第44話 王花と昇藤2
気付けば、あの日から一月が過ぎた。自国がけしかけ、三国巻き込んで戦ったあの日。多くの重臣を犠牲にしてまで交渉をしたあの日からだ。自らの前に立つ男もまた、茨の道を歩む者だった。
『これで最後ですか』
中性的な声が聞こえる。黒い長髪、ガラスのような瞳、顔に似合わぬ大きな身体。手には千日紅国の名刀が。そこから滴る血。血が落ちた先に仲間の死体がある。
『......本当に信じて良いのだな?』
『もちろんですとも。嘘をつけば今後、我々の計画に支障をきたしますから。それに今の貴方は私に頼るしかない』
この日から、この時からもう決まっていた。他国の力を借りてでもオスクロル王の首を取るのだ。キングプロテアから強大な刺客を彼の元まで連れて行く。そうすれば少しは勝機を見出すことができる。
『むしろ貴方がたの言葉に、嘘偽りはありませんか?』
『ない。俺が国の実権を握った暁には同盟を結び、お前たちが“鍵”を必要とした時、惜しみなく貸し出そう』
説得力のある言葉だと、戦鬼は自身の言葉を信じた。なんせ自分は戦鬼の首長あり、“鍵”の保有者なのだから。
『では明確な日時をーー』
今までの苦労が嘘のように、戦場で行われた密談はスムーズに進んだ。足元に転がる重臣を見るたびに心が折れかける。この密談がオスクロル王に怪しまれない為に彼らは死んだ。さしずめ今の自分はエスペルトという男に挑み、ぼろ負けした惨めな敗将といったところだろう。
『ーーよろしい。あまり長引いてもいけませんね』
そう言うと彼は刀をこちらに向けた。
『やはり必要か』
『えぇ。貴方だけ無傷というのも不思議な話です』
エスペルトは言い終わるや否や、レゾンの胸に刀を突き立てた。痛みを抑えられず、苦悶の声がもれるレゾン。急所を外しているようだが、重症に変わりはない。抵抗はしなかった。全ては疑われる材料を少しでも減らすため。
『では惨めに、それでいてみっともなく逃げてください。貴方に再び会える日を楽しみにしていますよ』
胡散臭さ全開の声を背に、レゾンは全力で駆け出した。胸から熱いものが流れる。
それは血なのか、プライドなのか、あるいはーー
◆
「お前たちがキングプロテアからきた援軍か?」
プレゼンスをも上回る巨体、大木のような腕、二本の角。戦鬼の長、レゾンが値踏みをするようにゼデクたちを見つめた。
「いかにも」
プレゼンスが一歩前に出て答える。いつになく険しい顔付きのプレゼンス。それにレゾンは眉を潜めた。彼をジッと凝視する。
「半裸の老人。お前がかのプレゼンス・デザイアか」
「知っとるのか?」
「当たり前だ。国の者が何人も殺されているのだ。長である俺が知らぬはずあるまい」
七栄道にはそれぞれ役割を有している。プレゼンス率いる“願望の魔法師団”はルピナス王国担当。多少の入れ替わりはあるものの有事の際、彼らは長きに渡りルピナス王国からの侵略を防いでいた。
これらを踏まえると戦場で会っていてもおかしくないが、どういうわけか2人は、初対面らしい。一瞬険悪な空気が流れる。
「......皮肉なものだな。怨敵との出会いがこのような形になるとは」
「それはお互い様じゃの」
しばらく睨み合うも、やがて溜め息と共に目をそらす2人。
「それで将は貴様1人か?」
「後からエスペルトが来るが、オスクロルはワシとワシの師団の人間でやる」
するとレゾンは眉を潜めた。
「貴様の力を認めないわけじゃない。しかし、あの男を侮るな。貴様らだけで倒すなど不可能に近いぞ」
「大丈夫じゃ。強さには自信があるからの」
「......確か序列があったな。貴様は国で何番目の男だ?」
「序列か? 7番目じゃ! だがあれはアテにならんからの〜」
ガッハッハと笑うプレゼンス。対するレゾンは目を見開いていた。序列が七位。つまり七栄道の中では1番下。
今まで自分たちを苦しめてきた人間が序列七位。そしてこれから強大な敵を倒すために呼び出した味方が序列七位。複雑な表情を浮かべるしかないのだろう。ゼデクは何となく、彼の心情がわかる気がした。
それにしても、だ。自分たちの目的であるオスクロル王。レゾンの話によればプレゼンスよりも強者であるらしい。
ゼデクは彼について考えてみる。一度は会ったことのある敵だ。黒や紫の甲冑、強大な魔力量に禍々しい闇魔法。ワーウルフの首長が怯え、グラジオラスと互角に戦った男。
