第49話 戦鬼と戦狼2
『こんにちは〜、お兄ーさん?』
声がする。
『どーしたんですか? そんなにボロボロになっちゃって』
とても透き通った、美しい声。
『惨めに負けちゃったんですよね〜? 突然現れた訳の分からない人間に、揃いも揃って情けなく。あー、でも狼さんたちも元は人間でしたね』
声の主も妖麗だった。絹のような白い長髪に、サファイアを埋め込んだような瞳。人並みな感想だけど、とても綺麗な少女。
『なぜそんなことを知っている? 何者だ?』
『ふふ。教える義理はねーですよ。で、今どんな気分ですか? 仲間家族を殺した王様にこき使われて毎日毎日毎日毎日ーー』
『黙れっ!』
ロゾは思わず腕を振るった。幼気な少女に。でも簡単に弾かれて、逆に踏みつけられて。彼女は強かった。自分なんかよりもはるかに、ひょっとしたらオスクロルに匹敵するくらいに強かった。
『こえーですねー。情けねーですねー。あぁ、力が足りない〜、強さが足りない〜、このままではみんな殺されてしまう〜』
少女が上で笑う。その妖艶な笑みでカンに触る言葉を放つ。なのに、どこか神々しささえ感じた。
『ーーところがどーでしょう? ここに力があります』
彼女は手に光り輝く球体を出すと、ロゾの顔の前まで近づけた。
『スゲ〜力です。誰にも負けないし、縛られない。ぜ〜んぶ自分の思うがまま』
光の球体が目の前で怪しく揺らめいた。危険だ。絶対に危険だ。ロゾの本能がそう告げる。でも同時に、それを欲しいと思う自分がいた。
『危険? いえいえ、危険じゃねーですよ? これは神様からの賜物。聖地からの賜物。ほらほら、必要でしょ? 欲しーでしょ?』
そんなわけない。こんなにも莫大な魔力が凝縮された物体をロゾは見たことがなかった。“鍵”を見ればわかる。レゾンを見ればわかる。彼が一体どれ程の苦労をかけてあれをコントロールしていたのか。恐らくそれに匹敵する力をノーリスクで手に入れるなんてできなかった。
『あらま、アンタさんも意外と理性が働いてますね。そーです。ノーリスクで手に入る力なんてねーですよ』
なにも喋ってないのにも関わらず、少女は心を見透かすように語りかけてくる。しかし今はそれどころじゃなかった。目の前の誘惑に負けないよう努めるのが精一杯だった。
『でも残念。この力がどうであれ、アンタさんは受け入れるしかねーんです。だって今にも強くならないと、戦鬼のお友達さんも守れねーですもんね? 家族も仲間も失って、最後の砦まで失ったら、生きてる意味ねーですもんね?』
少女は球体を限界まで近付ける。未だにロゾは踏み込めないでいた。アレを手にするのは正解で不正解だから。
『......俺は、俺は』
『あは。だから、アンタさんに選択肢なんかねーですって』
と、彼女は彼の弱さを嘲笑うかのように、その額に球体を押し込んだ。瞬間、猛烈な頭痛が駆け巡る。到底この世のものとは思えないほどの痛み。ロゾは悲鳴を上げた。
『ふふっ。頑張って耐えてくだせー。で、そのまま聞いてくだせー。この力はアンタさんの努力でどんどん開花します』
彼女は手を緩めない。
『簡単な努力です。殺すだけです。何人も何人も殺すだけ。それに比例してアンタさんの力が、強さがどんどん上がっていきます』
ただ張り付いた笑みで手を押し込む。押し込まれるたびに殺意が頭を支配しはじめた。誰でもいい、殺せ、と理性が壊れていく。
『まー、せーぜー頑張って〜』
そう言って、彼女は姿を消したーー
◆
怒号と悲鳴が行き交う中、二匹は対峙する。片や急激な成長を諦め他国にすがりついた鬼。片や理性を捨てインスタントな力にすがりついた狼。
「俺はお前と同等、いや、それ以上の力を手に入れた! この意味がわかるか?」
