第76話 少年と紅葉 2
羨ましかった。とても焦がれていた。
『かつて、“双天”の御二方より前に、天に至った人がいるらしい』
そして憎かった。とても恨んでいた。
『しかし、その人は国を裏切り、天の地位を捨てたらしい』
自分が人生の殆どを懸けて目指した高み。今も目指している高み。それらを手中に収める権利を放棄し、あまつさえ裏切った愚か者がいるという。そして、ある日。彼は天に言い渡された。
『この腕輪......“鍵”をある範疇でコントロールするための腕輪は相応の人物が持つべきである』
妹は“鍵”という運命を背負わされた。故に秋仙に刀を振る以外、選択肢はなかった。
『それは即ち、天に至りし者であり、今の貴様では遠く及ばない』
強くなった。絶えず努力した。しかし、それでは足りない。全く足りない。
『例え実兄であろうとな、秋仙』
1人の少年が天に至るには、あまりにも絶望的だった。それでも彼は諦めなかった。だから今、天に至らずとも、千日紅国の“四季将"としての地位を築いている。腕輪を手に入れるまで、あと少しという所まで来ている。
『裏切り者の首を取れ。さすれば貴様を認め、コレはくれてやろう』
そして念願の人物が目の前に現れる。上からの命令もあったが、それ以上に私情もあった。天に至りながら、その重圧に耐えきれずに逃げ出した軟弱者。そんな軟弱者でさえ、天まで上り詰めたというのに、自分は届かない。
そんなはずはない。自分が奴より脆弱で低俗なわけがない。皆は言った。この男は重圧に耐えられず逃げ出したと。臆病で軟弱者だと。なのに、心の何処かで疑念が生まれつつある。
この道化は......この道化の瞳の奥には、千日紅国を傾倒させない危険性が潜んでいるのだと――
◆
「余所見をせんでください。先輩」
「え? 別に余所見なんてしてませんよ。ほら、ちゃーんと前向いてるでしょ? 見てますよ〜貴方のこと〜」
へらへら笑いながら自身の両目を指差すエスペルト。それに秋仙は怒りを覚える。やはり彼は見ていなかった。物理的に前を向けど、その瞳は自分よりも遥か先を捉えている。
「天から逃げた軟弱者のくせに」
「ははは、なら早く殺してはどうです? 軟弱者はここに居ますよ? なんなら踊って――」
エスペルトが言葉を止める。やっと本当の意味で、彼の瞳が秋仙を見た。いや、無理矢理目を向けさせた。彼の目前まで迫った秋仙は刀に水流を走らせ、襲いかかる。
「......その歳でお見事」
微笑んだエスペルトは、同じく刀を振るった。フワッと羽のように魔力が舞い上がると、秋仙の攻撃を弾く。いや、浮き上がらせる。胴がガラ空きになる秋仙。すると一転、今度は容赦なき、鋭い追撃が放たれた。
「......くっ!」
もうこうなっている時点で、軟弱者でも何でもなかった。動けない彼の身体を水流がカバーする。エスペルトの放った一撃は激しい流れに阻まれ届かない。さっきからずっとこの調子だ。両者、どちらも防御に長けている。互いが互いの攻撃を捌き続ける一方で、進展が見受けられない。
「随分と必死ですね」
「当たり前じゃ。アンタの首を取れば、目的の1つが叶う。裏切り、キングプロテアの王族に媚び売る恥晒しの首をな」
それにエスペルトが反応した。より嬉々と笑う。
「王族に媚を売る恥晒し、ですか」
「そうじゃ、グラジオラス・ウィンドベルの指揮下に......走狗になりさがった恥晒し、と皆は評価する」
「貴方は違うと?」
「その実力を持ちながら......なぜ国を捨てた? それほどの力を――」
エスペルトは腰にしまっていた短刀を手に取る。
「他の四季将さんもそんな感じですか?」
正面から投げた。難なく撃ち落とされる。
「何?」
「あと何人? どこまで? この国に貴方のような人は残っていますか? 是非とも今後の参考にしたい」
「......?」
「あぁ、わからない、という顔をしていますね」
エスペルトは思案するように、顎に手を当てた。うーん、と首を捻ること3秒。言葉を選ぶ。
「ほら、貴方がよく傷を舐め合うお友達とか仲間とか。貴方みたいな軟弱者は何人居ますか?」
「......軟弱者?」
「え? だってそうでしょう? 上の者に抑圧され、媚を売り続け――」
「アンタがそれを言うかッ!」
激流が渦巻く。魔力が一気に膨張した。同時に、エスペルトは指を動かす。床に転がった筈の短刀が秋仙の首目掛けて飛んだ。彼は急いで払う。
「......!」
次の瞬間、彼の前には拳が写っていた。激流の合間を掻い潜るように伸ばされる拳打。細かな水の動きを見極め、読み取ることができる者にしか、できない拳打。“天眼”を持つエスペルトにしかできないだろう。故に油断した秋仙の頰に、それが届く。
拳を振り抜くエスペルト。秋仙は茶屋の奥へと飛ばされた。
◆
真っ赤だった。真っ赤な刃で構成された絨毯が、カーテンが蠢く。紅葉を縦長く伸ばしたかのような刃がゼデクを襲う。
「......面倒なことになった」
彼は軽がると払った。でもそれは、数ある内の1つでしかない。辺りを見回すゼデク。周囲一面真っ赤だ。もはや、紅葉なのか刃なのかの区別も付かない程に真っ赤。
「決めました。えぇ、決めましたとも。気が引けますが、私はここで貴方を斬ります」
