第51話 少年と戦狼
『先輩......ねぇ、先輩ってば!』
『......私はいつから貴方の先輩になったのでしょうか』
キングプロテア王国に来たばかりの時、初めて彼の雄姿を見た。そして、驚愕した。強化魔法だけであそこまで至れるのかと。そんなエスペルトの隣でクレールという少女が跳ねる。
『私より年上で』
『はい』
『私より強い』
『はい』
『ならもう先輩では?』
『......フッ』
『あー! 今、鼻で笑った!?』
敵国からやってきた人間を早くも“先輩”なんていう少女。クレール・ローレンス。こんなに間抜けそうな人でも、国随一の幻惑魔法使いだとか。確か妹も相当なポテンシャルを秘めていると聞く。後ろに束ねられたオレンジ髪を振りながら騒ぐ彼女に、エスペルトは疲れた表情を向けた。
『ところで先輩』
『......なんですか』
『あ、認めた。ーーいえ、何でもありません。何でもないですからそんな目で見ないでください! ってそんな話じゃなくて』
『だからなんですか?』
目の前で敵を薙ぎ払う半裸の男もそうだが、この国には個性的な人物が多い。そして、そんな人に限って強い。
『“プレゼンスの半裸伝説”って知ってます? 目の前で無双してる大先輩の伝説です』
『ものすごーくアホくさいネーミングセンスですね、誰が考えたんですか?』
『シエル王子です。バレたら極刑ですね』
『......えぇ〜』
だから興味があった。プレゼンスの巨体に弾かれ、折れる剣を見て思う。
『さっきから先輩、ガン見してますよね? 興味深々ですよね? 教えましょうか、彼の半裸伝説』
『興味ありません』
『え〜!』
『でも、彼の魔法には......強さには興味があります』
すると彼女はにっと笑った。まるで自分のことかのように胸を張る。
『でしょー? でしょー? 気になるでしょー?』
『やっぱり興が冷めました』
『ご、ごめんなさい! ごめんなさいってば! もー言いますから......願いです。願いが彼を強くします』
『願い?』
やっと本題に入る。存外、興味深い話題であった。そういえば、エスペルトが彼と会って聞いた第一声は、
『お前の願いはなんだ?』
だった。妙に変な質問なので、鮮明に覚えている。
『特別な強化魔法です。人から貰った願いの数だけ、背負った願いの数だけ、彼の身体は際限なく強化されます』
『......は?』
思わず素っ頓狂な声を上げるエスペルト。やはりクレールはどこか誇らしげにしていた。そんなデタラメな魔法、聞いたことがない。ズルイなんてもんじゃない、強力なんて次元じゃない、とにかくデタラメ過ぎた。
『何とも恐ろしい魔法ですね。あぁ、なるほど。それで彼は人々に願いを聞きまわっているのか』
『ノンノンノン』
瞳を閉じ、小馬鹿にするように人差し指を振るクレール。エスペルトは徐々に迎えつつある限界を感じながらも彼女から視線をそらす。
『そういう魔法だから、彼は聞きまわっているのではありません。彼がそういう人間だからこそ、それに呼応した魔法が宿るのです。良いですかーー』
でも彼女は視線の先に回り込む。そして満面の笑みで言ったのだーー
『ーー人が魔法を選ぶのではありません。魔法が人を選ぶのです......きっと貴女の言っていたことは正しかったですよ、クレール」
随分と懐かしい記憶だ。今、これを思い出したのはプレゼンスが戦っているからかもしれない。それも彼の中で一大の戦いを。
「へ?」
「あぁ、すみません。構わず動いてください。逆らう者は殺し、降伏する者は丁重に。我らの目的はオスクロルの首、その先の同盟です。殺しではない」
自分の呟きが聞こえてたからだろう。隣で反応した兵士に指示を飛ばす。彼らは今、戦場にいた。少しでも戦鬼が有利になるよう仕向けるためだ。ルピナス王国の国境から主城に向けてじっくりと進軍する。
半壊した主城を眺める。きっとプレゼンスが戦っている。そしてゼデク・スタフォードが戦っている。彼にはとても特殊な魔法が宿っていた。自らの計画に必要不可欠な魔法が。そんな魔法が彼を選ぶのだ。ならばきっと、
「見事、戦場で成長してみせなさい。ゼデク」
今度は誰にも聞かれないよう、エスペルトは静かに呟いた。
◆
「くっ、グゥゥゥゥ!」
どこか驚きまじりに唸り声を上げるロゾ。その姿に以前の面影はなかった。それを見て、ゼデクはため息をつく。
「やっと戻ってきたと思ったらこれだ。少し見ない間に随分変貌したな」
世界には果てがないことを思い知らさせる。見ればわかる、彼もまた弱さの中で足掻き続ける者であった。いや、実際は強大な力が目の前にあるのだが。表情に、雰囲気にどこか彼の中にある弱さが漂っている。とにかく借りを返す相手がこんな姿なのが嫌で仕方なかった。
「......すまない。俺の決意が甘いばかりに、仕留められないばかりに!」
背後でレゾンがうめく。
「勘違いすんな。俺は俺の用があって割って入ったんだ。悪いがこいつは俺が仕留める」
