0-1 エクシアという存在
ちょっと速度オーバーかもしれないな。
いつものカーブを曲がるのに、傾けた側のステップが路面で火花を上げていた。
暴走族ではないんだからね。
塾帰りの県道は町の灯りが途絶えたこの辺りは真っ暗だ。俺のバイクから伸びるライトだけが前方を明るく照らす。
時刻はすでに9時を回ってる。夕食を食べずに家を出たから、お腹がぺこぺこだ。
高2の頑張りが、大学入試に直結するらしいから姉の勧めで塾に通い始めたけど、バイクが無ければ通うこともできないのが田舎の不便なところだ。
カーブ注意の標識が見えてきた。90度近い左カーブで、周りが林だから昼は注意が必要だけど、夜間はヘッドライトで対向車が分かるのが良い。
対向車線にはみ出して、内側に体を倒しながら後輪のブレーキペダルを踏む。
後輪をロックさせない状態にブレーキを掛けられるようになるまでどれだけ転倒したことか……。
後輪が外側に流れ始めたところで、さらに車体を内側に倒す。路面にステップが接触して火花が上がった。
カーブが終わったところで姿勢を基に戻す。次のカーブはもう直ぐだ。
速度を落とさずに曲がる姿を誰かに見せてやりたいけど、周囲には誰もいない。それに昼間だったら対向車が来るかどうか分からないからね。
ちょっとスリルのある俺だけの楽しみということになるんだろうな。
「何だ!」
カーブの前方に停まっていたダンプカーに気が付いた時には、俺の体は衝撃と共に宙に舞っていた。
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ここは、……どこだ?
辺りを見渡しても、白い光だけで何も見えない。まるで霧の中にいるようだ。
体を動かそうとしても、全く体が動かない。
いや、動くべき体が存在しないのかもしれない。指を動かそうとしても動かした感触がまるで伝わって来ないのだ。
瞼を閉じても開いても、周囲は白い光で満ちている。
あの事故のせいで、寝たきりになってしまったんじゃないだろうな? せっかく明日は塾も学校もない日曜日だったのに……。
口も動かないし、目も見えない。つまらない余生を送ることになりそうだ。
ん? ちょっと待てよ。俺は呼吸をしてないんじゃないか!
ひょっとして、すでに死んでしまったということも考えられるぞ。
ここが噂にきくあの世ってこともありそうだ。
このままの状態がずっと続くんだろうか?
色々と宗教本も読んでみたけど、やはり魂を救済する存在は無いのかもしれないな。このまま意識が周囲の光の中に消えていくだけなのかもしれない。
何もすることが無いし、出来ない状態が続いている。こんな状態で、自意識だけが存在するというのもおかしな話だ。
ずっと、このままなんだろうか?
周囲の光も一様で変化がない。刺激のない世界というのが恐ろしくもある。
途方に暮れた時間がどれだけ続いていたのだろうか? 俺を取り巻く空間の一部に光が現れた。
周囲も白い光に包まれてはいるのだが、その中で一段と輝いた光だ。
ようやく表れた変化の兆しに、その光に注目する。
少しずつ大きくなっているのは、俺に近づいているのかもしれない。
ついには、目を開けていられないほどの強さになってんだけど、閉じるべき瞼の存在も俺にはないようだ。
『幸田 俊樹さんですね?』
目の前の光から聞こえてきたのかもしれない。音とは違って俺の頭に直接聞こえてくる感じだ。それでも、声の主が若い女性の声だと分かるのがおもしろい。
年齢はよくわからないけど、おばさんの声とは少し異なる感じだから、それほど年齢差は無いのかもしれないな。
