第61話 少年と再会 2
ゼデクは今、人生の中でも五指に入る窮地にいた。気不味い。圧倒的に気不味いのだ。先程のグラジオラスなど比にならないくらいに。
「ど、どうぞ......」
「ど、どうも......」
木の丸テーブルの上にコップが置かれる。置いた人物、レティシア・ウィンドベルは彼の正面に座った。とても綺麗な動きで、されど何処かぎこちなく。よくよく見れば、困惑と羞恥のためか顔を赤らめている。きっと、自分も同じ顔をしているだろう。ゼデクは救いを求めるようにコップへと手を伸ばす。
「......」
どうしてこうなったのだ? ゼデクは思う。助ける一心でここまで来たのだから、この展開......即ち、彼女とお茶をするという考えていなかった。つまるところ、話すための心の準備ができていない。会議では醜態を晒したし、手紙ではかなり恥ずかしいことを書いた覚えがある。何よりも、しっかり面と向かうのは8年越しなのだ。
「えーっとだな。いきなり押し掛けてすまなかった」
何とか言葉を絞り出す。すると彼女は困ったように笑った。
「本当だよ。ビックリしちゃった。いきなり人が入ってきたかと思えば、よりもよってゼデクなんだもん」
「いや、お前が拐われただなんて聞くから」
「へ? 私が?」
「あはは。ごめんごめん。からかい半分のつもりだったんだよ? でもさ、ゼデク君純粋過ぎて......フフッ、思い出すだけで」
と、隣でライオールが笑いを堪えるように話す。簡単な話、ゼデクはエスペルトやライオールに乗せられていたのだ。彼らが妙に余裕を持っていたのは、やはり気のせいではなかった。
「あーそうだ。乗せられた俺がバカだった」
「だからごめんよ、拗ねないで」
「で、これは何だ? 結局レティシアは何のためにここにいる?」
「修行だ」
グラジオラスが割り込んできた。そして、部屋の奥にいる修羅のような男を横目に話しかける。
「進捗はどうだ? 奴に変な事をされてないだろうな?」
「はい、ご心配なく。......多少荒いですがその甲斐もあり、かなりの成果が出ました」
「......そうか」
彼は嬉しそうで、でもどこか苦々しい複雑な表情をした。それをゼデクが不思議そうに眺めていると、
「“鍵”のコントロールの修行さ。奥にいる彼は、力の扱いに長けているんだ。それに関して右に出る者はいない」
ライオールが補足した。それでゼデクは納得する。かつてエスペルトがしていた表情と似ている。プレゼンスにゼデクを預ける時に浮かべた表情だ。きっと、自分の手で育てきれないことに、どこかもどかしさを感じているのだろう。
しかし、だ。ゼデクは奥にいる修羅のような男を見つめる。彼はこちらの様子など気にせず、ライオールが用意した酒樽を運んでいた。ライオール曰く、彼は一番力の扱いが上手い人間らしい。それに少し惹かれた。ゼデクは、彼と初対面というわけではない。初めてエスペルトの会議に参加した日、道中で出会ったことがある。
『ゼデク・スタフォード、もし死ぬ物狂いで道を駆け抜け、その果てに迷いが出たのであれば、俺の元に来るが良い』
彼がゼデクにかけた言葉を思い出す。やはりあの時感じたことは間違いじゃなかった。修羅のような男が何者であれ、確実に強い。強者だ。
「あとどれくらいかかる?」
「......わかりません」
「あまり急かしたくはないが時間がない。......一週間後にまた戻ってくる。それまでに仕上げろ」
するとグラジオラスは背を向け、ドアの方へと歩み出した。いつまでも留まれないということだろうか。
「なんだ。もう出ていくのか、余裕のない奴よ」
「ここから更に東、そこに用がある。国境沿いばかりでなく、国内奥地にも目を向けねば足元をすくわれるやもしれん」
やっと口を開いた男に一瞥もくれず、彼はドアに手をかけた。
「ゼデク・スタフォード。お前はその間、ここに留まれ。間違ってもレティシアに手を出すなよ」
そして、そう言い残して出て行ってしまった。固まるゼデク。一週間、留まる? ここに? レティシアに手を出す? と彼の残した言葉を反芻しながらゼデクはレティシアの方を振り返る。彼女も驚きがちにこちらを見ていた。
「じゃ、僕も帰るよ。魔王様の顔も見れたことだし、安心した」
「......そのくだらない呼び方はやめろ」
今度はライオールが立ち上がる。
「お、おい! アンタも帰るのか?」
「うん、エドムの面倒見ないとね。これでも忙しい身なんだ。せっかく副団長になったでしょ? 今後のことも含めて色々報告しなよ」
満面の笑みで言うライオール。どうやら、ここに連れてこられたのは一種の褒美みたいなものらしい。レティシアの修行に副団長として付き添え、という名目の褒美。程なくして彼も出て行ってしまった。取り残される2人。気不味い時間が再びやってくる。
「......え、えっと、迷惑、だった?」
「い、いや、そんなことない」
何がともあれ、だ。思いも寄らぬ形でレティシアと会ってしまった。それに一週間もの時間がある。ゼデクはそれを素直に嬉し――
その時、2人の間に木刀が刺さった。
「――!」
ゼデクは間髪入れずに背後に飛んだ。一瞬の判断。それが功を奏した。直後、男が木刀を掴み振るわれる。僅かに遅れ、空を切る木刀。
「......なんの真似だ?」
「こんなものか」
今度は拳が振るわれる。これまでと比較的ゆっくりな拳。ゼデクは腕を構え、防ぐことにした。
「やめなさいっ! ペルセラル!」
レティシアの声が聞こえた次の瞬間、ゼデクは宙を舞っていた。そのまま壁を突き破り、外へ飛び出る。
「くそっ......」
腕の痛みを感じながら理解する。軽々と振るわれた拳が自身をここまで運んできたのだ。壁を破り外へ出る男。獅子のような銀のたてがみ、宙に浮くもの全てを落とさんとする眼光、隠そうともしない威圧感。ゼデクはそれを見て、改めて思う。彼は強者だ。そして惹かれる。国随一と謳われる、力の支配者に。
「お前は満足するのか? ならば腑抜けも良いところよ」
そう言って、男はゼデクの前に刀を放った。ゼデクが持つ千日紅刀だ。
「与えられた仮初めの時間でお前は満足するのか? 選べ。この一週間、目先の逢引にうつつを抜かすのか、あるいは本当の意味で形あるものにするのか」
ゼデクは自身の前に放り出された刀を見て、喉を鳴らす。男の言わんとする意味を理解したからだ。
「......俺も良いんだな?」
「命を懸ける覚悟があれば、刀を握れ」
ゼデクは決めた。プレゼンスとの約束を果たすため、レティシアとの約束を果たすため、さらに強くなる。この男の元であれば、それができる。このチャンスを逃すわけにはいかない。千載一遇のチャンスを。
「俺をアンタの弟子にしてくれ」
刀を握る。そして物怖じしそうな男の視線に耐え抜いて、ゼデクはそう言い切った。




