺はここに来れたのだと思っている。
イフリートが俺の胸の炎の紋章から現れる。
「ほう、ここが氷雪の霊槍の頂上か」
イフリートは山の麓を見下ろしながら言った。
「それで、シヴァのやつを呼ぶにはどうするのだ?」
「……」
「この場所に、サウナでも作ってみるのか?」
「……」
「おい、ケント?」
「……作らない」
「何だって?」
「サウナは作らない」
確かに俺はフリッツ男爵たちのイザコザには関係のない部外者だろう。
でも、今回のことが原因で戦争が起きたら?
エリナたちに、カヤニ村の人たちに、危害が及ぶかもしれない。
こんなところで、呑気にサウナに入ってはいられない。
「エリナたちに危害が及ぶかもと思ったら、サウナでととのえないからな!」
「……そうか」
「フリッツ男爵のところに行ってくるぞ!」
俺はイフリートの目を見て言った。
「ああ、ケントの好きなようにすればいいんだ」
イフリートはニヤッと笑いながら、俺に言ったのだった。
 




