第81話 荒天と奏音
昔、千日紅国に1人の少年がいた。彼は幼くして光を失った。ある日、突然何も見えなくなる。視界という情報が何かも失われる。その恐怖と新たな情報収集方法の模索によって、異常な聴覚発達を遂げた。
その頃から千日紅国は凄惨な国だった。別に生活水準が著しく低いわけじゃない。滅亡に瀕してるわけではない。でも、確かに呪われていた。耳を傾けてみれば、脳裏に醜悪な世界が広がる。
それが酷く憎かった。ウンザリした。どうしてこんなにも耳障りな音ばかりが広がるのだ、と憤慨した。
「......聞こえる」
光を失って初めて気付いた。
「......どうしようもない怨嗟の声が聞こえる」
何かに虐げられている者の声だ。
「......どうしようもない欲望と悲鳴で満ちている」
何故だろう? そう問いかけた時、向こうから答えが返ってくる。
「彼らは敗北に虐げられているのだよ」
いつのまにか側に誰かがいた。人間を型どりながら、どこかそれを否定する存在。人の皮を被ったナニカ。彼が奏でる音は、人が立てる音にしては、あまりにも静かだったのだ。
「......貴方は?」
「この国の......いや、六国の頂点に立つものだ」
それで理解する。彼は“天”に到し者だと。それが人間であろうとなかろうと、どうでも良かった。
「どんな欲望も、幸せも、生命すらも、勝利を無くして存在できない」
世界に満ちた、耳障りな声たちを打ち消したかった。
「......この国にはそれがないと?」
歓喜に溢れる声ならば、幾分かマシになるだろうか?
「あぁ。だから私はこの国を勝利に導く必要がある」
或いは全部押し潰せば気楽になれるだろうか?
「そして君も、私と同じ高みに到達できる」
だから少年は、“天”に昇ると......世に蔓延る騒音を消すと決意した――
◆
かつて少年だった者は、千日紅国の頂点に立つ男、“荒天の霞”は瞳を開いた。光なき瞳。それが世界を映し出すことはない。ただただ、今の世の中を象徴するような闇だけが見える。
「霞様」
代わりに耳障りな声が聞こえた。彼に声をかけた兵士はきっと、敗北に虐げられている。
「......」
「現在、真下で四季将軍様が敵軍と交戦中です」
「......」
くだらない報告をするので、彼を新米兵士と判断できた。そんなこと耳をすませばわかる。恐ろしく癪に障る喧騒が下から聞こえるのだから。
彼らは今、空にいた。天上に浮かぶ巨大な神輿船。その船を嵐が包み込む。巨大な船が空を飛ぶなど、本来ならばあり得ない話だ。しかし、“天”の魔法はそれすら可能にする。
さて、どうするか、と霞は迷った。下にいる彼らに一撃を加えれば、敵軍は一網打尽にできるだろう。けれどもそれは、効率的ではない。
取るに足らない羽虫に、力を割く必要はなかった。羽虫には相応のものを。輝く“天”の下で、四季が巡れば自ずと消え去る存在。あくまで彼らが目指すべきは、前方にそびえる鉄壁――。
「......聞こえる」
「はい?」
滅多に口を開かない彼の声に、隣にいた兵士が素っ頓狂な返事をする。
「空を切る音が9......いや、10」
だが、数秒後に何人かは険しい顔をする。船団の中でもとりわけ実力者が反応した。彼らは魔力を瞳に集中させて、音の正体を探る。新米兵士は、未だに戸惑っていた。
「鉄の大砲か」
霞が嘲笑う。ようやくそこで、彼らの視界に砲弾が現れた。1つは正確に霞を狙うように。残りは乗り出した船員を狙うように。
「はやく撃ち落とせ!」
船員は端的な号令とともに風魔法を使った。カマイタチが、砲弾を切り落とす。何個かは爆発するが、それでも全て落とすことは叶わない。残りの砲弾が船を襲う。
「えっ!?」
霞は魔法を使うことなく、隣にいる兵士に手を伸ばした。戸惑う兵士をよそに、彼は迷うことなくソレを自身の目の前に勢いよく放る。直後、鉄の塊が兵士を弾いた。巻き起こる爆風。それで、耳障りな声が1つ減る。
自身が魔力を割いてまで打ち込む一撃。それにすら届かぬと判断された新米兵士は骸と化したのだ。
今勝利に必要なのはどちらか? “天”の一撃か、取るに足らない兵士か? 問うまでもない。未来を担う人間だとか、今後の成長だとか、些末なこと。最悪、自分さえ生きていれば勝てる、と狂った自尊心と執着心が霞を支配する。
その様子を周りはできるだけ気にしないようにしていた。無能と見なされたら今度は自分の番かもしれない。
誰も逆らわない。その理由はこれからの挙動で判明される。霞が手を挙げた。先の防御で使うはずだった一撃を攻撃に転じさせる。つまり、これは新米兵士の命が乗った一撃であった。彼が命懸けで節約した魔力は、暗雲に青白い光を灯す。
手を振り落とす。瞬間、遠くに見える鉄壁に、一筋の雷が落ちた。轟音とともに壁の一部が崩れさる。彼は、自分を的確に狙った者の頭上に大雷を落としたのだ。
「雷霆の音の方が余程心地良い」
誰もが固唾を呑む。一体アレにどう刃向かえと? この世に勝る人物がいるのか?
次の行動は決まっていた。優秀な兵士たちは素早く“天”の意思を汲み取る。殺されたくない一心で舵をとる。途中、阻む砲弾を魔法で撃ち落としながら、船を壁の欠けた部分に乗りあげた。
天上での戦争が始まる。壁に繋がった船から降りる兵士たち。当然、向こうも精鋭が揃っていた。だが、彼らは絶望的だろう。何せ、先の一撃で指揮官である男は死んだのだから。
「......“守護神”と称された男もこの程度か、他愛ないな」
残された兵士たちの不憫さを憐れみつつも、耳障りな音を消すべく、霞は歩を進める。さぁ、今度はしっかり全員を焼き払おう。そう決意した矢先、ソレは来た。
「......?」
まるで自身の中にある時が止まったかのように動けなくなる。突如、背後に現れた音。これまで聞いたことがないような、希望と純粋な欲望に満ちた、光溢れる音。それは、消したはずの男が奏でる音だった。
「おい、どこの誰が他愛ないって?」
振り返る。でも、それ以上の行動に移せない。未だ聞いたことない音に、身体が固まった。そして、その硬直が大きな隙となる。
鋼色に染まった男の腕が――キングプロテアの“守護神”、アイゼン・フェーブルの拳が、霞の頬を捉えた。