ロゾは笑う。そして何処からとなく鎌を2つ、両手に持つと、
「俺はお前を超えたんだよッ! そしていつか、オスクロルさえも超えてやる!』
飛びかかった。レゾンも応じる。黒雷が斧に凝縮された。二匹同時に武器を振るう。互角だった。何度ぶつけ合っても、どちらも綻びることなく怯むことなく。でも、それには限界点があった。
「一体どれほどの代償を払った!?」
「代償? 代償ならたくさん払ったさ! 今まで殺してきた数だけな!」
「......! 貴様ぁッ!」
レゾンが斧を振り下ろす。ロゾはそれを易々と避けた。筋力の戦鬼。スピードのワーウルフ。両種族を分ける決定的な特徴だ。なのに今、ロゾはレゾンに負けないほどの筋力を有している。やがて隙は生まれーー
「遅い! いつまでも荷物背負ってからだよ!」
ロゾが放った一撃が、レゾンの肩を切り裂いた。
「......おのれ」
「がっかりだ。お前だってもっと強くなれたかもしれないのに。弱者か? 背負う荷物がお前を弱くしたのか? ならアイツらから消してお前の目を覚ましてやる」
「何をする気だ!? やめろ!」
音魔法・“ハウリングワルツ”
辺り一面をドーム状に透明な膜が覆う。その間ロゾが深く息を吸う。そして数秒停止したのち、思いっきり雄叫びを上げた。轟音が戦場を襲う。音は透明な膜に反響し、鳴り止まない。誰もが耳を塞いだ。
「さぁ、殺戮だ」
自分にしか聞こえない言葉を呟く。隙だらけの戦場。後はその戦場を駆け回るだけだ。敵も味方も関係なく斬り刻む。で、殺した分だけ力が増す。そんな単純作業。しかし、彼の前を黒雷が遮った。
「てめっ!」
「昔からお前が得意とした戦法だ。予想できないわけなかろう」
お互いが届かない言葉を掛け合う。だが、表情からニュアンスは感じ取れた。ロゾが魔法を出そうとした時点で、レゾンは何かしらの道具で予め耳を塞いだのだろう。
「......だがここまでは俺だって予想範囲内だ。その為に得た力よ!」
額の輝く六花の紋様が輝く。瞬間、ロゾは姿を消した。鎌を持ち、姿をくらます戦法。まるで誰かを彷彿とさせる戦法だ。
「......そこまで奴に成り代わりたいか」
レゾンは急いでロゾが攻撃しそうな場を予想した。自分? 味方? どちら? 自分だとしたらどこを、味方だとしたら誰を狙う? 鳴り止まぬ轟音の中、辺りを見回す。
その間、ロゾは対象を見定めていた。殆どの敵味方がその場で耳を塞ぎ、さらには膝をつく様を見て思う。自分は強くなったと、もう以前のように弱くないと。
「視界を断ち、聴覚を奪う! 王にはできない芸当だ!」
ロゾは決めた。近くで重傷を負った戦鬼を見つけた。レゾンの視界に入る範囲にいる戦鬼。きっと彼の目の前で殺せば、良い光景が見せつけられる。
「弱者など荷物だ! あっさりと死ぬ面倒な存在だ! そのことを思い知れ、レゾンッ!」
迷わず突っ込む。目の前で膝をつく戦鬼は当然気付かない。後は鎌を振り下ろすだけだ。何もできない貧弱者を殺すだけ。
「死ね!」
頭をかち割るように振り下ろす。血が飛び散った。当たった感触もある。でもそれは酷く筋肉質なものでーー
「今のお前なら迷わず選ぶと思っていた。もっとも弱っている者を俺に見せつけるように殺すと」
「何っ!?」
ロゾが鎌を突き立てたもの、それはレゾンの背だった。間際で覆うように割って入ってきたのだ。まずい、すぐに抜いて離れなければ鎌を通して自分の位置がバレる、とロゾは思う。引き抜こうとする。抜けない。手放そうとしたところで、腕を掴まれた。
「でも心の奥で願ってもいた。......なぜ俺を堂々と狙わなかった? 昔のお前が相手なら、結末も変わっていようにーー」
彼の儚げで悔しげな表情を最後に、黒雷が直接ロゾの身体を走った。