『そうですけど、貴女は?』
言葉を発しようとしても俺には言葉を出すこともできないから、光に俺の思いを伝えたことになるんだろう。
『貴方は、すでに肉体を失った身です。魂だけの存在と言った方が理解しやすいかもしれませんね。私はエクシアと呼ばれる存在の1つです』
エクシア? 俺の記憶を大急ぎで調べて、その名を探す。『存在の1つ』と言っているから団体の1つかもしれないな。個人名ではなさそうだ。
最初に浮かんだのがエクレアだったのは、甘党の俺には仕方のないことなんだろう。
確かエクレアの語源は、表面に出来るヒビ割れを稲妻に例えたと聞いたことがある。
稲妻と言えば力の根源ともいうべき存在……、ひょっとして第6位の天使じゃないのか? 一番物騒な天使だとオタクの友人が教えてくれた気がする。
『貴方のような存在が、俺に近づく理由が分かりません。俺は何もできない男ですよ』
『その辺りは、私の上位にいる存在が知ることで、私も理解できないところです。10月10日の9時15分生まれの、天秤座の貴方ならできると言っておられましたよ。貴方に1つ頼みたいことがあります。その条件として、ある程度の要求を叶えましょう。ある意味契約ともなりますから、よく考えてください』
やんわりと人違いであると告げたんだが、エクシアは俺が目当てだったらしい。
誕生日は合ってるけど、俺って9時15分生まれだとは知らなかったな。
上の天使が間違えたということもあるんだろうが、指示を受けた以上それなりの成果を出さないといけないのは、どの世界も同じなんだろう。
それにしても、天使は彷徨える魂と取引をするってことなのか? そんなことが宗教家に知れたらとんでもないことになりそうだけど。
互いに時間はたっぷりとあるようだ。先ずは話を聞いてみよう。
エクシアの話は、俺の脳裏に直接語り掛けてくれる。もっとも俺は肉体を持たない存在らしいから、俺の魂に直接語り掛けてくれるんだろう。話の要所では映像も見せてくれるから退屈しのぎには丁度いい。
エクシアの教えてくれたと話によると、この世界にはいくつもの世界があるらしい。いわゆる平行世界ということなんだろうな。
そんな世界の営みに対して、間接的に干渉できる存在がエクシア達になるらしい。まさしく神の眷属ということに他ならない。
だけど……、間接的な干渉で済めば良いのだが、中には積極的な介入も必要な世界もあるとのことだった。
『とある世界のハーモニーが破綻しかけています。これを何とかしたい、ということが私の依頼となります』
『事故の前は、ただの高校生ですよ。力になれるとは、とても思えませんが?』
『貴方が了承してくださるなら、それなりの対価を与えることができます。私の上位者によれば、10月10日生まれの貴方なら心に天秤を持っているとか。その天秤の傾きを見ながら、世界を導いてください』
生まれた星座で俺を選んだというんだから、かなり適当な感じもするけどね。
善悪のバランスともいうべき天秤を俺が持っているとのことだが、そんな話は星占いにも無かったんじゃないか。
でも、エクシアの語る言葉は真剣身を帯びているから、エクシアは信じているんだろう。
とはいえ、受ける受けないを考えるには、先ずはその世界をもっと知らねばなるまい。俺が住んでいた時代よりも過去なのか、未来なのかでかなり欲しいものが違ってきそうだ。
そんなことを考えた次の瞬間。俺の脳裏に異世界の光景が現れた。
庶民の暮らし、王侯貴族の暮らし、それに戦の様子が浮かんできたが、これだと西洋の中世と呼ばれる時代になるんじゃないか?
