3-5 レブナンの長女
朝食を私室で妻と共に取り、妻の肩に抗生物質を注射する。痛そうだけど、これで治るかもしれないんだから、我慢して欲しいな。
薬を飲んだところで今日の予定を聞くと、部屋で編み物をすると言っていた。
「ちゃんと1日、1回は散歩をするんだよ。短い距離で良いからね」
「中庭に行ってみます。行ってはいけない場所はあるのでしょうか?」
「そうだねぇ。マギィさんに頼んでおくよ。昼近くになるかもしれないけど、ちゃんと伝えておくよ」
「ありがとうございます」と笑みを浮かべながら頭を下げてくれた。
この部屋にリンドネスさんを控えさせておけばだいじょうぶだろう。武器の入ったクローゼットと木箱には鍵が掛かっているし、他は本があるばかりだからね。
「それでは!」と妻に手を振って部屋を出る。
皆待ってるんじゃないかな。部隊の編成を変えたいと言っておいたから集まっているはずだ。
1階の会議室に入ると、全員が椅子から腰を上げて私に頭を下げるから恐縮してしまう。
他の者達がいなければフレンドリーな関係で十分なんだけどね。
自分の椅子に腰を下ろすと、レブナンの合図で皆が一斉に腰を下ろした。
後ろに控えていた侍女が、全員にワインのカップを出したところで、部屋を出て行った。
「ひょんなことから妻を迎えたが、あの通りだ。ラドニア、ライアンにマギィは、向こう1カ月の間は渡した薬を朝晩飲んでほしい。死病に取り付かれないための薬だから忘れないようお願いする」
3人が頷いてくれたから、今朝は忘れずに飲んでくれたんだろう。
マギィさんに、後で妻の散歩に付き合って欲しいと伝えたところで本題に入ることにした。
「どうにか王国軍を退けたが、まだあきらめてはいないようだ。隣国からの輿入れも、王侯貴族の陰謀があるようにも思える。
その対応を考えると、次の戦は南の橋を巡る戦になるだろう。だが、前回に懲りて少しは考えるかもしれない……」
西の橋に陽動を掛けて、南から攻め入る相手の戦術を話すと、レブナンが大きく頷いている。
オーガストも、レブナンと顔を見合わせているところをみると、やはり俺の考えるコーデリア領攻略はあり得るという考えを持ったに違いない。
「少し困りますな。西にガロードを張り付けても、少し監視をする範囲が広すぎる。かと言って、私の部隊を南に位置するのも万が一を考えてしまいます」
オーガストの騎馬隊の機動力は優れているのだが、拠点防衛には向いていないからね。
「若様には、隣国の商人に領内への出入りを許可するとの考えがおありとか。そうなりますと荷物改めをせねばなりませんから、東の砦の守備兵を削減することは無理かと思われます」
「オーガストとレブナンの意見はもっともな話だ。だが、ここに小さな砦を作れば、敵はどうするかな?」
テーブルに広げた地図に銀貨を1枚置いた。
オーガスト親子とレブナンがその位置を見て驚いている。ガロード兄さんなんて、口をポカンと開けたままだ。
「西の橋に砦を築く。今でも砦はあるのだが、少し見栄えの良いものにしたい。
できれば橋の西側に作りたいところだが、短期間で作るのは難しそうだ」
「後ろががら空きですか……。見せかけということでしょうか?」
レブナンが砦の絵図を見て首を傾げている・
砦として役立つとは思っていないようだけど、敵に対する心理的な効果は絶大だ。
木造なら火矢で焼くことも可能だが、石造りだとその効果はそれほどないからね。
「貴族領の境に恒久的な砦を作るのは国法が禁じています。ジョンデル男爵が黙って見過ごすとは思いませんが?」
「文句を言いに来たら追い返せばいい。矢で無理ならライフルを使う」
