19 見ていてくださいお兄様、ファニーは頑張りますっ!
雲よりも高い位置に浮かぶのは、孤高の浮遊城・アヴィアンヌ。
三重にも張り巡らされたドーム状の結界が、城全体を覆い隠している。内部の気圧、気温、太陽光にいたるまですべて一定に保ち、生命の存続を可能としている。
もちろん、水だって豊富だ。
「えいっしょ。うんしょ……ぬぬぬぅぅ」
「ファニー。水汲みくらい僕がやってあげるから、危ないよ」
ヴェルデライトの声に、目の前の小さな背中は答えない。
小さな手をぷるぷると震わせながら、川の水をバケツで掬い上げようとしている。
いつもなら、兄であるヴェルデライトの仕事。
けれどファニーは「お兄様に頼るだけの妹じゃダメなのです!」と言って、聞かない。
──ファニーがやりたいって言ってるんだから、やらせてあげるのも兄の努めか。
──でもなぁ。
見ていてこそばゆいのだ。
助けてあげたい気持ちと、やらせてあげたい気持ちの板挟み。もどかしさだけが募る。
「も、持ってきたのでーす!!」
川岸からここまで十メートルもなかったけれど、大仕事を終えたような顔で妹がご帰還。
バケツ一杯。満杯になってないから、せいぜい五リットル程だろうか。
「ご苦労さま。うん、でも、バケツ一杯分じゃ畑全体の水やりは厳しいかな」
「えぇぇええ。これ、あと何往復するのですぅ……!?」
「ざっと二十往復くらいかな」
「ふえーん……」
へなへなと座り込んでしまうファニーに、思わず笑ってしまう。
「そうだ、いいこと思いついた。僕が補助してあげるから、バケツを魔術で浮かせてごらん? ほら、こんな風に」
その瞬間、十個もの空バケツが出現した。
浮遊するバケツは整列して川へと向かい、水を汲んで戻ってくる。
「ふぁ、ふぁい! 頑張るのです!!」
「ファイトだよ」
むむむむっ、と顔と拳に力を入れるファニー。
空のバケツが宙に浮き、上へ下へとヨタヨタしながらも、ようやく川へ到着。
「いけたのです!!」
ファニーが顔を綻ばせた瞬間、バケツが川に落下した。
「はにゃっ!?」
「落ちちゃったね」
そう言って、ヴェルデライトはバケツを浮かび上がらせる。「やってごらん?」と、妹に託す。
妹は再び体全体に力を込め、バケツで川から水を汲み上げた。
──うん、上出来。
魔術というのは、本来、きちんとした順序に沿って行わなければならない。
言葉には魔力が宿る、というほどで、それくらい呪文は大事なのだ。
けれど、彼女はそういう呪文を何一つ言っていない。
当たり前だ、教えていないのだから。
魔術を感覚や心象で捉えることができるのは天才の証。
ヴェルデライトが呪文一つ唱えず魔術が使えるように、ファニーだってそれが出来ている。
ただそれが、兄よりも少し拙くて可愛らしいだけ。
「よし。さっき汲んだバケツと今あるバケツの二つ分をお願いするよ。僕は二十個分のバケツを運ぶから」
「ま、魔術の道は険しいのですぅ……」
二十個ものバケツを従えて顔色一つ変えない兄に、ファニーはがっくりと肩を落とす。
それでも水をこぼさないよう、再び魔術を行使し始める。
えっちらおっちら、バケツの行進。
「と、到着なのです〜」
「お疲れ様でした。バケツの水は僕が貰うね、貯水槽に入れちゃうから」
巨大な金属の窯。
いつもなら雨水を溜め込んで満杯なのだが、最近は雨が少なくてほぼ空になっている。
川に水を汲みに行ったのはそういう理由。運んできた水を貯水槽の中に流し込み、満杯にさせる。
これだけで、水やりは完了だ。
地面には細い管が幾重にも伸びており、その穴から水が出る仕組み。
「お兄様っ! 次は何をすればいいですか!?」
「え? 今のところやることはないな。そういえば、朝珍しくたぬ吉を見かけなかったんだけど、知らないかい?」
「ファニーも見てないのですー」
たいていご飯をねだりに城の近くまで来ているのだが。
今日は見ていない。ファニーも知らないとなると、まだ森にいるのかもしれない。
「昨日、ちょっと食欲がなかったのです。もしかしてビョーキなのです?」
「じゃあ《人知らぬ大樹》のところに、様子を見に行こうか」
「はいっ!」
元気な返事をするファニーを撫でて、ヴェルデライトは森に向かった。




