第68話 少年と誓い
「く、うぅ......やってくれましたね」
両手を突き出したレティシアが苦しそうに呻く。彼女が抑える結界の中は爆炎に包まれていた。男はそれを笑って眺める。
「ほら外せ。さもなくば結界内でゼデク・スタフォードが焼け死ぬぞ」
「......なぜです」
「......?」
「なぜ貴方は彼にここまで厳しくするのですか? 彼は普通の魔法使いです。私と同様の扱いでは身が――」
「......それが奴の選んだ道よ」
男はもう笑っていなかった。それにレティシアは言葉を止める。
「この先、お前たちには想像を絶する苦難が待っている。その意味を理解しているか?」
「当たり前です。......六国制覇は並大抵の所業ではないことなど何年も前から知っていました」
「......六国制覇、か。それで終わると良いな」
何故か、答えに満足しない男。彼が目を細めていると結界にヒビがはいった。レティシアが油断したからだ。膨張する炎が今にも押し破らんとする。おぞましい量の炎が噴射されれば、ここら一帯は焼き払われるだろう。彼女は会話を放棄して、結界の修復に努めた。
「......うぅ」
その努力も虚しく結界が破れた。噴き出す炎。このままでは辺り一帯に広がってしまう。
「......フン」
男が手を伸ばす。すると溢れ出した炎が全て手の平に集まりだした。彼はそれを握りしめる。
「......え?」
唖然とするレティシア。もうゼデクの周りに炎は漂っていなかった。どういうことなのか、そう考えていると、
「遅いぞ、ゼデク・スタフォード」
男はゼデクの奥に見える木に向けて炎を投げ飛ばした。しかし、その炎が木に到達することはなく――
「無茶言うな」
今度はゼデクの手の平へと引き寄せられる。おそらく成功したのだ。彼らの様子を見て、ぺたりと座り込んだレティシアはそう判断した。
◆
レティシアと過ごせるはずの1週間。それはあっという間に過ぎた。明日にはグラジオラスが迎えに来るという。大半が男との修行に費やされたが、ゼデクは後悔していなかった。自ら望んだことだし、未来への大きな投資となったことも確信している。
最終日の夜、彼は小屋から外に出た。涼しい風が頬を撫でる。炎に囲まれた昼間だったので、尚のことそう感じられた。不思議なことに誰も小屋の中にいなかった。多分、2人は別々の場所にいるだろう。これまでの行動を見ていれば大体の予想はつく。
さて、どちらの方へ向かうべきか。ゼデクは考えながら足を運んだ。木々の間をくぐって、所々に月や星の明かりが差し込んでいる。その明かりはルピナス王国を彷彿とさせた。自然とプレゼンスとの出来事が頭の中を駆け巡る。彼はゼデクが師と呼ぶことを否定した。後の者に取っておけ、と。
「......せっかく最後の夜なのだ。小娘の元に行けばいいものを」
「後で会いに行く。先ずはアンタだ。これからの事を考えるに、アンタの方が会えない」
一応、師に位置する男にゼデクは答えた。何もかもが滅茶苦茶で、理不尽な男だが、きっと彼こそが“後の者”なのだろう。ゼデクは苦笑いを零した。
男は岩の上に座っていたので、断る事なくゼデクも隣に座る。夜空を眺めているらしい。あることを確かめるべく、ゼデクは男の顔を見た。
「何用だ」
すぐに獅子の瞳がゼデクを捉える。思わず逸らしそうになるも、ゼデクは堪えた。
「いや、結局アンタは何者だったんだろうなって」
「それを教えて何になる」
「俺の疑問が何個か晴れる」
「くだらんな」
男が目を逸らした。いや、単純に夜空に目を向けただけだろう。だから、ゼデクも夜空を見上げる。
「俺、師匠できたんだけどさ」
「......」
「その師匠誰ともわからず、人外で、理不尽で、常識が通じなくて、すぐに気を抜くと殺されそうになるんだ」
するとゼデクは圧を感じた。きっと睨まれている。
「でも、なんか安心する。あり得ないくらいに。アンタ、俺の母さんに似てるよ」
最近誰かに面影ばかり感じている。もう一度男を見た。瞳孔が開かれた男の顔が視界に入る。予想外の表情だったので、ゼデクも驚く。でもそれは一瞬で、すぐにいつもの形相に戻った。今にも死人が出そうな顔。こうして顔を突き合わせるだけで精神が削れる。でも、どこか母親の面影を残す顔だった。
