第84話 春霞と子兎 2
幼い頃からだろうか、少女は追い続けていた。
『流石はクレール様の妹君! 飛び抜けた幻惑魔法でございます!』
いつまで経っても姉の背を追い続けていた。
『流石はクレール様につぐ幻惑魔法使い!』
そんな言葉ばかりが耳に入る。クレールの次、クレールの妹。彼女はずっと姉の後ろで燻り続ける。オリヴィアがどれだけ努力しようと、姉に追いつくことはなかった。
いっそ才能なんて言葉で片付けられたら楽になれたが、その淡い希望すら打ち砕かれる。
『あぁ、見られちった』
バツが悪そうな顔をする姉、クレール・ローレンス。ボロボロになってまで修行を重ねる彼女もまた、とんでもない努力家だった。みんなは知らない。人1人に幻惑魔法をかけるのに、どれだけの負荷がかかるか。高度な幻想を再現するのに、どれだけの歳月が必要だったか。少なくともオリヴィアは、十数人かけた段階で鼻から血が出て、目眩がした。
オリヴィアが努力する以上に、クレールは努力していたのだ。そんな姉をオリヴィアは妬まなかった。むしろ尊敬した。嫌悪すべきは、いつも比較する人たち。そして半ば諦めてる自分。
姉は決して誇張もせず、卑下もせず、ただひたすらに努力を重ねる。だからきっと、彼女に追いつけない。負の感情がオリヴィアを襲った。
でも、もし自分がクレールのような存在になれたら、と考えることはあった。もし、そんな強さが自分にあったら、レティシアを1人にすることも、ゼデクが苦悩することもなかったのではないか? 仲間ももっと楽できて、自分も認められて......ありもしない幻想に彼女は浸る。
ゼデク。ゼデク・スタフォード。彼は自分と違い、卑屈にならず努力を重ね続けていた。ひょっとしたら、クレールを越える努力家かもしれない。最初はオリヴィアよりも弱かった。魔法も微弱で頼りない。
オリヴィア含め、4人の最終目標は彼をレティシアまで送り届けることだったので、自分たちが頑張ったり、途中で捨て駒になるのかな、と彼女は思った。
なのに気付けば彼はオリヴィアたちよりもずっと先に進んでいた。弱いくせに、あーだこーだ理由を付けて、ぐだぐだ引きずって、結局彼は弛まない努力で強くなってしまった。一時的とはいえルピナスの暴君、オスクロル王を相手に互角に戦うまでに。知らぬ間に、彼女の方がゼデクに抱えられている。
姉の扉を叩く。
『んー? 話ってなーに?』
幻惑魔法の修行後だと言うのに、彼女は妹に対して平然と振る舞った。憧れの存在。今追いつくことは不可能かもしれない。でも、諦めることだけはやめようと思う。なんせ、弱っちい彼でもできたのだから。自分だけ諦めるのは、とてもカッコ悪い。
『姉さん......私も強くなりたいです。私にも姉さんの修行法を教えて欲しいの』
『厳しいぞ〜?』
『問題ありませんッ! 元気はもう貰いましたから!』
だから今日も、これからも、オリヴィア・ローレンスは笑い続けよう。いつも通り、明るく元気な笑みで――
◆
「なんだ。クレール・ローレンスかもって聞いてたけど、小さなガキじゃねぇか。警戒して損したぜ」
意味を少しずつ咀嚼する。
「うるせーッ!」
ガゼルがオリヴィアを抱えたまま、言葉を吐いた兵士を蹴り倒した。そのまま踏んづけると、さらに続ける。
「今に見てろよッ! 此処にいるのは将来六国一の幻惑魔法使いになる、オリヴィア・ローレンスだ、覚えとけッ!」
「おい、馬鹿! 何バラしてんだ!」
ペルセラルの兵が止めに入る中、オリヴィアはハッとした。意識が表に戻る。
確かにクレールには及ばない。だが、目の前にいるコイツらはもっともっと及ばない。姉から見れば虫けら同然の幻惑魔法使い。オリヴィアに火が付いた。
「そうだ......こんなところで足踏みなんてしてられない」
今ここで彼らに負けるようでは一生追いつけない。姉を追い越せない。今日も今日とて彼女は進む。やることは変わらない。むしろ、自分にはそれしかできない。いつの日も進み続けたゼデク・スタフォードのように――
「一点突破じゃあああああああああああああああああああああああッ!」
「合点承知ッ!」
オリヴィアを背負ったガゼルが走り出す。周りの兵士が彼女に狙いを定める。誰もが蛮行と嗤った次の瞬間、音は鳴り響いた。
カチリ。
「......?」
千日紅国の兵士は耳を傾ける。すると聞こえる。音が聞こえる。時計の音? 秒針の音? 歯車の回転にも近い音。そんな音がリズムよく刻まれる。
カチリ、カチリ、カチリ。
「......花畑?」
赤、白、黄、桃、パッと見ただけでも色彩鮮やかだとわかる花々が視認できた。こんな戦場に綺麗な花畑。なんで? 答えは1つしかない。この少女の術中にハマったからだ。気付けば兎も足元で走り回っていた。