啖呵を切ってみたものの、ロゾは健在のようだ。何故だか傷が修復している。そして額には怪しく輝く六花の紋様が。果たしてあれに匹敵する力を引き出せるだろうか? いや、やるしかない。ゼデクは己の中にある力を最大限に引っ張ろうとする。すると、
「こんにちはー、お兄さん? なんちゃって」
辺り一面が真っ白になった。手前には燃え盛る鍵のようなものと1人の少女が。ゼデクの中に潜む、恋する乙女だ。相変わらずレティシアに似た風貌をする彼女。以前そう感じたのは、やはり疲れていたからではなかった。
「......なんやかんや言って案外会えるもんだな」
「それは貴方が順調に強くなってるから。そして、私の目的に沿って歩んでるから。それにしても」
彼女はむっとする。
「そんなに私と逢うのが残念?」
「いや、タイミングがタイミングだからテンポが崩れるというかなんというか......で、なんだよ?」
「えー、貴方が私を呼んだんでしょ?」
そう言って、鍵のようなものを指差す。あれがゼデクの魔法であり、魔力源だ。
「まぁ、そういうことになるのか。今度はちゃんと力を貸してくれよ」
「だからそれは貴方次第。私はいつでも貴方の味方よ? それはそうと貴方の前にいる力、危険だわ」
「危険だからまた退けって?」
ゼデクは自身の魔法に手を伸ばす。彼女はそれを微笑んで眺めていた。
「いいえ、燃やしましょう。跡形も残らないくらいに」
「......物騒だな」
「だってあれ、私の目的だもの。彼の中に巣食うアレ、根絶やしにしてくれないと困るわ」
「え?」
「詳しくはまだ。今は目の前に集中して?」
その一言で我にかえるゼデク。急がなければならない。彼は燃え盛る魔力を掴むと勢いよく引き抜いた。
「さぁ、燃やしましょう! 恋を糧に、想いを糧に、そしてアイツらを炭に!」
意識を表に集中させる。ロゾが迫っていた。ゼデクは自身を確認する。ちゃんと魔法を引き出せていた。前よりも強く、大きく。
「......大丈夫かアイツ、キャラ変わってるぞ」
余程、恨みがあるのかなんなのか。とにかく燃やすことには賛成だ。ゼデクは炎を辺りに張り巡らした。それで暗闇が僅かに晴れる。
「ウォォォオオ!」
雄叫びと共に飛んでくる鎌が2つ。ゼデクは器用に片方を受け止め、もう片方をかわした。そして、剣先で無数の火球を作り放つ。軽い牽制だ。避けて遠ざかってくれれば上々、今のロゾ相手では最悪当たってもダメージすら見込めないかもしれない。
果たして放たれた火球は? あっさりかわされた。しかしロゾは詰め寄らず、これでもかというくらいに距離を取る。それ程警戒される類ではないのだが。
「......?」
もしかして、何かに怯えている? だとしたら一体、何に怯えている? ゼデクは考える。見たところ、彼の理性は失われているように思えた。さっきから雄叫びばかりで、以前のように罵声をあげたりしないし、魔法も使ってこない。ただ、何か救いを求めるように叫ぶだけ。
「......くそっ」
考えていたら胸糞悪くなった。純粋に怒っていたのに、殺された仲間の仇を取ろうと思っていたのに、こんな姿見せられたら以前ほど憎めなくなる。それにレゾンの話を思い出す。彼の友人を、しかも自分と同じ、数少ない“鍵”の理解者を相手にしなければならないのだ。
ーーいずれにせよ、燃やすべきよ。斬るべき。彼の中に巣食うあの力を取り除かない限り、誰も救われない。
頭の中で声が聞こえる。彼女の声だ。じゃあ斬れば誰かが救われると? 救うために斬ると? なんてくだらない考えが浮かぶ。
「......そんな偽善のためだなんてゴメンだ」
仲間の仇をとるため。戦功を立てるため。弱い自分にけじめをつけるため。それらを望む、自身のワガママのため。進むと何度も決めた。
「グォォォォォォォオオオオッ!」
ロゾが弱さを、怯えを振り払うように鳴く。そして思いっきり脚を軋ませた。ただ力任せに、でも強く、地面を蹴り上げ突進する。
「俺はアンタを倒して前に進むッ! ウォォォォォォォォオオオオオオオ!」
ゼデクも刀を構え、炎を纏い応じる。間髪いれずに、攻撃が入った。何度も何度も斬り合う。頰に傷が付こうと、鎌が折れようと、両者は怯まずに技を繰り出した。小細工無しの真剣勝負。でもそれは確実に終着へと向かっていた。
「グォッ!」
ゼデクの刀がロゾの爪と交わる度、炎が身体に触れる度、彼の中にある力は徐々に弱まっていった。それを見て、ゼデクは思う。さっき彼が怯えていたのは自身の炎なのだろう、と。刀が弾かれなくなる。彼の腕が上がらなくなった。膝がついて、炎に揺られる彼は苦しいはずなのに何処か安堵に満ちた顔をしていて。
自分の知らないところで勝手に満足する彼を見て、自身の終わりを悟る彼を見て、ゼデクは思わず目をそらしそうになった。これは苛立ちなのか? 或いは......
風が彼らの元にルピナスの花を運ぶ。辺り一面が紫で包まれる。数少ない明かりでも、それがわかった。
「......アンタとは違う形で会ってみたかった」
その中で刀を振るう。炎に飲まれたルピナスの花は、静かに燃え散ったーー




