第80話 王花と四季
「......妙だな」
千日紅国四季将の1人、百夏が呟いた。
「妙って?」
「キングプロテア王国の魔法使いは、あんなにも少なかったか? 壁前に布陣された兵とはいえ、流石に少な過ぎる」
もうすぐ側まで近付いていた。遠方からずっと怪しんではいたが、やはり魔法使いの割合が圧倒的に少ない。見たところ、真ん中に見える真っ黒な甲冑を着た部隊が唯一の魔法使いといえよう。
その部隊すら300ほどしか視認できなかった。脇に一般兵と見当がつく部隊が2000。
「このまま行けば......勝てる?」
逸る思いが、紅葉を高鳴らせた。自分たちと同等の魔法使いが10分の1以下であれば、自分の“鍵”を解放して、一気に押しつぶせる。あとは壁を破れば大功だ。
「いやぁ〜、紅葉ちゃんはしばらく後ろで様子見てた方が良いなぁ。これ、あれでしょ? なんか罠あるやつでしょ? 真ん中にいる奴らが極端に強かったり、脇にいる2000が実はヤバイ奴らでした〜みたいな」
すると今度は、春月が呟く。軽薄そうな声音と裏腹に、表情は真剣そのものだった。何より視界の範囲内では、七栄道が誰1人としていないのだ。残り6人。彼らは全て打ち破らなければならない。
「うむ、俺も同意する。紅葉、お前はちょうど一巡したタイミングで入れ。それまでは遠くで様子を観察していろ」
「......わかりました」
ここは年長者の言い分に従うのが吉だ。それが2年だろうと3年だろうと変わらない。
彼女が下がるのと同時に、百夏の部隊も少し左翼にズレていく。真冬の部隊が右翼に来た。背後に兄である秋仙の部隊が、春月はこのまま正面に。紅葉はこれから、4つの部隊の真ん中に移動する。
「じゃあ、紅葉ちゃん! 終わったらハグしてねー!」
周りの目を憚らず、手を振る春月。今の話からするに、何かしら罠があるのだから、最初にぶつかる部隊はかなり危険だった。陣の形式上、仕方ないかもしれないが、彼は真っ先にその役割を請け負ったのだ。
「......嫌です」
「え〜!? そこはデレるところじゃない?」
返事も虚しく、紅葉は陣の中に埋もれる。直後、視界が明るくなった。正面に強烈な光が放たれる。向こうは、いきなり投入してくるらしい。先頭にソレらしき少女が見える。ただの少女じゃない。紅葉と同じく“鍵”を保有する少女だ。
「あの子も結構可愛いじゃん」
「では、口説いてきたら如何ですか?」
兵士が春月の呟きを拾った。
「フラれて殺されそうだから遠慮しとく」
「ははは。そこは自信を持つところでしょうに」
予想通り、脇にいる2000はただの兵士ではなかった。妙な光を帯び始める彼らをみて、春月はそう確信する。
「うわー、はやくも的中しちゃったよ」
「撤退しますか?」
まともに衝突すれば犠牲は避けられないのだから、当然の反応である。
「いや、このままぶつかる。未知の正面衝突で1番生存率が高いのは“春”だ。でも何人かは絶対に死ぬから、嫌な奴は今のうちに逃げて良いよ」
“天”からの命令は絶対だ。撤退は許されていない。彼らが求めるのは、止まらぬ進行であり、正面突破。だから今退くと、それが後々の評価に繋がってくる。それは、将官だろうが兵士だろうが変わらない。
「まさか。おちゃらけてる貴方でさえ戦うと言うのですから、他の人が戦わないわけには行かないですよ」
「え〜何それ。僕ってどんなイメージなの」
会話を止める。もう顔がはっきり視認できるところまで来ていた。彼らの目的は、とりあえず衝突すること。そして、できるだけ多くの情報を引き出す。
「ちょっとだけ時間かかるから、よろしく」
「はっ」
刀を両手で構える春月。やがて呪文を唱え始める彼を、数人の兵士たちが囲んだ。同時にぶつかる。それだけで何人か死んだのを見て、脇の2000の力量を推し量る。
彼らは魔法使い並みの水準を持っていた。一見、一般兵なのに魔法使い並みの力量。カラクリの根本は間違いなく少女にあるのだろう。彼女が1番強い光を帯びている。と、すればキングプロテアの兵器は、魔力の譲渡か対象の強化か。
その少女といえば、中央で兵士を軽々と薙ぎ払っていた。およそ人1人が持っていて良い魔力量じゃない。膨大な魔力に推進された剣の一振り。たったの一振りで、何人もの兵士が消えていく。
「ば、バケモノめ」
そんな声が春月の耳に届く。まぁ、そうだろう。無理もなかった。自分でさえ、そう思わないこともない。でもそれを口に出さない。彼女だって足掻いているのだ。役目を果たして人に戻るためか、あるいは他の目的があるのか。紅葉と同じように、当たり前の願望のために戦っているのかもしれない。
「......悪いけど、譲れないのはこっちも同じなんだよね。なんにせよ踏み潰すしかない」
準備は完了した。敵の殆どが範囲内に入った。仲間たちの死を無駄にしないためにも、紅葉の幸せな未来のためにも、目の前にいる彼女を踏みにじろうではないか。
「せめて華やかに散ってくれ」
戦場に春の幻想が広がった――
◆
戦場にきたのだな、とゼデク・スタフォードは改めて実感した。久しぶりという程のものではないが、大きく実感できるのはこの瞬間なのだ。