兵士はギョッとする。さっきまで敵兵が化けてたソレが走りまわっているからだ。彼らは急いで斬りかかる。全く手応えがない。フワッと煙のように消える。
今度は眼前に兎が跳躍してきた。兵士の胴が分かれる。もうわけがわからなかった。
“不思議なお花畑のウサギたち”
彼女の魔法が“春”全体に浸透した時、彼らの敗北は覆らぬものとなった――
◆
「......?」
敵が防備の厚い自軍に包囲されているだろう地点。少なくとも、殲滅するだけの包囲網ゆえに、春月がいる場所は比較的静かだった。だというのに突然、包囲網から声が沸いたかと思うと、その喧騒がこちらに伝播してきた。
カチリ。
怪しげな音を春月は拾う。そして、即座に理解した。自分は今、敵の幻惑魔法にハマりかけている。当然、張り合うことはできるだろう。しかし彼は、戦場一帯にかけた幻惑魔法にリソースを割いている。
それを解くか否か一瞬迷った。その迷いが致命的な判断ミスになるとも知らずに――
僅かな時間。1秒足らずの時間で、自身の足元に花畑が広がる。
「全員、一回魔法を解け! 今は抜け出すことに専念しろ! ......うわっ、なんでこんなにメルヘンチックなものにしたんだ」
すぐに幻惑魔法を解いて、立ち上がる。目視できる範囲まで、兎の軍団が迫っていた。足元にも数匹兎がいるが、これはダミーだと気付く。でもそれは“春”の中で頭一つ抜けた春月だからこそ気付くことであって、他の兵士では無理だろう。
「足元の兎はダミーだ! やけに素早い奴を注視しろッ!」
一応、檄を飛ばす。もう手遅れかもしれない。春月はこの状況で、1番被害を抑えるよう、思考を変えた。
術者を探す。彼はある程度、術中から抜け出し、人を視認できるようになっていた。敵側もこちらを仕留めるべく、向かってくる筈だ。範囲を考えるに、きっと敵の幻惑魔法使いは1人のはず。本体さえ叩けば状況を打開できる。と、そこで左右から巨漢が2人襲いかかってくる。
「......俺基本、後方支援だけど、それなりに刀は扱えるんだよね」
それらにだけ幻惑魔法を集中させる。敵の焦点を狂わせて、刀で斬り捨てた。春月は笑ってみるものの、全く余裕がない状況を改めて認識する。
やたらと力量がある兵士。おそらく中央にいた黒甲冑の部隊員が紛れ込んでいる。春月の眼前でさえ複数いて、これらを全て対処しなければいけなくて......
「これ、かなりしんどくてウンザリす――」
......腹部に激痛が走る。春月は自身の右脇腹を見つめた。剣が刺さっていることがわかったところで視界が揺らいだ。
油断した。彼が侮ったことは2つ。1つは敵の部隊少数で、それらを数だけで圧倒できると思ったこと。そして、もう1つは敵の術者が自分と同等かそれ以下であると判断したこと。
「くそ......」
「春月様ッ!」
倒れそうになるのを隣の兵士が支える。すると、2匹の兎が目の前で止まった。それが歪み始めた時、春月はようやく理解した。
「君が......術者か」
半裸の少年に背負われた少女が姿を現わす。鼻血がダラダラで、息も上がっていて、彼女も必死なのが伝わった。
ギリギリまで2人が兎に見えていた、これが意味することは春月がこの瞬間、彼女に劣っていたということだ。やはり実力を隠していたのか、あるいは戦場で何か、成長のキッカケを掴んでしまったのか。
「いずれにせよ酷いなぁ......クレール・ローレンス......最初から対抗してくれないせいで......油断しちゃったよ」
すると少女と半裸の少年は叫ぶ。
「クレール・ローレンスだとぉ? 私の名はぁーーーー! ゥオリヴィア・ルォールェンスだぁあッ! お前如き三下が姉さんに挑もうなんざぁ3000年くらい早いわ! 出直してこいッ!」
「そうだ、そうだ! 急所は外してやったッ! 運が良かったな色男ッ! 出直してこいッ!」
ふざけた捨て台詞を生真面目な表情で吐くと、彼らは部隊ごと撤退していった。春月は呻く。
「嘘だろ......俺、アレに負けたのか」
「春月様、急いで撤退を――」
「ダメだ、まだ行ける......あいつらが逃げる前に囲......」
視界がグラグラする。何の目的があってか知らないが、せっかく敵が撤退したというのに、肝心の幻惑魔法が春月を縛り続ける。少なくとも今、戦場に復帰することは叶わなかった。
今ここで退けば、秋仙たちの負担が広がる。自分だけここで退くわけにはいかない。なんど言い聞かせても、身体が動かない。
「お前ら! 春月様を連れて撤退しろッ!」
側で叫ぶ兵士の声がぼんやりと聞こえる。
「ごめん......紅葉ちゃん......」
油断した自分を呪いながら、彼は意識を手放した。




