第8話 少年と従者
「......最近、順調に進んでいたと思えば、また躓くとはな」
冷たい瞳が、少女を見下ろす。
「はぁ......はぁ......申し訳ございません、グラジオラス......お兄様」
城の地下深くにある修練場にて、レティシア・ウィンドベルは、床に膝をつき、息をあげていた。
一部の人間にしか知られていない、レティシアが鍵の力を制御する為だけに造られた部屋。
「申し開きを聞くつもりはない。エスペルトが連れていた、ゼデク・スタフォードが原因であることは、わかりきっている」
レティシアとは違った銀色に輝く髪をなびかせ、グラジオラスは、天を仰いだ。
会議以降、レティシアは鍵の制御が以前と比べ、疎かになってきた。
鍵もまた魔法。
魔法とは、本人の精神に大きく左右されるものであり、この間、ゼデクと再会したという事実が、レティシア自身の精神に影響を与えたことは言うまでもないことである。
「......彼のことはっ......関係ありません...... ですから......」
「そうだ、お前には関係のないことだ。たかが8歳の初恋など、綺麗に捨て去れ。今お前がすべきことは、いち早く鍵をコントロールできるようになり、戦争において成果を出す、それだけだ」
レティシアは、その言葉に身を震わせる。
キングプロテア王国が、6つの鍵を集め、聖地を独占するまで、レティシア自身が、この状況から抜け出す事はできないだろう。
魔法師団に選ばれた時の、ゼデクの顔を思い出す。
驚きながら、嬉しいそうな顔をしていた。
8年間、小さな子供の約束を守って、あそこまで這い上がってきたのだ。
きっと、今のレティシアの状況を知れば、進んで戦いに出る。
キングプロテアが、他の五国を抑えるまで延々と戦いに出る。
戦いが、 レティシアの為になると信じて、喜んで命を差し出すかも知れない。
自分のために、命を差し出す。
自分のために、彼が手を汚す。
自分のために、彼も果てのない戦いに、身を投じることになる。
それも、エスペルトに利用されるとも知らずに。
自惚れでなければ、きっと彼はそうするのだ、そういう人間だから。
それが、レティシアには耐えられなかった。
何よりも屈辱的なことだった。
「......そうすれば、彼の命は......?」
「その問いが、未だに諦められず執着している証だと、何故わからぬ。ゼデク・スタフォードの生死に関わらず、お前はその役目を全うする。理解できぬか?」
「......いえ、理解できます」
グラジオラスに全てを見透かされている、そんな嫌な感覚に襲われながらも、レティシアは、それに抗う術がなかった。
「お前が捨てきれぬのであれば、その時点で奴の命は無いと思え」
もし自分が捨てきれたとして、戦場に赴く彼は死ぬだろう。
どうすることも出来ない。
この想いを、捨てることもできない。
彼が好きだから、彼の為に彼を捨てる、どこか矛盾した心と行動。
きっと鍵は、そこにさえ影響されるだろう。
グラジオラスは、尚も冷たい瞳を向ける。
「全て、忘れろ」
かつて、あれだけ優しかった兄が、これ程までに変わってしまった。
◆
「うーん、なんだろ、この匂い。いや、落ち着くんだけどさ。初めてだから、気になる」
4人の客人の1人、エドム・オーランドが座布団の上に座りながら、部屋中を見回す。
「“線香”、千日紅国の文化だ。お前らが、どれだけエスペルトのことを知っているかは、わからないが、この屋敷は全体的に、隣国から来たものだと思ってくれ」
ゼデクが、机の上にコップを5つ置く。
「あぁ、有名だよ。エスペルト様、結構変わった趣味してるって噂」
初めて出会った時、同様の笑顔をするエドム。
ゼデクは、その爽やかさに、再び既視感を覚えた。
「なんだ? この緑色の水」
半裸の男が、コップの中身を見つめながら呟く。
「気にするな、嫌なら飲まなくて......」
「うっ、苦いっ!」
ゼデクを無視し、そのままコップの中身を一気飲みする彼に、困惑した。
半裸といい、この態度いい、自分との繋がりといい、わからないことが多すぎる。
何よりエドムと、もう1人のウェンディという少女以外、名前すら聞いていない。
ウェンディという名前が浮かんだところで、ゼデクは彼女に視線を動かした。
そこで、未だに恨めしげな視線を向ける、深紫色のツインテールをした少女と目があった。
「......彼女のことは、本当にごめん。無理を言うけど、気を悪くしないでくれ」
「......それについてはノーコメントだが、そろそろ要件を聞きたい。俺はエスペルトから、今日客人が来るとしか聞いていないんでな」
苦笑いするエドムを他所に、ゼデクは疑問を解決するべく、話を進める。
「あり? なんにも聞いてませんか?」
そこで残りの1人、オレンジ色のショートヘアをした少女が、特徴的なアホ毛をピコピコ動かしながら、初めて言葉を発した。
「......聞いてない」
初め3人のインパクトが強過ぎたせいか、4人目の存在を忘れかけていたゼデクは、頭を痛めながらも返事をする。
「君と同じさ。僕達も、レティシア様を支える魔法師団の推薦枠を貰った」
「で、エスペルトから、俺の存在を聞かされ、呼ばれたと?」
「うん、それもあるんだけどね、君自身の存在はもっと前から知っていたんだ」
1つ疑問が解決しては、1つ疑問が増える。
なぜエスペルトから聞く以前に、ゼデクの存在を知っているのか?