それに、どう見ても戦の最中に広範囲に火柱が立ち上がったのは魔法以外の何ものでもない。それに頭に角の生えた奴や、羽を持った奴までいる。
『魔法が使える世界! ……魔族までいるのか』
『俊樹さんはこの世界の人物です。魂となってもそれは継続されますから、魔法は使えませんよ』
何だって! となると、あの世界のハーモニーを確認して調整するとなれば、俺にはとても出来かねる仕事になってしまう。
能天使とも言われる存在なんだから、それぐらいは出来るんじゃないかと思っていたんだけどねぇ……。
『俺が暮らしていた世界の知識と道具。それと、この時代の人達の持つ能力を使って、ということでしょうか?』
『おおよそ、その通りということになります』
これは困った。あんな物騒な世界に放り込まれたら、その日の内にこの場に戻ってきてしまいそうだ。
少なくともアスリート並みの体格と能力が欲しい。知識は少し補完して欲しいところもあるな。
あの世界で再現できる武器で軍隊や魔族とやり合うとなれば、銃……、ということになるんだろうが、どう考えてもあの世界では火縄銃ができればいいところだろうな。
火縄銃で魔法使いや魔物に挑むなんて無茶もいいところだ。
それに、剣で斬り合うなんて俺には出来そうもないから、少しは心得が欲しいところだ。
『銃であればなんとかなるでしょう。さすがに、大砲やミサイルはむりですね。銃弾の補給が必要であることも考慮してください。補給は閉鎖空間を使って取り出せるようにします』
『一生に一度では問題ですよ?』
『俊樹さんを担当する世界に送った時に1回、その後は年に2回。春分と秋分の日を過ぎれば取り出せるようにしましょう。取り出せるものは武器に限定しません。それらが収納できる空間に納まれば良いだけです』
出来れば、コンテナ1台分は欲しいところだ。直ぐに1個中隊はできるんじゃないか?
そんな思いを脳裏に浮かべた途端、エクシアから打ち消されてしまった。
なるほどね。ここから交渉が始まるわけだ。
先ずは、空間の大きさだ。その次は重量ってことかな?
少しずつ収納できる空間が縮小される。それに取り出せる全体重量も、やはり制限が掛かるようだ。
交渉はエクシアの方が上だ。ひょっとして、俺が初めてではないのかもしれないな。どんどんと望みが縮小されていく。
最終的な空間の大きさは、俺の入っていた棺桶の大きさというのが問題だな。重量は俺の体重の2割増しの値を切り上げてくれるらしい。ちょっと得した感じだけど、よく考えてみると80kgなんだよな。
ライフル銃の重さは5kgほどじゃなかったか? となれば、1度に取り出せる銃は十数丁になってしまう。弾丸だって重さはあるから、それほど大きな部隊を作ることが出来そうにない。
少し少なすぎるんじゃないかな? そんなもので、剣と魔法の世界の善悪のバランスを調整できるんだろうか?
誕生日に40kgを余分に頂けることになったことと、汚れを落とす『クリーネ』の魔法が使えるようになったのは、俺の交渉の唯一の成果なんだろう。
お風呂が無い世界だと聞いた時には、軽いショックを受けたんだよね。体の汚れを落とす魔法があることで、風呂が必要なくなったのかもしれないな。
そんな日常生活で使われる低級魔法は生活魔法とも呼ばれているらしく、ちょっとした村には必ずある教会の神官が教えてくれるそうだ。
『【オプナ】で空間が開き、【クラド】で閉じます。毎年3回、取り出す前夜に中身を思い浮かべてください。ですが、制約以上に荷を入れることはできません。
それと剣の心得ですが、トシキさんの暮らした世界を考慮して刀を使えるようにしてあげます。体はアスリートの定義が不明確ですが、将来性のある体を用意しましょう』
かなりいい加減なところもあるけど、その日の内に、ここに帰って来ることはなさそうだ。
『最後に言葉と文字についても、向こうの世界で使えるようにします。これで問題ありませんか?』
『願ったりだけど、結局何をすればいいのか、もう一度教えて欲しい』
『偏った世界に調和を取り戻してください』
『俺の出来る範囲……、ということで良いのかな?』
『俊樹さんの感性にお任せします』
となれば、正義と悪が混然となった世界ということなんだろうな。どちらかに偏りすぎてもダメだということになる。それで天秤ということになるのかな。
俺も自分が常に正義かと言うと怪しいところもあるから、それで十分かもしれない。要するに、『自分の暮らし易い世界を目指せば良い』ということに違いない。
『分かりましたね。それを目指してください。それでは、向こうの世界に送ります』
その思念が俺の脳裏に届いたとともに、目の前の輝きが少しずつ小さくなっていく。
途端、俺の体が落下を始めた。
実際に落下しているのではないのだろうけど、落ちていく感覚がだんだんと大きくなり、俺の意識が遠くなっていく……。