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数学的な概念に過ぎない

作者: 黒実 音子

「地下にウニを隠しているね!!」

ポレミークは私に迫った。

地上への出口は鉛色の階段の上にある。

ああ、まるで十年後に地中で発見される死者の肌の色だ!!

あるいは死肉を漁る金色の毛の蟹の色だ。

南方で汚物の様に嫌われる異尾下目。

その古く錆びた扉に激しい風が吹きつける。

外には黒い服の修道士と、白い服の修道士が

首を傾けて立っているに違いない。

彼らは厳密には生きていない。

それは数学的な概念に過ぎない。

我々が生きる事と同じ概念だ。

ある共通した、社会という漠然としたものに対する

卑屈な策略と言ってもいい。

または、猿の頭蓋骨の目の穴。

地下全体にその目の穴をすり抜ける風の音が鳴り響く。

時は迫っている。

修道士が来る!!

有りもしないものに何十年間、怯えてきた結果、

その死体は、すでに実体となっているという事だ。

手は尽くされたのだ!!

そして、もう、とっくに出て行かねばならない時間だ。

さぁ、尻に鞭を打て!!

出口の無い嵐が来る。

その嵐に巻き込まれれば、

無数の水死体と共に底の無い闇に沈み、

例の異尾下目に喰われるのだ。

もう一人の男、道化のベリロシスは青ざめて、

必死な形相でこちらを見ている。

彼は肺塵症を患っている。

「なんて事をしてくれたんだ!!」

ポレミークは言う。

「もうおしまいだ。」

そうか、おしまいか。私は頷いた。

しかし、人生なんて実はそんな様なものでは?

初めから期待する様なものか?

それは玩具の甲虫だ。

甲虫の形をしていても、

実際にその甲虫が動く事などあるものか。

玩具の甲虫は、遠い別世界にある

本物を精工に模倣した模型に過ぎない。

気の遠くなるような執念で模倣したのだ。

何一つ違えぬように。

だが、そこには魂が無い。粘土の肉と同じだ。

ワインがキリストの血になるには・・・

「修道士が来る!!」

ポレミークが叫んだ。

私は仕方なく、二人に、

麻袋にしまってある大量のウニを見せた。

「これだ!!これを引き渡さないと!!!!」

ベリロシスが言う。

「だが、もう手遅れかもしれない。」

ポレミークが唸る。

「なぜ、こんな事をした?」

こんな・・と言われても。

私はウニを育ててみたいと思ったのだ。

心の底から!!

魂から!!

それを望んだのだ。

自由に!!

このウニ達は、

白い砂地の広がる美しい海辺で発見したのだ。

その海を何と美しいと思った事か!!

私はその砂地に、

大量の黒い壊血病を埋める為に訪れていたのだが、

そんな事は、ウニを発見した時、

どうでも良くなったものだ。

袋に詰めた沢山の壊血病は、

いつの間にか消えていたので(多分、落としたのだ)、

私は代わりに、その袋に沢山のウニを積めた。

ああ!!なんてこの世は、ままならないものか!!

全てが監視されているのだ!!

我々は数秘の奴隷だ。

全ての人が看守によって、痛めつけられるのだ。

だが、不思議な事に看守にはウニが見えない。

それが、何を意味しているのか?

・・・

そこにこそ、隠された真実がある。

そしてそれは信仰の救いだ。

看守には信仰心はないのだ。

過去が無い為に、

彼が持っているのは誤った免罪符なのだろう。

だが、免罪符は、魂の弱った者には十分効き目はある。

例えばポレミークの様な。

憖、語り尽くしてしまった者には、特別、効果があるのだ。

「修道士が来る!!」

ポレミークが叫んだ。

その時、暴風により、突然、鉄の扉が破壊され、

(沢山のササラダニが飛び散り)、

突風が私達を襲った。

私はひっくり返り、

ウニも全て落としてしまい、一瞬、何もわからなくなった。

そこに二人の修道士が来たのだ。

起き上がってベリロシスの方を見ると彼は死んでいた。

まぁ、それは肺塵症だから仕方がない。

ポレミークが泣きながら言った。

「ウニを捨てろ!!

まだ間に合うかもしれない!!」

「しかし・・・」

私は言った。

「修道士達を誤魔化す事なんて出来ないんだぞ!!」

ポレミークは泣き叫んだ。

間に合わないかもしれない?

そもそも、間に合ったとして、修道士は去るのか?

私達を置いて?

それともまた、いずれ帰ってくるのかもしれない。

本当にそれが真実なのだろうか?

修道士が絶対的な絶無なのだとしたら、

彼らが絶対的な数学だというのなら、最初から

私達は無であれば良かったのでは?

全てが黒一色でいい!!

つまりこの宇宙が設定する私達と裁判官の距離の事だが。

なぜなら絶無を乗じれば一見、答えは無だが、

そこには決定的な失策がある。

青い海など必要ないのだ。

最初から、存在しない事こそが定理だった筈なのだ。

修道士の失策だ!!

私は散らばったウニを見た。

ウニは無事だった。

その時、私は気づいた。

無事な筈だ。

ウニなど最初からいないのだから。

それは、私の嘘に過ぎない。

嘘は自由だ。

唯一の自由だ!!

修道士達が手を伸ばしてきた。

それは死、そのものだ。

絶望の悪霊の香りをしている。

私はポレミークと、ベリロシスの死体を呼び寄せて言った。

「ウニは捨てない。」

「しかし、それでは!!

俺達はもうおしまいになる。」

ポレミークは言った。

私は怒りに身を任せてポレミークを、

社会の愚者を見た。

有りもしない歩道橋を渡るしかない者。

集団の幻想を信仰する信者。

その時、私は一人、ミサで喋り続けていた。

心の中の教会で。

「嘘は唯一の自由だ。

そして、所詮、嘘は真実なのだ。

ワインはキリストの血なのだ。

お前は一体、いつまでそんな何も無いものを恐れ、

何の力も持たないものに支配されて生きていくのだ?

見た事のない甲虫は捨てろ!!

だが、俺はウニを見た。確かに見たのだ!!

はっきりと!!」

ベリロシスの死体が言った。

「嘘は唯一の自由だ。」

私は言った。

「そして真実だ!!

俺達はおしまいにはならない!!」

その時、ウニが炸裂して、視界が、

続いて頭の中が真っ白になった。

しばらくして再び目を開けると、

二人の修道士はいなくなっていた。

「ポレミークは行ってしまったよ。」

道化の死体が言った。

「彼は嘘の下では生きていけない。

行く必要があったんだ。

死者だけが!!

死者だけがこの地に残る事が出来るのだ!!」

そうかもしれない。

私は思った。

死者は数式には入れてもらえまい。

信仰心の世界では別だが。

「では、私も死者という事か?」

私は死体に尋ねた。

「君にはウニがあったから・・・」

そう、ベリロシスの死体が言った様に思えた。

なるほど。

それっきり道化の死体は、

永遠に沈黙する事に決めた様だったので、

私は彼の死体をそこに置き去りにして、

階段を登っていった。

扉は嵐で外れ、外からは眩しい光が差し込んでいる。

波の音だ!!

それは紛れもなく波の音だった。

あの青い海、白い砂地の!!

そうか、こんなにも近くにあの土地はあり、

それでも、多くの者はここに来る事は出来ないのだな。

地下から出る瞬間、私はふとつぶやいた。

「嘘は唯一の自由だ。

そして真実だ!!」

私は白い砂地に足を踏み入れた。

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