それは直ぐに解決した。
「レティシア様から、常々聞かされていたんだ。君のことも、君の恋のこ......」
「おい、それはどういう意味だ? お前らはレティシアの何なんだ?」
「落ち着いて! 目が怖いから! お願い、ね? 僕ら4人はレティシア様の元従者なんだ。今は違うんだけどね、6年前には辞めさせられた」
つまり、レティシア本人は昔、自分達の逢瀬を周りに話していて、彼らは全て知っているらしい。
が、その彼らも今は、レティシアから離されている。
ゼデクが、座布団に戻るのを確認すると、エドムは話を始めた。
「じゃあ、4人もいるし簡単に自己紹介を。僕の名前はエドム・オーランド、さっき名乗ったね。で、そこにいる半裸の彼が、ガゼル・デンジャー」
「よろしく」
ガゼルと呼ばれた、半裸の男が答える。
「......さっき君を叩いた、彼女がウェンディ・フェーブル」
「ふんっ!」
紹介されるやいなや、ウェンディは、そっぽを向いた。
「そして、最後にオリヴィア・ローレンス」
「ゼデク君! よろしくお願いします!」
オリヴィアは、やたらと高いテンションで両手を大の字に広げた。
「さっきも少し触れたけど、僕らは全員、レティシア様の元従者で、それぞれ七栄道から推薦を受けて魔法師団に入った」
「......そうか」
「うん」
そこで一瞬、沈黙が訪れる。
「で、それを紹介しに来たは良いが、これから三日間もどうするつもりだ?」
「いや、その、エスペルト様には君と親睦を深めるように、と言われてきたんだけど......」
苦笑いしながら、エドムは周りを見渡す。
ゼデクは、それにため息をつきながら、
「親睦を深めるって、さっきそこの紫髪から叩かれたばっかりなんだが?」
「誰が紫髪よ。あんた、人の名前も覚えられないの?」
そこで、ウェンディがこちらに噛み付いてきた。
いくら客人にせよ、先程からの態度で、頭に血が上っていたゼデクは、何か言い返さないと気が済まなくなっていた。
「覚える気がないだけだ」
「......なんですって?」
ウェンディが立ち上がったところで、それをエドムが羽交い締めにした。
「ウェンディ、落ち着いて! 」
「やめなさい、エドムッ! やっぱり、こんな奴がレティシア様の想い人だなんて、許せないっ!」
ゼデクはそんな2人の様子を見ながら、1人物思いにふける。
なぜエスペルトは、この4人を招き寄せたのか?
最も重要な点は、同じ魔法師団に入ることでもなく、七栄道の推薦を受けていたことでもなく、“ゼデクとレティシアの逢瀬を知っている元従者”ということだろう。
毎回奇行に及ぶエスペルトであるが、その行動には一連の意味が絶対に伴っている。
とすれば、今回もまた意味があるのだ。
「オリヴィア、お願い!」
「ラジャー!!」
エドムの掛け声に応じた、オレンジ髪の少女がウェンディを抑え込む。
「オリヴィア、あんたまで許容するっていうの!?」
「も〜、ウェンディちゃんは、いつになっても素直じゃないですね〜」
ウェンディが暴れる度に、オリヴィアのアホ毛が揺れる。
「お前、今もレティシア様のこと、好きなのか?」
「あ?」
気付けば、ガゼルがゼデクの目前まで迫っていた。
ベクトルが明後日の方へ向かった質問をされ、思考が停止する。
「いやだから、好きかって聞いてるんだ」
「......まぁ、す、好きではあるが......」
心中で、何を馬鹿正直に答えているのだ? と思っていると、エドムがこちらに近寄ってきた。
「なら良かった。それを踏まえて、提案があるんだ」
「提案?」
部屋の奥でドタバタと取っ組み合っている2人を横目に、顔をエドムの方へ向ける。
「2日後に開催される始祖生誕祭で、レティシア様に手紙を書きたい」
真剣な表情で、エドムは突拍子も無い話を持ちかけてきたのであった。