「我等は既にレーデル王国を離れている身だ。国法は我等が作ればよい」
オーガストの言葉に頷くことで、砦の目的が侵攻部隊の抑制であることを暗に示した。
ゆっくりとワインを飲みながら、皆の表情を眺める。ここまでの話は納得してくれたようだ。
「これで西にオーガストを置かずに済む。西の橋の砦にサーデス部隊と私の部隊の半数ずつを配置すれば敵の陽動を受け流すことができるだろう」
「さすがはトリニティ殿。となると南に部隊を移して俺が相手をすることになりそうだな」
がっかりした表情のサーデス兄さんと、嬉しそうに話してくれたガロード兄さんの乖離が大きいな。
ここは、少しサーデス兄さんにとっておきの話をしておくか。
「たぶん、西の砦の正面に敵は殺到っしてくるでしょう。砦の側面に回りこまれないように対処しなければなりません。
絶対に落とされないようにお願いします。西の橋が落とされれば、ガロード部隊が挟撃されてしまいます」
「兄貴思いの俺としては、トリニティ殿の指示は守らねばなるまい。兄貴も、後ろを俺に任せて暴れてくれ」
急に機嫌が良くなったぞ。
暇な任務だと思っていたんだろうな。
「すると私は2つの橋の間ということになるか?」
「お願いします。南の橋とアルデン川の間は民兵に監視をしてもらいましょう。万が一にも渡河するようであれば私達で何とかします」
「偵察騎馬隊を1つ作りたいところだな。だが贅沢は言えん。その時には、すぐに伝令を走らせてくれれば十分だ」
オーガストに頭を下げて了承を示す。
確かに動きの速い部隊がもう1つ欲しいところだ。だが馬に乗って戦える騎士を急に作ることはできないんだよな。
兵士から騎士見習いを経て、ようやく騎士になったところで乗馬の練習が始まるようだ。ガロード兄さん達と一緒になって戦っている騎士を引き抜くにしても、騎馬隊としての技量にはまだまだ満たないのが本音らしい。
とはいえ、それも1つの方法ではある。
「どうでしょう。ガロード、サーデス部隊から指揮を執る騎士だけを残して、オーガストの騎馬隊に加えられませんか?」
「私の部隊からだと、5人になるのか」
「私もそうなりますね。父さんの部隊が2倍になるということですか……」
「直ぐには、慣れぬだろうが1年も訓練を一緒にすれば使えるだろうな。だが、現状では渡河した兵士を倒せば良いことだ。騎士であれば十分だ」
地図上に改めて部隊配置を描いたところで、会議を終える。
ラドニアおばさんが侍女に改めてワインを運ばせるために席を立って隣室に向かった。今では私の乳母として動いてくれている。本当は亡き母様の次女だったんだけどねぇ。
「それにしても大胆な作戦だな。ガロードもサーデスを手伝うんだぞ。ジョンデル男爵に知られる前に、ある程度の形を作っておかねばなるまい」
「サーデス。そう言うことだ。たぶん村の石工とトリニティ殿の間の約束事があるんだろう。石工と早めに打ち合わせをして、トリニティ殿の計画を引き継ぐのだぞ」
兄貴と父様に諭されるような言葉を、恐縮しながらサーデス兄さんが聞いている。
年明けを待たずに色々と始めそうだけど、あまり動かぬようにライアン姉さんに伝えて貰おう。
改めて、ワインのカップを掲げたところで皆が部屋を出て行った。
さて、私も戻ろうか……。妻が退屈しているに違いない。
しばらくは手を触れることも無いだろうが、半年も過ぎれば治療が終わるはずだ。
「トリニティ様、少しお話があるのですが」
地図から声の方向に顔を上げると、レブナンが先ほどと同じ場所に座っていた。領内はレブナン任せにしているのだが、コーデリア家の貯えが底をついたのだろうか?
