7-6 性善説で裁こう
戴冠式から2日後に、皆はそれぞれの任地に帰って行った。
兵や民兵を徴募して、訓練に明け暮れるのだろう。去り行く後ろ姿に思わず頭を下げたのを、ラドニア小母さんが黙って見ていてくれた。
兄さん達の姿が見えなくなったところで、城の会議室に戻って来た。ラドニア小母さんが入れてくれた暖かなお茶を飲みながら地図を眺める。
「半年近くのんびりできそうですね」
「城ならばかな? 兄さん達には苦労を掛け通しだ」
「武官なら本望でしょう。それで、陛下は、その間何をなさるのですか?」
蒸留酒作りはビグザとビグザの友人2人の3人で行っている。ヨゼニーには強化した荷車を頼んである。もう1人のラクネムは、馬で西の砦とトレノの町を一回して貰っているのだが、これはヨゼニーと1日交代だったな。
将来の官僚となりえる子供達の教育はカトレニアに任せてしまった。
とりあえずは急ぐ仕事はないんじゃないか?
「色々と考えて事を、皆に任せてしまった。しばらくは次の戦を考えてみるが、数日過ぎたらレブナンと国法について考えることになるだろうね」
「レーデル王国のような、愚を犯さぬようにお願いしますよ」
それを避けたいからこそ、新たな国法が必要になる。
ラドニア小母さんに、「ありがとう」と言いながら笑みを浮かべた。
そうだ! 場合によってはラドニア小母さんの意見も取り入れた方が良いんじゃないかな。
ラドニア小母さんは今でこそ1部隊を預かる部隊長なんだが、かつては母様の乳母としてこのコーデリアまでやって来たご婦人だ。
ある意味、一番庶民に近い考えの持ち主とも言える。
少し信心深いところがあるけど、性善説を取り入れた治政が理想ではある。それは信心深いラドニア小母さんも賛成してくれるんじゃないかな。
戴冠式から数日が過ぎたところで、朝食後にレブナンとラドニア小母さんを呼んだ。レブナンが長男のマクセルを連れてきたのは、後継者教育を始めたということになるんだろう。
いつものテーブルではなく、暖炉脇にあるベンチでの会談になる。
「そろそろ呼び出されるとは思っておりました。おおよその形が出来ましたのでご報告したいと思います」
小さなテーブルに広げられた紙には予想通りの階層構造が描かれていた。
国王を頂点に領民を下層に置き、その間に1代貴族と100人隊長がいる。
神官職は100人隊長と同格になるのか……。教会からクレームが舞い込みそうだな。
「1代貴族を1つに括らず、2つに区分します。長官職と官吏を束ねる長と言えばお分かり易いかと」
「貴族に上下は付けたくないな。とはいえ、部門を定めて長官とするのは賛成だ。長官は何人程になる?」
「民生を担当する護民官に戦を担当する軍務長官。取引を担当する商務官に法の番人たる法務官、それに王宮内を担当する内務官の5人を考えました」
「法務官を法の番人とするなら、その法を定める組織も必要だと思う。国法は状況に応じて変えるべきだ」
「それは陛下が定めれば良いと思うのですが……」
「それほど世間を知っていないよ。今回の基本だってレブナンが考えてくれたから良かったものの、もしレブナンがいなかったらと思うとぞっとする思いだ。
たぶん、レブナンが基本を定めても、それを修正できるぐらいの人物を常に用意する必要が出て来るんじゃないか? それを代表者会議で決めたい。1人で悩むより皆で悩んだ方が解決法も出てくるように思えるのだが」
「代表者会議ですか……」
貴族会議という会議があるぐらいだから、レブナンなりに考えてくれるに違いない。
これで少し歪んではいるが3件分立の真似事ができそうだ。
「1代限りの貴族待遇とすることで、それなりの権限を与えることになるだろう。だがそれで財を成すようでは本末転倒だ。さらに監察長官を加えて、長官達の仕事を見守ることにしたい。初代長官はレブナンにするぞ」
驚いた表情で私を見ているけど、以前リークしたんだからそんな表情で見ないでほしいな。
「冗談ではなかったんですな。陛下のご命令とあれば、レブナン生涯を課して各長官を見守りましょう」
「ありがとう、助かるよ。この長官になりえる人物もある程度決めておいてくれないかな。それとだ。せっかく王国の領地が広がったのだ。農家の次男、三男のための新たな開拓を計画したい。そのような領地の有効利用を計画する部局も考えてくれないか?
さらに、各部局の範囲も明確化した方が、将来仲たがいをせずに済む。詳細までは無理だろうが、その仕事の範囲をある程度明確にしてほしい」
「了解しました。ところで、今一番悩んでおりますのは刑法でございます。民法の基本はレーデル王国の法を踏襲する考えでございますが、刑法となるとそのままということも出来ません」
「基本は性善説に立った刑法にしてくれ。生まれ持った悪人はいないということを基本にすれば刑は軽くなる。だが、それなりの代価は必要になるだろうし、悪に染まり切った人間を更生させることは難しいに違いない」
私の言った性善説に皆の視線がこちらを向いた。あまり聞かない言葉なんだろうか?