「そんなことを言うために、ここに来たのか?」
「いや、まさか。なんか流れで言っただけだ。深く捉えないでくれ」
やはり何か懐かしい雰囲気はあった。それが確認できたゼデクは本題に入る。
「この際、何者かは置いといてさ。アンタは戦場に出ないのか?」
「なぜ俺が戦場に出る必要がある」
「......アンタみたいな強者が戦場にいないことも無名なことも気になったからさ。多分......ルピナス王国にプレゼンスの爺さんと出向いたのが俺でなくアンタだとしたら――」
「プレゼンスは死ななかったと?」
ゼデクはピクリと肩を震わせた。でも本当のことだった。自分以外の誰かが一緒にいたら、ひょっとしたら彼は生きていたのかもしれない。そんな考えが頭をよぎった。
「はっ、当然だ。そこに戦う理由がないからに決まっていよう」
男は立ち上がると、腕を軽く突き出した。放たれる銀閃。それはゼデクの頬を掠めると背後の木々をへし折った。
「覚えておけ。人にはそれぞれ戦うべき時がある、場所がある。それが1人だろうと、複数だろうと変わらない。死に向かおうが、そうでなかろうが変わらない。それを決めるのは他ならぬ自身よ」
腕を下ろす男。つまり、今は男が戦うべき時ではない、そう言いたいのだろうか。ゼデクは頰に流れる血の温かさを感じた。
「お前の中にあるその力。使うべき時はお前が決めろ」
男が指で合図した。もう行け、ということだろう。彼が戦うべき時、それは一体どんな戦場なのだろうか。そう思いながらゼデクは立ち上がり、背を向けた。
「ゼデク・スタフォード」
すると、声を掛けられる。ゼデクは振り返った。
「お前は自身の名をどう思う?」
唐突な質問に首を傾げた。確か母親が言っていた。ある人物に勇気と共に授けられた名だと。
「はぁ? ......確か名付け親がいて、その人が俺に戦う勇気を込めて付けてくれた名前だって聞いた」
なぜ、この男にそんなことを説明しなければと思いながらも、ゼデクは口を開く。
「で、どう思うか? ......結局、その人が誰か、わからず終いだったけど、感謝はしてるよ。できれば1回会ってみたかった。満足か?」
なんだか恥ずかしくなってきたので、振り返って走り出す。最後に見た男の顔が僅かに微笑んでいるように見えた。
「......気のせいか」
そんなことを考えながら、ゼデクは次の目的地に足を運んだのであった。
◆
「遅ーい」
「......すまない」
彼女は、レティシア・ウィンドベルは山の中でも比較的見晴らしの良い位地にいた。眼前に広がる光景に懐かしさを感じる。ココ村だ。もっとも夜なので、ぼんやりとしか判別できないのだが。やはりと言うべきか、彼女も岩の上に座っていた。
「寄り道してたでしょ」
「まぁな」
ゼデクは無愛想な返事をしながら隣に座る。先程とはまったく別の緊張感が、胸中を支配した。
「......早かったね、7日間。全然話せなかった。きっと誰かさんが修行ばかりにかまけていたからだ〜」
「......悪かったって。お前わざと言ってるだろ」
「あはは、ごめんごめん」
会話が続かなくとも沈黙は続く。結局、あの男から生き延びることに精一杯で、あまり話せなかった。そして、話すことをじっくりと考えていない。さらに緊張が拍車をかけるのだから、いよいよ頭が真っ白になる。
「......あー、そのー」
何となく言葉を出そうとすると、
「ううん、無理しなくて良いの」
彼女はそう言った。
「今、こうして一緒にいる。それが例え僅かな時間だとしても、これが最後だとしても、私はそれだけで嬉しい」
二度と訪れないと思っていたから、と続ける彼女にゼデクは何も言い返せないでいた。改めて思う。今の状況は奇跡であると。あのレティシア・ウィンドベルの隣に座っている。これが奇跡でなくて何と言えようか。しばらく沈黙するものの、ゼデクは必死に言葉を捻り出した。
「少なくとも最後じゃないことは確かだ」
「......そう」
微笑むレティシア。どうやら疑っているらしい。ならば、報告するしかあるまい。彼は言葉を続ける。
「俺、魔法師団の副団長に任命されたんだよ」
「おー! それは素晴らしいことです。精進なさい」
「ははー」
「......ふふっ、でどこの団なの? やっぱりエスペルトの“叡知の魔法師団”? でも彼は危険だか――」
