第97話 晴天と陽光 1
『......すけて』
『......』
『......助、けて』
瓦礫の重圧に耐えながらも、少年は手を伸ばす。辺りは業火と怒号で満ちていた。現状に絶望する。よもや、このキングプロテア王国の王都でこんなことになるとは思ってもみなかった。
クーデター。次期王座を賭けた十数人にも及ぶ王子たちの戦争の末路。この住宅街はあろうことか、国の大英雄ハイゼルバーン王子に焼かれ、住民は虐殺された。もう誰が勝っても滅ぶのではないか? 誰も信用できない。
とにかく少年は生きたかった。瞳に映った人影に出来得る限りの声で助けを求める。掠れて叫べなかった。それでももがき続ける。
『フン、小童がよく生き延びれたものだ』
人影がはっきり見えるようになる。少年の前に現れたのは地獄の業火に似合う人間だった。彼がこの地獄を生み出したといえば、皆信じるだろう。しかし、それはハイゼルバーン王子であって彼ではない。
獅子? 修羅? 羅刹? 鬼? 視線を合わせるだけで、辛うじて繋いだ命の灯火が消し飛びそうになる。そんな形相の男。
『お、お願いします......助けてください』
『死地とは己が足で駆けるものよ。見事、その瓦礫を押し退け、俺の下まで歩めたのなら拾ってやろう』
何を言ってるのだ? 少年は頭が真っ白になる。その瓦礫が問題で動けないのに、この男は自力で抜け出せといった。
『貴様が今手を伸ばしている相手は誰だ?』
『......?』
『聖人? 違うなッ! 神? 否ッ! 生きたくば示してみろッ! ここで死ぬ人間ではないと全てを懸けて主張してみろッ! 死んだらそれまで......この俺に救いを求めるとはそういうことだッ!』
周りの喧騒をかき消す叫びがこだまする。
『ぺ、ペルセラルゥゥゥゥゥアアアアッ!』
と、そこで横から金切り声を上げながら、修羅に襲いかかる人間がいた。ハイゼルバーン王子だ。かつて数多の戦場にて輝かしい功績を重ねた男。キングプロテア王国の次期国王候補にして、希望だった男。そして、何故か彼はこの場を地獄へと変えた張本人だ。
少年は目を疑う。擦り切れた衣服に、砕けた鎧、欠けた剣。今の彼にはかつての栄光など無かった。勇ましく、爽やかだった顔立ちも、苦痛と憎しみに染まった醜いものに変貌している。額に浮かんだ六花の紋様だけが酷く綺麗で神秘的だった。
完全なる不意打ち。戦場を知らない子供でもわかる卑怯な一撃。英雄と称されるだけあって、強大な威力と速さを誇る一撃は、誰にも躱しようのないものだ。
『貴様では話にならんッッ!』
さらに少年は目を疑う。修羅が一喝し、白銀の光に包まれたかと思うと、彼の右ストレートがハイゼルバーン王子の顔面に沈んでいた。そして、力一杯振り抜く。地面に打ち付けられるだけにとどまらず、ハイゼルバーン王子は高く跳ね、何度も転がる。
彼は再び少年へと向き直る。
『生を摑み取れッ! 歩むことを怠るなッ! その意志が無ければこの先、俺の元では生きていけんッ!』
『くそッ......くそッ......痛え、痛ぇよぉ! 人間風情がぁよくも俺の覇道をッ! 俺の輝かしい未来をぉぉぉ』
『......小童、よく見ておけ』
のたうち回るハイゼルバーン王子に歩みよる修羅。彼の右手に再び白銀の光が宿る。
『これから貴様の手を伸ばし、縋りつこうとするこの俺をッ!』
振り下ろされた拳と共に、視界に広がった地獄が真っ白に塗り替えられていくのであった。
◆
生き延びたことは奇跡だと今でも思う。成り行きで彼についていくことになったのだが、やはり自分の性に合うのはこちらの分野だろう。
「ふっ、全然似てないっすね」
「......何が?」
ゼデクの肩に治癒魔法をかけながら、少年は笑った。
「不思議なもんすよ。先輩、本当に団長の弟子なんですか? 今、この場にあの人がいたら、そのまま放り出されて首獲ってこいって言われますよ」
「それを言われるとぐうの音も出ない」
ゼデクは目をそらした。彼の気質なら言いかねないだろう。何なら一度後退した時点で殺されるまである。
「いやぁ、でも勝つの無理でしょ。バケモノじゃないっすか、アレ」
「......」
“晴天”が暴れる様を見る。暴れるというより、一方的な虐殺に近かった。蒼炎があらゆるものを飲み込み、刀が振るわれる度、何人もの命が刈り取られる。バケモノだった。あれだけ強者揃いだったペルセラルの部隊員でさえ、容易く斬り捨てられるのだ。その強さは七栄道やオスクロルを彷彿とさせる。
しかし、速度を下げたお陰か、エドムが数合撃ち合いを見せてくれたお陰か、徐々に目で追えるようになってきた。
ひょっとしたら、今度こそは戦えるかもしれない。無謀とも思える闘争心が湧き上がる。
