第56話 少年と終戦 1
「――ッ!」
誰かが呼んでいる。
「――さんッ!」
自分を呼んでいる。
「爺さんッ!」
「親父ッ! 親父ッ!」
うっすらとした意識の中、プレゼンスは瞳を開く。どうやって駆け寄ったのか、ゼデクたちが自らの肩を支えているのが見えた。その奥でピクリとも動かない死体が1つ。オスクロルだろう。
「し、少年、よ」
「だ、大丈夫なのか? すぐに治療を――」
「よい」
身体の感覚が消えつつある。もうすぐ死ぬのだと理解できた。一度意識が戻ったのはきっと、魔法がくれたボーナスタイム。言葉を残さなければいけない。先ずは――
「ガゼル......」
「お、親父!」
「黙っていてすまない。ワシは......ワシたちは今日ここで......半ば死ぬつもりでいた。お前を......残すことになる」
「ううん......国に残ったみんなもいる。安心してくれよ。俺、頑張るからさ。頑張って......いつか親父の団、継ぐからさ」
普段は不思議な行動ばかりする彼だが、どうやらわかってくれた。これからプレゼンスが死ぬと。本当に申し訳ない気持ちで一杯になり、残された力を振り絞って、彼の頭を撫でる。でもこれで良い。彼には彼の仲間がいる。だから、これから彼らと生きてくれれば、プレゼンスは本望だ。
今度はちょっとした問題児の方を眺める。彼にも言葉を残さなければならない。
「そして、少年。......ゼデク・スタフォード」
「なんだよ爺さん。まるで遺言みたいに――」
「......すまない。遺言になる」
そんな言葉を認めたくないのか、ゼデクは俯いた。でも、すぐに向き直る。
「......ごめん」
「謝るな......お前のおかげで......オスクロルに勝てた」
「違う! 爺さんが居なかったら、みんな死んでた!」
「お前が居なくても......全滅していた」
ゼデクが頑なに首を振る。
「俺は、俺はアンタだって守りたかった! なのに......なのに!」
「ふふっ......思い上がるなよ小童。......こういうのは......順番がある。残念ながら......ワシはお前が守るべき人ではない。周りを見てみろ」
本当に守るべき人が、仲間がそこにいる。救うべき人が彼を待っている。いつか、彼も理解してくれる日が来るだろう。今は死ぬ時ではない。
「良いか......今は生きろ。生きて、もっと強くなれ......皆は反対するかもしれないが......ワシはお前のような男が......姫様の伴侶となること......楽しみに待っているぞ」
涙ぐむゼデク。そんな彼を、あぁ、泣き虫だなとプレゼンスは笑った。そういえば、出陣前にも泣き虫がもう1人いたことを思い出す。死に際になって心配になるのは、やはり彼だった。
もう随分と話してしまった。時間はそうないだろう。だからプレゼンスは、これだけ最後に伝えておこうと思う。
「ゼデク・スタフォード......良ければ最後に......もう一つだけ......ワシの願いを......聞いてくれぬか?」
「あぁ、聞く。言ってくれ」
ゼデクは二つ返事で、必死に頷く。
「エスペルトのことを......よろしく頼む。......帰れなくてすまない、と。奴は......あぁ見えて脆い男じゃ......お前が支えてやってくれ......本当の温もりをあげられるのは......お前のだけじゃ」
「......わかった」
「......ありがとう」
その返事を聞いたプレゼンスは満足気に微笑む。直後、光が差した。もう夜明けだ。太陽が昇ってきた。陽の光が、ゼデクたちを照らす。それを最後にプレゼンスは瞳を閉じる。彼らなら大丈夫だと。
それにしてもだ。薄れゆく意識の中、思う。心の中で呟く。今まで多くの願いを背負ってきたが――
――誰かに願いを託すというのも、心地良いものだな
◆
キングプロテア王国の主城、その一室にて1人の男と少女が椅子に腰掛けていた。
「このままでは間に合わないな」
「申し訳ございません......グラジオラス兄様」
そう言った少女、レティシア・ウィンドベルは沈んだ表情を浮かべる。“鍵”のコントロールについてだ。グラジオラスの指導の甲斐もあり、以前と比べてかなり精度は向上していた。しかし、まだ実戦投入できる段階ではなかった。
「良い。......お前は悪くない」
思った通りの言葉を表に出す。事実だ。彼女はよく頑張っている。本来、僅かな年月で成し遂げられるものではないのだ。増してやこの齢のレティシアに、完成を強要すること自体、間違っていた。
「で、ですが、お兄様!」
「わかっている」
時代が、六国の情勢が許してくれない。西の2大国が全面戦争に入ったせいで、他の国も動かざるを得なくなった。ルピナス王国にはエスペルトの一手が入ったものの、もう1つの隣国、千日紅国が気にかかる。近いうち、“鍵”の力を必要とする日が来るかもしれない。
「......おい」
「はい、なんでしょう?」
「いつまでそこに隠れているつもりだ? クレール」
「......へ?」
レティシアが素っ頓狂な声を上げる。すると、彼女の背後がグニャリと揺れる。やがて、オレンジ髪のポニーテールをした女が現れた。
「あ、あはは。バレました?」
「当たり前だ。ここは貴様とて入室禁止の部屋。申し開きは用意しているのだろうな?」
「それはもちろん! 最高の言い訳をーー」
「くだらないものであれば首をはねてやろう」
「も、もちろん......」
目をそらすクレール。そんな彼女をレティシアは驚きまじりで眺める。かつての従者、オリヴィア・ローレンスの姉、クレール・ローレンス。国随一の幻惑魔法使いというだけあって、今の今まで存在に気付くことができなかった。目が合う。すると彼女は、
「お、やっほー! 元気してるかな? お姉さんだぞ〜?」
なんて言う。
「早くしろ」
「ひぇっ! ま、まぁ落ち着いてくださいよ先輩! ......その、大変言いにくいのですが〜」
そこでグラジオラスは気付く。部屋の外にもう1人いる。同じくクレールの幻惑魔法で存在が隠されていたらしい。この魔力は――
「入れ......ペルセラル」
グラジオラスの言葉と共にドアが荒々しく開かれる。そして、1人の男が入ってきた。白銀の長髪。それだけで人を殺さんとする眼光。まるで修羅を体現したかのような男。かつて、ゼデクが出会った男だ。
「会議を放り投げた者が今更何をしにきた?」
「......変わらぬな。いや、貴様は少し変わった、グラジオラス。前よりも丸くなったと見える。だが――」
修羅はレティシアに眼差しを送る。のしかかる重圧に、レティシアは顔を逸らしそうになった。
「この小娘はいつも通りだ。力に翻弄される軟弱者よ」
「......何が言いたい?」
グラジオラスも殺気を剥き出しにする。まさに一触即発。今にも戦闘が始まりそうな雰囲気だった。
「で、ですから落ち着いてくださいって先輩! ね? ほら、ペルセラル先輩も――」
「単刀直入に言う。今回俺が出向いたのは他でもない。小娘が貴様らの手に余るのであれば、俺が貰い受ける」
「あ、あはは〜......厄日だ」
自らの仲介が虚しく崩れ去るのを感じたクレールは、乾いた笑い声を上げるしかなかった。




