第73話 宰相と出陣
『少年よ』
『......』
『齢10にも満たぬ少年よ』
『......はい』
カーン、と水を受けきれなくなった竹の頭が垂れ、岩を弾く。男とも女とも見える端麗な少年は瞼を開いた。まるでガラス細工のような透き通った眼球が正面に座する老人を捉える。
『汝はその齢にして、およそ千日紅国の剣術全てを修めた。他の者が信じなくとも、儂が担保しよう』
『それはそれは、この上ない幸せですね』
『フフッ、不思議なものだ。その言葉、汝が放つと本心ではないように聞こえる』
かつて、千日紅国にて名を馳せた大剣豪は笑う。今や一介の老人だとしても、彼の技には眼を見張るものがある。少年は正座を解いた。戴冠式がもうすぐ始まるのだから。
『しかし汝はまだ、未熟だ。この先、苦難が待ち受けているであろうし、大きな伸び代を残している』
『10歳ですから』
『故に、上の者は天賦の才を持つ汝を早期に“天”と定めた』
『えー、未熟だというのに?』
『汝を都合の良い傀儡にするためにな......もっとも汝は察しているのだろうが』
少年は歩みを止めない。どんどん襖の方へと向かう。
『ここから出るのだろう?』
襖に手を掛けた瞬間、老人が声を上げた。
『止めますか?』
この人物は気付いている。返答次第では殺さなければいけない。少年は振り返った。この老いた人間は自分に勝てるつもりなのだろうか? 挑発的な笑みで見下ろす。未熟であれど、老人1人を手にかけることは造作もない。
『いいや止めないさ。汝の判断は至極当然にして、聡明だ。この国はもう手遅れ、儂の手には負えん。だが、それは汝も同じ。故の逃亡と見た』
もはや、立ち上がる気力を持たない老人はそう言った。彼が全盛期であれば、国の情勢も変わっていたかもしれない。でも、その考えは浅慮。奴らは待っていたのだ。この人物が老いる瞬間を。だから、全盛期のうちにケリを付けられなかったのが彼の最大の落ち度。
『最後に問いたい』
『お好きに』
『汝はその瞳で、何を視た?』
問いを聞き終えると、今度こそ襖に手を掛けた。開ける。そして、部屋の去り際に一言だけ。
『......世の行く末を』
◆
今に思えば、六国という存在は不思議なものだった。隣接しているくせに、驚くほどに別世界なのだ。ゼデク・スタフォードは見惚れる。キングプロテア王国とは違った木々が紅に染まっていた。そして、特有の建物が。簡単に言えば、エスペルトの屋敷のような建物がそこらに点々と見受けられた。
「......これが千日紅国」
笠に積もった落ち葉を払う。この国を1つ跨げば、キングプロテアという違う世界が待っている。さらに1つ跨げば荒野が広がるルピナス王国。時折、ヒラヒラと散る紅葉に視線を奪われながら、感嘆した。そして、よくバレずにここまで潜入できたものだ。
「ふんふんふ〜ん。ふふふんふ〜ん」
それも彼がいた所以。しゃがみ、紙に何かを書込むエスペルト。笠に落ち葉を積もらせ、さらに妙な鼻歌まで聞こえてくるのだから、側から見れば変人確定だろう。しかし、周囲に人はいない。そういう経路を選んだから。彼は知り尽くしていた。極少数であれば、人目を盗んで侵入する経路を。結界の穴を。さらに彼の魔法はあらゆる監視を見透かす。ルートを導き出す。
「で、たった2人で来たわけだが、俺は何をすれば良いんだ?」
「お気に入りの紅葉でも拾っててください」
「はぁ?」
ゼデクは呆れる。自分はそれだけの為に連れてこられたのか、と。今頃、他の軍隊は国境沿いに向かっているはずだ。もちろん、レティシアたちもそうだ。そんな中、自分たちは変なところで紅葉を眺めているのだから、焦りを覚える。
「......」
背を向けるエスペルト。
「ふ〜ふふふ〜ん。ふふふふ〜ん」
隙だらけなエスペルト。
「......」
ただ聞き、ダンマリしていても仕方ない。少しでも思考を重ね、得るものを得る。ゼデクはせめてもの情報を求めた。背後からこっそり忍び寄る。手っ取り早い情報は目の前にあった。書いてるやつを覗くのだ。あと一歩、そこまで来た時――
「ざんねーん!」
グルンと翻したエスペルトに手一杯の紅葉を投げられた。
「覗きとは感心しませんね。それは私の特権です」
「動くなよ。ちょうどそこに良い紅葉があったんだ」
「はははは」
立ち上がる。手に持った紙を畳んで手元にしまう。ゼデクは恨めしげに眺めた。隠されると余計に気になる。
「お腹空きました」
「......」
「ちょうど近くに茶屋があるので飲みに行きましょう!」
「開いてる店があるわけないだろ。もうすぐ近辺で戦争があるん――」
ゼデクは言葉を止める。エスペルトの瞳は青い光を灯していた。彼は見たのだ。広範囲に渡る視界をもって、見渡していた。
「......この国ってそんなに呑気なのか?」
「国境沿いなんでどこもそんなものですよ」
すたすた歩き出すエスペルト。しばらく彼の行動に振り回されるだろう。ゼデクはため息と共に足を前に出した。付いていく価値が大いにあるからだ。
彼は見た、見ていた。周囲を、茶屋を。とすれば――
「茶屋に何かがある、か」
◆
「お、お兄ちゃん?」
「......」
「......お兄ちゃん?」
「......なんじゃ」
上から落ちる真っ赤な葉の合間を縫うように、少女が顔を覗かせる。ショートの赤髪、秋を想起させる真っ赤な瞳、腰には業物が一振り。そんな容姿があい極まって本当に落ち葉の中に隠れているようだった。
「怒ってる?」
「怒っとらん」
「......うぅ、怒ってる顔だ」
同じく、真っ赤な少年――秋仙は、不機嫌そうに先を歩いた。一歩退いて、ついていく妹。
「ご、ごめんなさい。ただ、その、盗賊の残党がこの辺に散ったから......」
「ワシらじゃなくて、他のもん回せば良いんじゃ。今、ここまで出張る必要はない」
「でも、私が取り逃がしたから!」
「......無理はするな」
詳しく先を語らない。両者にとってタブーに触れる。でも、その口数の少なさがタブーに繋がることを意味していた。
「私は“鍵”。故に身の振り方を――」
「違う」
どう言葉を選べば、彼女に負担が掛からないだろうか?
「取り逃がした責任で面子がどうとか、“鍵”を保有してるから歩き回るなとか、そんなんじゃない。あー、くそ。言葉が浮かばん! と、に、か、く」
秋仙は頭をかく。
「必要以上に重荷を課すな、紅葉」
「......うん」
また、兄に気をつかわせた。そう、顔を暗くする妹を見て、秋仙は胸中後悔する。これは、完全に悪循環だ。
「......ん?」
気付く。少し大きめの建物がある。茶屋か何かだろう。
「もうすぐ戦だというのに、呑気に構えおって」
避難するならいざ知らず、今日も開いているらしい。呑気なのは店主もそうだが、何よりも足を延ばす近隣の客。
「......止めなきゃ」
「そうじゃな。じゃが......」
これから戦場に向かう前に、妹の精神状態を安定させねば。
「ちょうどいい。その前に少し休むか、紅葉!」
秋仙は微笑むと、歩き出した。