「税不足ということか?」
「そうではありません。王宮からの報酬は得られませんが、コーデリア家の貯えと山の民からの贈答品で数年以上耐えられます。それに、穀物税収は男爵時代よりも上向いておりますし、ワインの生産量も年々上がっておます。実は……」
レブナンには男女の子供がいる。私よりもずっと年上で、ガロード兄さんよりも上だ。長男のマクセルはレブナンに帳簿の付け方を習いながら、弓の稽古を欠かしたことが無い人物だ。
寡黙な性格だから、いつも父親の一歩後ろにいる人物で、ライアン姉さんもあまり見ることがないらしい。
会議にもレブナンが出ているからマクセルは表に現れたことが無いが、この状態だから、今は東の砦で弓兵を率いているはずだ。
レブナンの話は、長男のマクセルではないらしい。
「王都に輿入れしたアイシャより文が届きました。家族を伴ってコーデリア王国に戻りたいと言っているのですが……」
何と王国軍の士官に嫁いだらしい。レーデル王国の治世は乱れ始めているからなぁ。
王国軍を離れたいと願う気持ちは理解できる。
問題は、夫である王国軍の小隊長という肩書もさることながら、部下を率いて落ちると書かれていたらしい。
「騎士40人を率いているはずです。文面からすれば、その家族も一緒ということになるでしょう。一緒にやって来る騎士の数は書かれておりませんでしたが、アイシャ夫婦だけならと考えるしだいです」
「騎士が増えるのはありがたい話だ。できればオーガストと相談してくれないか。私は賛成したいが、コーデリア王国の軍務を束ねる者の意見は必要だということにしたい」
私の話しで、少し肩の荷を下ろした表情をしているところをみると、オーガストの内諾を取っているに違いない。
早めに王国を見限ることができる人物であれば、問題はないのかもしれないな。
レブナンが部屋を出るのを見届けて、私も私室に引き上げることにした。
私の妻にも仕事を与えた方が良いのかもしれないな。
治療はまだまだ続くだろうが、治ったならと考えるのも治療の助けになるだろう。
私室に戻ると、暖炉傍にカトレニアが座って、リンドネスさんに編み物を教えて貰っている。
私の行っている治療が、カトレニアの病魔を退散さねてくれるに違いないと信じてくれているようだ。
「お戻りになられましたか。今、お茶をご用意いたします」
「そのままで良いよ。ワインを飲んできたからね」
カトレニアの傍から慌てて立ち上がろうとするリンドネスさんを手で制止したところで、暖炉の傍に歩いて行った。
暖炉の左手が私の席だ。腰を下ろして妻となった少女の手の中で踊る毛糸針を眺める。
「恥ずかしいですわ。あまりジッと見ないでください」
「ごめん、ごめん。ところで、約束は?」
編み物の手を休めて、膝に広げたショールの中に作りかけの編み物を乗せると、私に顔を向ける。
「マギィ様の案内で中庭を一回り、その後に城の北で兵士達の訓練を眺めてまいりました。マギィ様が昼過ぎにもう一度、と言ってくれましたから、明日からは私達で巡れそうです」
「少しずつ、距離を伸ばしてくれ。部屋に閉じこもるのが病には一番悪いと聞いたからね。
ところで、城を巡ったなら、分かったかもしれないけど、今は戦の最中になる。城の次女や城勤めの男達も東の国境を守るために砦に向かってしまった。
カトレニアにも、病魔が退散したなら直ぐにでも手伝って欲しいんだ。何がしたいか、何ができるかを考えておいてくれると助かるんだけどね」
「私にできることですか?」
編み物を足元に置いた小さなカゴに戻しながら、輝いた目を私に向けた。
「そうだ。カトレニアは知らないかもしれないけど、現状を話しておかねばならないだろうな……」
昨年の飢饉からの出来事を簡単に話すと、両親が斬首になったことを知って驚いている様子だった。
たぶん、カトレニアの両親は真相を話していなかったんだろう。私が王国の領地明け渡しを拒んで、王国とも戦をしていると聞いて口に手を当てながら目を見開いている。
隣のリンドネスさんはある程度事情を知っているのだろう。私の話をうつ向いて聞いていた。