この現象を起こしているであろう少女が、刀を強く握る。彼女の“鍵”は、想像以上に面倒だった。なんせ、彼女1人に集中していられない。気を抜けば、どれかの刃にやられる。これでは、逃げながら戦うだとか、時間を稼ぐとか、そういう話ではなくなった。
「これでも......これでも、まだ私を斬らないと言いますか?」
地面から刃が伸びる。飛んでかわす。今度は宙に舞っていた刃が襲ってくる。だから諦めた。魔法を使わないことを。周りに炎が移るだとか、隠密だとか言ってる場合じゃない。
「エスペルト、もう潮時だぞ」
己が魔法に意識を傾ける。生きるために必要な力全てを引き出す。身体能力を向上させ、刀に炎を纏わせた。これまでよりもスムーズに、莫大な炎が、追随する。
赤刃が飛んでくる。ゼデクは炎を走らせた。さらに刀を振るう。5度振ったところで、やっと視界が晴れた。
「なっ!?」
「生憎今の段階じゃあ、山小屋に住む修羅の方が怖かった」
少なくとも死が隣り合わせにある感覚ではない。そもそも、“鍵”に匹敵する力は自分の中にもあるのだ。であれば、勝敗を決めるのは本人たちの力量。ゼデクよりも歳下の少女に負けるわけにはいかない。
ゼデクは少女の方へと詰め寄る。今まで攻撃しようとしなかった人間が、急に転じる。彼女の驚く顔が見えた。
「来ますか!」
少女が刃でゼデクを囲もうとした時、彼は刀から炎を発した。彼女に向けではなく、茶屋や、周囲の木に目掛けて。その先にはきっと、また遠く離れていないであろう、客や店主が居て――
「だ、ダメ!」
彼女は急いで、刃を炎に割いた。燃え移らないよう、事前に塞ごうとする。しかし、それは大きな隙となり――
「......卑怯者」
「そうだな」
喉元に刀を突きつけたゼデクが肩を竦める。
「何故、止めるのですか?」
「卑怯者だから。自覚はある」
「ふざけないでください」
「なんであれ、アンタを殺すも、連れ去るも、あんまり良くないらしいんだ」
幸い炎は広がらなかった。散っていく刃。焦燥しきった彼女の顔を見て、更に言葉を吐く。
「......戦うのに向いてないよ」
「......?」
「本当の意味で大義や責任語るなら、周囲の人を捨てて俺を斬るべきだった。勝ちを取るべきだった」
彼女の目が見開いた。瞳の奥が波を打つ。
「アンタが俺に殺されたら......結局、この後皆殺しにされていたかもしれない。この先、自分の責任を果たすなら、それは間違いなんだよ」
「......て」
彼女は震え始める。
「盗賊を斬った時もそうだ。罪悪感塗れの顔で斬ってさ。斬った後も悲壮感に浸ってさ」
「......めて」
何かに怯え始める。それは目の前の刀などではなく、もっと彼女の奥底に眠る何か。
「気持ちはわかる。でも、斬りたくないなら斬るな。心中で悔い続けるなら斬るな。少なくとも俺はそんな半端者に斬られたく――」
「やめてッ!」
彼女の激昂に合わせて、魔力が膨れ上がった。再び周囲に刃が展開される。真紅の渦がゼデクたちを囲む。
「嫌......私は負けてない......勝つの......勝たなければダメなの......その為に皆んな斬って斬って斬って......勝たなきゃ勝たなきゃ勝たなきゃ勝たなきゃ勝たなきゃ......」
両手を頭に当て、ブツブツと呟く少女。これまでとは様子が違った。雰囲気も、魔力量も何もかも。
同時に茶屋の方で音がした。エスペルトが何かを抱えて出てくる。すぐ後ろには秋仙が。
「紅葉! くそ、これ以上、悪化すると手遅れに――」
「ゼデク! もう一度道を開きなさい! 撤退しますよ」
時間がない。ゼデクは急いで、炎を展開させる。今度は一点突破で良い、必要なだけの炎を刀に集中させた。
「私はァァァァァァァァァァ!」
少女が絶叫しながら、刀を振り上げた。一瞬、空間や空気が揺らめいたように感じられる。ゼデクの脳が告げた。アレは受けるべきではない。尋常ならざる力が刀に込められている。
「エスペルト!」
ゼデクはそれをエスペルトに丸投げする。道を自分が開く以上、後は彼に任せても良いはずだ。エスペルトがゼデクの側まで迫る。そこで少女の手が止まった。思わず、ゼデクも止まりそうになる。
エスペルトの肩に抱えられていたのは人質だった。紅葉よりも更に幼い人質。本日2度目の人質を経験した少女が肩で泣いていて、彼は容赦なく盾として紅葉の前に出した。それで彼女は止まる。あれだけ精神が崩れかけていたのに、ちゃんと止まる。
「今です!」
「ほんっと、とことん下衆だな!」
ゼデクが刀を振るい、爆炎を飛ばす。正面の赤刃がかき消され、道が開かれた。
「走りなさい!」
人質を背後まで追ってきた秋仙に投げ、駆け抜けるエスペルト。ゼデクもすぐに走りだすべきだった。しかし、少しだけ立ち止まるゼデク。未練がましく、捨てるように、惨めに。それでも言うべきだと思った言葉を口にするため、立ち止まる。
「貴方なんかに......私の何が......何が」
「事情なんか知らないし、アンタのこともよく知らない。でも、今の状況で手を止めた。だから無責任を承知で言う。よく考えるべきだ。よく考えて、その刀を握るべきだと思う」
それだけ言い残して走り出す。一番懸念していた秋仙はもう追ってこない。人質と、彼女の身を優先したようだ。
「......あぁ、くそ。最低だな、俺は」
いつから自分は偉くなった? そう問いかけるゼデクの胸中に、ただただ胸糞悪いモヤだけが渦巻いていた。