プレゼンスとグラジオラスの間にどれ程実力差があるかはわからないが、プレゼンスに勝ち目がないようには思えなかった。だが確実にしとめるには、複数人は有効かもしれない。
「心配ならワーウルフどもを鎮圧してから駆けつけてくれ。エスペルトの意向じゃ」
「......あの男の意向ならば問題ない。こっちだ、準備をするぞ」
翻して歩み始めるレゾン。その姿を見て、えらく信用されているな、とゼデクは内心苦笑いする。
あんな胡散臭さの塊のどこに信用する要素があるというのか? いや、もっとも強者ではあるのだが。心理戦において、彼は底知れないものを持っている。
それはさておき、これからの事を思うと少し不安になる。このまま計画通りに行くならば、これから自分たちはーー
◆
「グハッ! 躊躇うな! 中途半端にやりおって! もっとちゃんとできんのか?」
「貴様の身体がやたら硬いのが悪い! 生身のくせしてなんだこの筋肉は!」
「下手くそ! 後でワシもお前を殴るんじゃからな? 覚えておれよ!」
レゾンが横たわるプレゼンスの上に跨り、拳を振り下ろし続ける。周りにはそれなりに傷を負った“願望の魔法師団”の団員たちと戦鬼がいた。
これからの作戦ーーオスクロルを暗殺するに当たって、違和感なく彼の元にたどり着く方法。
1、プレゼンスたちを捕虜としてカモフラージュし、戦鬼が城まで運ぶ
2、戦鬼の一斉蜂起と共にプレゼンスたちを城内に放つ
3、蜂起による混乱に乗じ、プレゼンスたちがオスクロル王を闇討ちする
一見穴だらけのように見える作戦。しかし、エスペルトとレゾンの見立てではそれが可能らしい。
オスクロル王が内政に関心を持たないこと、戦鬼が一枚岩となって準備を進めてきたこと、ワーウルフもオスクロル王を恨んでいること。それらがこの作戦を成立させる要因だ。
それでもゼデクは納得できない部分がいくつかあった。何故、オスクロル王に恨みがあるはずのワーウルフは味方ではないのか? 何故、これ程恨みを買ったオスクロル王は、今日まで君臨できているのか? 疑問は晴れない。
何より怖い事実は、ルピナス王国の兵全員を持ってしてもオスクロルに勝てない事実。それが本当であれば、先程のレゾンの言葉に信憑性が帯びる。果たしてプレゼンスはオスクロルに勝てるのだろうか?
そんなことを考えていると傷だらけのレゾンがこちらを向いた。彼はゼデクたちを見ると眉をひそめる。
「くそ、子供たちもいるのか」
と、苦い顔をしながら呟く。
「キングプロテアも酷いものだ。こんな戦場に女子供を送り出すなど......」
そんなことを言いながらこちらに近付いてきた。当然ゼデクたちも例外ではなく、ある程度傷つく必要があるからだ。やがて巨体がゼデクの前に立つ。
「......悪いことは言わない。お前たちは帰れ。この先は子供のいて良い世界じゃない」
諭すように話しかけるレゾン。そこでゼデクは気付いた。残虐非情な者ばかり集うルピナス王国の中で、彼は異質な存在であることに。
先程プレゼンスを傷つけることにも、目の前にいる子供に手を挙げることにも躊躇いを覚える戦鬼。当たり前のことだが、ルピナス王国の中では数少ない良心を持つ者たちだ。そしてそれは、戦場において生温いと判断される。
おそらくオスクロル王のみならず、ワーウルフとさえ対立している理由はここにあるに違いない。
「えらく優しいんだな。だが俺だって色々背負って来てるんだ。帰ることはできない」
その言葉にムッとするレゾン。そしてゼデクを値踏みするように見つめてきた。でもそれはこちらも同じこと。ゼデクも彼を見つめる。ゼデクは、ここにも目的があった。
ルピナス王国。戦鬼の首長、レゾン。彼が戦鬼の首長だとすれば、彼は“鍵”を持っているはずだ。この世界に6人しかいない“鍵”の保有者。“鍵”に関して、レティシアの役に立つ情報を持っているかもしれない。
「......俺に女子供を殴る趣味はない」
「別に傷付けるのはアンタじゃなくても良い。他を当たる」
と言い踵を返すゼデク。するとレゾンは慌てて止めた。
「待て、お前たちは子供だ! 戦わずして従った降兵の体でいけば良い! 武器だけ寄越せ!」
異常な弱者に対する執着心。エスペルトに対する一定の信頼度。そしてその弱みをゼデクにさえ見せてしまう程、追い込まれている現状。
利用できるカードはある。そしてまたとない機会。ならば何としてでも情報を引き出すのだ。と考えながら振り返るゼデク。
彼はポーカーフェイスの裏で、必死に頭を動かすのであった。