「......今のうちに逃げましょうよ。傷がある程度治ったら内緒で逃がしてあげますよ?」
「有り難い話だけど断る。これを逃したらアイツと戦うのは最後になるかもしれないしな」
「いや、戦ったら死にますって」
ついさっきあっさりと負かされた相手だ。当然、底はまだ見えていない。
「でも俺は時間がない。もっと強くならないと自分の願望を叶えることができない」
「......は?」
意味を理解できない、という顔をする少年にゼデクは続ける。
「アイツが千日紅国の頂点だ」
「何を当たり前のことを......」
「で、そんな奴が残り三国分ある」
ルピナスの“暴君”、オスクロルだってそうだ。互角に近い戦いができたのは一瞬だけ。結局、1人だけじゃ太刀打ちできなかった。
「これから先、六国の強者と戦っていくなんて戯言ならべる必要があるなら――」
文句の余地もなく、胸を張ってレティシアを迎えに行くには――
「ここは逃げてる場合じゃないし、勝てたら最高の一歩だ」
「死んだら意味ないですよ?」
肩の痛みが引き、軽くなる。それなりに治ってきたのだろう。ゼデクは立ち上がった。側にある誰かの刀を拝借すると振り返り、
「死んだらそれまでの人間だって笑ってくれ。肩、治してくれてありがとうな」
苦笑いする。少年の目が見開かれる。表情は全然違うのに台詞のせいか、どこか修羅の面影を重ねてしまった。
「気が狂ってますね」
「それだけのことを望んでるだけだ」
エドムが限界を迎えてる。早く行かなければならない。彼が死ぬ前に、エスペルトやライオールに介入される前に。
ゼデク・スタフォードは足を踏み出した。
◆
「君は今、誰の前に立っているかを知らない」
ゼデクの刀を持つ“晴天”。彼の侍らせた蒼炎が、妖しく光を灯す。他人の刀だというのに、酷く様になっていた。まるで元から彼の物だと言わんばかりに妖しく光る。
「千日紅国の頂点。“晴天の暁”。十分にわかってるつもりだ」
対するゼデクは、そこらで放り投げ出されていた刀。誰かのを拝借したものだ。加えて先の力量差。勝てる見込みは少ない。
「......そこが人の底よな」
冷えた声とは裏腹に、ゼデクの周囲の温度が上昇した。上空の蒼炎だ。エドムに対して終ぞ使われることのなかった蒼炎の一部がついに動き出した。
ゼデクは全身全霊で炎を引き出し、自身を囲むように展開させる。今のゼデクに、彼の蒼炎を防ぐ術はそれしかなかった。
仮にそれが叶わぬ場合、今まで積み上げてきた努力、経験、夢、全てが水泡に帰す。
「君の魔力量も尋常じゃない......但しこの時代に関しての話だが」
茜色を蒼が包むのと同時に、暁は刀を振る。ゼデクの周囲で大爆発が起こる、はずだった。
「......?」
その時、暁の胸中に違和感が広がる。寒気と得体の知れない気色悪さで構成された違和感。やがて、あれだけせめぎ合っていた炎が全部失せ、ただ残された少年だけがこちらに駆けてくる。
絶対に免れない爆発。なのに不発に終わる。はやくも生死の境目で戦うことになったためか、彼は違和感に気付いていない。そして、追い詰められた鼠が如く、自身の力を存分に発揮し始めている。
暁は間髪いれずに蒼炎を注ぎ込み続ける。だというのに、ゼデクに触れた瞬間、何故か蒼炎が消える。距離を詰められた。初撃で倒れた者と同一人物とは思えないほど速くなっていた。
彼は頭上に飛ぶ。暁の脳天を打ち破らんとばかりに刀を背まで振りかぶった。ありったけの炎を込めて。
「......!」
刹那、暁は気付く。違和感の正体を、殺意の正体を。自分が畏怖しているだろう要素が全て彼の込めた炎の中にある。
暁も蒼炎を纏う。あえてゼデクと同量の蒼炎を纏った。そのまま刀を交差する。するとどうだ?
互いに込められた炎だけが消えたではないか。残された衝撃だけが、手を震わせる。
「あぁ......そうか」
暁の瞳に憎悪や嫌悪が灯される。異常な変わりようだった。思わずギョッとするゼデク。
「毒婦め......いつか巡り会うとは思っていたが、そこに居たのか」
「......?」
「解せんな。もっと相応しい者なぞ大層いるはずだ。なのに何故貴様は童などを選んだ?」
「何言って――」
「己の選択を悔い、滅しろ」
ゾクリ、とゼデクの背を悪寒が駆ける。即座に身を退いた。直後、元いた位置に左右から蒼炎の波が押し寄せる。
「少年よ、君自身は空っぽだ」
奥から声がした。
「誰に利用されているかは知らない。だがそのまま進んだ先に待っているのは更なる地獄しかない......気が変わった」
あれ程憎悪を振りまいていた顔が一転、今度は憐憫で満ちた瞳がゼデクを捉える。
「私の手を取れ、導いてやる。それが君にとって1番の安らぎになるだろう」
ただ、器として選ばれた少年を――