寝る直前まで頭に鳴り響きそうな怒号、轟音。人の死を匂わせる血の香り。どれも心地いいものではない。その殆どを作り出しているのは、レティシアだった。始まって間もないのに、彼女はもう何人も殺している。もはや、人間の領域を超えていた。
自分と彼女、はたしてどちらが強いのだろう? 不謹慎な思考が頭をよぎる。彼女を守るのなら、これから先ずっと一緒にいるなら、同じくらい、いやそれ以上に強くならなくてはいけない。
「ゼデク、僕らも早く行こう」
「あと少し待ってくれ」
そんな彼らは今、後方にいた。出方をレティシアに任せることをゼデク自身嫌ったが、エスペルトの司令をこなすには、観察するしかない。
「このまま行くと僕らの出番なさそうだけど」
エドムの呟きを片耳に、ゼデクは手元の司令書に目線を落とす。それが有り得ないからこそ、これがあるのだ。
「楽観視はできな――」
ゼデクは光景を疑った。エドムの背後にいくつもの花弁が散っていたからだ。
「......桜?」
気付くと、周囲一帯に桜の木があった。ぐるっと一回り、桜の並木。さらに、自分たちの身体が半分ほど、水に浸かっている。まるで、軍全体が湖面に埋もれているようだった。
「幻惑魔法ですね」
珍しく真面目な顔をしたオリヴィアが話した。同じく、幻惑魔法使いである彼女には、すぐ看破できるのだろう。
ゼデクは湖面の中に手を入れる。しっかりと水の感触がした。さらに冷たさも感じる。問題は、下半身の動きが水中にあるので、鈍くなることだ。
「......こんなにも大規模な幻惑魔法が存在するのか?」
「うーん。余程の使い手であることは大前提として、広範囲、多人数にこれだけの幻惑魔法は、相応のリスクがあるはずです......」
ゼデクはそれを信じる。なんせ司令書にも似たような情報が書いてあるのだから。さっそく自分たちの出番が回ってきた。先ずは、これを解決しなければいけない。幻惑魔法を解くには、それ相応の術者で対抗するか、元凶を叩くしかない。
「術者を見つけないとな」
ゼデクは目を凝らす。一般兵はかなり翻弄されているが、レティシアはまだ大丈夫だった。こんな状況になっても変わらずに殺戮を重ねていく。何とも言えない気分になった。
やっぱり彼女には、極力手を汚して欲しくない。でも、きっとそれは彼女も同じで、お互い様で......いつまで悩んでも仕方ないことだった。自分たちの願いに対して、世界は戦闘を要求する。
だから今はその思考を捨て、観察を続ける。真ん中にいるペルセラルの部隊も顔色変えずに戦っていた。彼らには通用しないのか、強引に押し返しているのか。あまりの豪快さに、ゼデクさえも引き気味になる。あんな一団そうそういないだろう。
だが、それで千日紅国は、攻撃の手を緩めなかった。黄色い一団から、横にいた緑の一団がズレてくる。雰囲気がガラッと変わる。“夏”と書かれた旗を持つ彼らは、苛烈な攻撃を仕掛けてきた。さながら旺盛に茂る木々の波が押し寄せる。
幻惑魔法の邪魔があるとはいえ、ペルセラルの部隊や、レティシアに張り合い、拮抗し始める。しばらく揉み合うも、一向に戦況が傾かない。痺れを切らすように、キングプロテア軍が反撃に出た。
すると、それを予見したかのように、千日紅国はさらに1つズレる。赤い甲冑を被った一団が出てきた。“秋”の旗の中に、ゼデクのよく知る人間がいる。
「......あいつは」
千日紅国の“鍵”を持っていた少女。その兄にあたる男だった。彼らは流れる水のように、反撃をいとも容易く受け流す。これまでの中で1番防御に優れている部隊だった。徐々に攻めあぐねるキングプロテア軍。それを見計らったかのように、最後の一団が姿を現わす。
戦場の真っ只中だと、いうのに純白の部隊が前に出てきた。“冬”。彼らは自身の図体よりも大きい槌を持ち上げると、攻めあぐね疲労したキングプロテア軍に雪崩れ込む。
春夏秋冬四季折々。攻守ともに優れた彼らの戦術は、巡る度にキングプロテア軍を押し始めるだろう。加えて“鍵”である少女もまだ出てきていない。
「先輩、まさか日和って見てるだけなんてオチはないですよね?」
少年がうるさく背中を叩く。ゼデクは司令書から視線を上げた。ここまで何もせず、観察に徹していたのは最終確認だ。エスペルトの情報を実際に目で確認していた。先は幻惑魔法と言ったが、実際はあの回転を止めて各個撃破する必要があるだろう。
彼曰く、ゼデクを含めアレに対抗するためのカードは揃っているらしい。ゼデクは振り返る。いつもの仲間たち。レティシア。強化された兵士に、頭1つ飛び抜けた戦闘狂の部隊。
詳しい位置を知らされていないが、“黄金の英雄”が近くで見張っているとの情報も入っている。もしもの時はカバーしてくれるはずだ。しかし、それは数に入れない。後の戦況展開を考えるに、今、彼の助けを借りるわけにはいかない。
一定の危険が伴うのは当たり前だ。でもできるだけ、仲間を安全に導くための配分を考える。自分の指示1つで誰かの運命が変わるのだ。
「今のを踏まえて、提案があるんだが......」
打開すべくゼデクは、意を決して口を開いた。




