第58話(閑話) 宰相と初恋 3
真っ黒だ。あのドーム状に広がった真っ黒な結界の奥に聖地はある。いや、誰も中の全容を把握するものはいないだから、本当は聖地なんてものは存在しないのかもしれない。
『手、手貸してください!』
『......世話が焼けますね』
ちょっとした崖の上から、エスペルトは手を伸ばす。すると、下からも手が伸びてきて、掴んだ。とても華奢な手だ。それを引っ張り上げる。強引にならないように、でもしっかりと支えるように。いつから自分は他人を気遣うようになったのだろうか? エスペルトは自嘲気味に笑った。
『よっ......ふぅ。ありがとうございます』
地に両手足を付け、数秒荒い呼吸を繰り返す少女。その動きに合わせて、金の長髪が綺麗に揺れていた。
『よくそんな体たらくで、ここまで来ようなどと考えたものですね』
『ふふ。それを見越して貴方を呼んだのですよ』
『まったく、呆れた。だから嫌だと言ったのに』
『でも貴方は今、ここにいる』
『......』
本当になんでここにいるのだろうか? 心中で呟く。誰がどこへ行こうが知った話ではないのに、放っておけば良いだけの話なのに、エスペルトは彼女について来た。不思議な話だった。
『さぁ、調べてみましょう! 普段外に出る機会がないので、興奮します!』
『不用意に動かないでください。監視が他の比ではありません』
聖地、それも入り口となる祠付近では監視が厳重だった。なんせ三国の国境沿いにあるのだから。近づくのであれば細心の注意がいる。
『そうですね。その為の私と貴方ですから』
彼女は微笑むと自身の耳とエスペルトの瞳を指差す。ありとあらゆるものを広範囲で見透かす“天眼”を持つエスペルト。そして、同じく広範囲にわたる異常聴覚を持つ彼女。監視の間を潜り抜けるにはこの上ない組み合わせだ。
『それにしても気になりますね〜。あの奥には......聖地にはどんなものが眠っているのか!』
『先に言っておきますが、私の眼ではあの中は覗けませんよ?』
『本当に?』
『本当に』
すると、少女がエスペルトに顔を近付ける。ジッと見つめる。エスペルトはそれに気恥ずかしさを覚え、視線を逸らした。
『あ、目を逸らしましたね? ......怪しい』
『別に嘘なんかついてません。貴女が悪いだけだ』
『なんで私の所為になってるんですか! ......ははぁーん、さては照れてるんですね?』
いよいよ耐えきれなくなるエスペルト。彼は完全にソッポを向くと歩き出した。
『......行きますよ。ただでさえ、お忍びで来てるのですから。後でバレたらなんと言われるか』
『ま、待ってください!』
二人は行く。真っ黒な結界の方へと。二人は行く。そこに新たなる真実があると信じて。二人は行く。
それが、悪夢の始まりだとも知らずに――
◆
とある国のとある場所。真っ白な長髪をした少女が地に十字架を建てる。
『よっと、何してるのー?』
背後から声がした。男の声。少女が振り返ると、やはり男がいた。
『見てのとーり、十字架建ててます。暇なんで。......ところでアンタさん、随分と大物を手に入れましたね』
十字架に似合いそうな聖騎士を見つめながら少女は言う。この間までは悪趣味な女の身体ばかりに手を出していたくせに。
『うん? あぁ、これ? いいでしょ。西国の戦争に首突っ込んで来たんだけどさ。この身体だけでもかなりの収穫さ』
聖騎士はグルグル肩を回す。そしてニヤッと笑うと、
『でも君が欲しいなら、交換してあげても良いよ? 君の顔、俺好みなんだよね。やっぱり姉妹は似てるなぁ〜』
なんて言う。でも少女は一瞥するだけで、十字架に視線を戻す。
『うーん。この十字架に何か装飾をほどこそーと思ったんですが何か良いものは......あぁ、聖騎士なんてどーでしょ? 貼り付けたらきっと様になりますよ?』
『うわっ、怖いなぁ〜。冗談だって』
聖騎士も十字架を見る。
『で、誰の墓? いや墓にしては大き過ぎる十字架だけど』
『オスクロルが死んだので、記念に』
『うっひょー! ついに死んだか! アイツしつこかったもんなー! で、死体は? 埋まってんの?』
『なわけねーでしょ。終始戦場には近付けませんでしたよ。案外彼も用意しゅーとーでしたね、完璧に警戒されてました、ウチら』
少女は剣を取り出すと、暮石らしい何かに名前を掘り始めた。暇つぶしにこんなことするのだから、はたして悪趣味なのはどちらなのやら。聖騎士は眉を潜めた。
『え、死体確認してないの? しっかり仕事してよ』
『は? ナメてんですか? ウチはキングプロテア担当です。アンタさんがルピナス担当変わってほしーなんて言うからわざわざ工作したんですよ? 文句あるなら――』
『ごめんなさいっごめんなさいっ! お願いだから、怒らないで、ね?』
急いで間を取る聖騎士。直後、魔力の圧が走った。耐えきれず四散する十字架と割れる地面。
『あーあ、折れちゃいました。アンタさん、後で建て直しといてください』
『え、俺が?』
『うん?』
『 やるやる! やりますよ!』
その返事を聞いて満足したのか、少女は立ち上がる。すぐに十字架に着手した聖騎士を見届け、城の方へと歩み出した。
『次はどこですかね〜。やっぱり西国? それともキングプロテア? 千日紅もアリです』
そう笑う彼女の額には六花の紋様が輝いていた。