「違う、お前のところだ」
首をかしげるレティシア。
「はい?」
「お前のところだ」
「え?」
「レティシア・ウィンドベルの副官だ......日常はともかく戦時中は、お前の側にいる」
「......はは」
ようやく飲み込んだのか、彼女は驚きの中に笑みを浮かべた。
「嘘、修行に浮気する人がなれるはずないわ」
「いい加減そこは許してくれ」
ひとしきり笑う。そう、戦時中は一緒にいられる。でもそれは主従関係であって、六国を制覇するまで、もっと他人に認められるまで何もできなくて。すぐに沈黙が支配した。これから先に続く道は険しい。その現実が再び2人を襲う。
「......ねぇ」
今度は彼女が口を開いた。酷く震えた声で、でも強い瞳でゼデクを見つめながら語り始める。
「うん?」
「このまま2人で逃げちゃおうか?」
「......」
「今なら誰も見てないよ? 2人だけ。何をしても自由。ゼデクの好きなように、私の好きなようにできるのは今だけ」
「......」
とても愚かで、正しいことだった。確かに自由だ。でもそれは、刹那的な自由。2人で全力で逃げても、僅かな間だけだろう。ルピナスに逃げ込めばキングプロテア王国の手から逃れられるかもしれない。おそらくレゾンなら受け入れてくれる。しかし、世界の情勢そのものが、自分たちの中にある力そのものが許さない。残酷な運命が許してくれない。
だからといってそれが間違いだとも思わなかった。この先、死んでしまえば今のようなチャンスは二度とない。それこそ刹那的な時間を確実に楽しむのも手だろう。
ゼデクは無言で立ち上がった。岩の前に一歩踏み出し、レティシアの方を振り返る。彼女は手を差し出した。その手を取ってココ村を走り抜け、何もかも捨てて、さらに先へと逃げる。きっと爽快だ。
それが今は可能だった。そんなレティシアの手を取る。鼓動が高鳴った。走り出すだけ、走り出すだけで、刹那的な夢が叶う。願いが満たされる。彼女はすべてを受け入れる、そう言わんばかりに微笑んだ。
「......俺さ」
「うん」
「俺さ、今日ここまで来るのに、たくさんの人に助けられてきたんだ」
「うん」
「たくさんの命を犠牲にしてさ。それぞれ理由はあれど、みんな馬鹿みたいに弱い俺をここまで連れてきてくれた」
エドムたちやエスペルト、死んだプレゼンスが脳裏によぎる。あまりにも多くの物を拾い過ぎたのだ。子供の頃から、あまりにも時が過ぎてしまったのだ。ゼデクは自嘲気味に笑った。もしかしたら一生に一度の大チャンスを逃してしまうかもしれない。でもそれは――
「恥ずかしい話だが、約束したんだ。いつか強くなって、ちゃんとみんなに認められるようになって、お前のところまで行くって」
「......うん」
「だから、裏切れない」
「例え今日が最後になっても?」
「今日が最後じゃない」
ゼデクの声も震える。まだ恐れているのだ。怖いのだ。保証がどこにもないことを理解している。
「約束する。俺は、俺たちのしがらみを全部打ち砕いて、お前とココ村でパンを食べる」
すると、彼女は目を丸くした。赤面するゼデクをしばらく見て、声を出して笑う。
「ふふっ。何それ、プロポーズ?」
「......あー、だから! その――」
「待ってる。ううん、私も頑張る」
レティシアも立ち上がった。目線をゼデクから夜空に移すと、
「言いにくいんだけどね、その......貴方ならそう言ってくれると信じてました。つ、つまり」
「......試されてたのか、俺」
「......はい」
ムスッとするゼデク。彼は馬鹿正直に対応した恥ずかしさの余韻に耐えられず、そのまま小屋の方へと歩き出した。
「戻る」
「ご、ごめんってば! も〜待って!」
それをレティシアは笑いながら追いかけた。自分の知らぬ間に大きくなった背中を見て、感慨深くなる。彼も自分と同じくらい、いや、それ以上に成長したのだと。それでもレティシアの中には確かな恐怖があった。彼もきっとそうだろう。この先の苦難を知っていて、一抹の泡のような可能性を感じていて――
「......でもね、さっき言ったことは、嘘じゃないんだよ。貴方が選ぶなら......2人で逃げ出しても良かった」
声にもならぬ小さな呟きが、夜の空へと消えていった。