「トリニティ様。性善説とは聞いたことがありませんが?」
恐る恐るラドニア小母さんが問い掛けてきた。
「ん~、どう伝えたらいいか……。人の本質は善なのか悪なのかということなんだ。生まれた人は全て善人だから、正しく教えるなら悪事は行わないというのが性善説かな。その反対に、人は生まれながらの悪者だから、善人になるよう指導しなければならないというのが性悪説ということなんだろうね。
天使に夢の中で聞かされた言葉だから、上手く説明できないところでもあるんだけど、教会の教えも人としての生き方を説いているから、性善説に基づいてるんじゃないかな」
「たまたま悪事をした。次からはそのようなことを止めなさい……。ということでしょうか」
「それに近いかな? 罪は軽く済ませられるだろう? だが、それだと大きな問題が出てくる」
「犯罪者が増えるということですね?」
「そこで罪を軽くするための償いが必要になって来る。コーデリア王国の領民としての地位をはく奪して、犯した罪の重さを労働で支払ってもらう。ある意味、奴隷制度に近いものだ。異なるのは罪人に報酬を払い、その報酬は被害者に渡すことにする。
殺人を犯しても1人ならこれで十分だろう。残った家族に一生涯奴隷として得た報酬が払われるなら、働き手を失ったとしても飢えることはない」
「死刑よりも重そうですが、理解できますな。ですが、中には重罪も含まれると思います」
「当然死刑も考えねばなるまい。だが、それを少なくできるだろう。またその罪の軽重をきちんと裁定できる人物を司法長官としなければなるまい」
かなり難しい裁判になりそうだ。罪があるか否かは銀貨方式で決められそうだが、その軽重の判断は我等ですることになるだろう。
「盗人の初犯は指1本ということが無くなるのですね?」
「それによって被った被害額も問題だろうね。だけど身体刑は奴隷としての拘束で何とかしたいところだ」
3度盗みを犯したら死刑ということにはならないだろう。
奴隷としての日当と基本となる拘束期間は、早めに決めた方が良いのかもしれないな。
「おおよそ以上であります。問題があるとすれば人材不足ということになるのでしょうな」
「人は直ぐには育たないし、新たな領地から人材を集めたとしてもいきなり長官に据えることはできないだろう。兼任、当座の欠員でしばらくは動くことになるだろうね」
思いがけない言葉を聞いたという感じで、レブナンが私に視線を向けた。
「征服地からの人材登用を行うと?」
「この状況だ。仕方あるまい。レブナンの目に適うなら集めて欲しいところだ。だが長官職には着けないよ。補佐までを考えてくれ」
私の言葉に、珍しくレブナンが笑みを浮かべる。
やはり人材不足は深刻だったんだろうな。補佐がいるだけで長官職の仕事はずっと楽になるはずだ。
「今日の話しで、だいぶ陛下の思いを汲むことが出来ました。しばらく城を離れることをお許しください。旧ケニアネス領を一回りしてこようと思っています」
「良い人間を発掘してきてくれ。マクセルも同行させるべきだろう。オーガストなら良い人材に心当たりもあるんじゃないかな。それと貿易港のイオニスとも会談した方が良さそうだ」
難しい話が終わったと知ったラドニア小母さんがワインを運んでくれた。
ここからは、打ち解けた話に変わっても良いだろう。
「ブドウ畑を増やしたいが、北は無理だと思う。適地はあるんだろうか?」
「例の酒造りを大規模にするのであれば、城の南が良さそうです。南の街道に向かって大通りを作れば、東西の荒れ地を全てブドウ畑にしても問題は無さそうですが、管理が追い付きませんな」
「酒の売り上げで日当を払えそうだ。山の民と2つの村に管理を任せることができれば良いのだが」
「区画を決めて移管するのも良さそうですな。とはいえ、歩いて働ける距離ともなれば、下の村は今まで通りに農作物が主体となるかもしれません。全く恩恵がないのも考えものですから、タルや農機具をしたの村に任せるのも手かと思います」
確かに、歩いて2時間以上かかるとなればブドウ畑の世話をする前に疲れてしまうだろうな。
それを考えると、簡単な宿泊施設も視野に知れるべきかもしれない。
先ずは森の向こうにある街道までの道を整備することから始めるか。
「明日にでも山の民の村に行ってみるつもりです。伝えることはありますか?」
「そうだな。種蒔きは終えただろうから、昨年の収穫がどの程度であったかを聞いてきて欲しい。どうにか飢えを凌いでいる状況だろうから税については現状では必要ないことも伝えて欲しい。……そうだ! 一番肝心なことだけど、我等の戦に協力して頂いた恩義は忘れないと伝えてくれないかな。それと手土産を忘れないで」
最後の言葉にラドニア小母さんが笑みを浮かべていたから、すでに用意してあるのだろう。
今回の戦にしても、山の民の戦士や戦士見習いの少年達が参加してくれたから何とかなったようなものだ。
その恩は代々伝えていかねばなるまい。




