第43話 王花と昇藤 1
「ガアアァァァァァッ〜!」
荒野に悲鳴が響き渡る。1人の戦鬼の上に人間が跨っていた。手には血と黒い瘴気が。胸に穴が空いた戦鬼を見下ろし、この国のーールピナス王国の主、オスクロル王は笑った。
「なんで今、こんな状態になってるかわかるか?」
「......!」
流石は戦鬼といったところか。この傷を負って尚、動くことができるらしい。依然として反抗的な眼差しを向けていた。オスクロルは変わらぬ笑みで返す。
「お前の主人が先の戦いで無様を晒した。その償いだと思うか?」
「......何がっ、言いたい?」
血を吐きながらも懸命に喰らい付こうとする戦鬼。だがそれも叶わぬ夢。その体のどこから出てきたのかと思える程の力が戦鬼を押さえつける。
そんな光景を眺めるワーウルフの一団は畏怖していた。ここには何体かの戦鬼が転がっているが、いずれも凄惨な死を遂げたものばかりだ。王の護衛をしている自分たちは絶対の安全圏にいるはずなのに。だというのになんだ? この悪寒は、恐怖は?
「これは俺の気まぐれだ」
「なら、我らの、我らのどこに非があるっ!」
「弱いからさ」
「......は?」
彼らが感じた不吉の正体。理不尽だ。弱いから殺されるという理不尽。それは自分たちとて例外ではない。今、オスクロルの気まぐれが自分たちに向いていないだけであって、そこらに転がっている有象無象と何ら変わりがないのである。
「女、子供。弱いなぁ。それは罪だ。最低限の役割さえこなさず平和を謳う連中。そんな奴らを生かす程、俺は優しくない」
「......くっ」
やがて反抗的な眼差しを向けていた戦鬼が、諦めるように目を閉じた。もう抵抗をしないのだろう。
頃合か。そう思ったワーウルフの首長、ロゾはオスクロルの背後に歩み寄った。
「......王よ、戯はその辺りで。後の仕事がーー」
「この国にそんな機能があるか? 戦えればそれで良い」
決め事はいつも国王がする。細かいことは首長が、さらに細かいことは担当の者が......もはや、国と呼べるかすら怪しかった。最低限の司令機能があればそれで良い。兵士・駒がいればそれで良い。それがオスクロルの思考だった。
この国の王は国の行く末を見ていない。ただの戦闘狂なのかは知らないが、戦いにしか目を向けないのだ。目の前の男が自分たちを屈服させ、王となって以来、この国は変わった。
ロゾは阿鼻叫喚の原因を見つめる。無防備に晒された背中。今、爪を振るえば易々と首を刎ねれるのでは? そんな考えがロゾを支配する。
ずっとずっとずっと夢見た瞬間。それは我が物顔で居座るこの人間を殺し、自分が真の強者として君臨すること。誰にも指図されず、全てが自らの思うまま。その為に悪魔に魂を売ったし、耐え難い日々を過ごしてきた。
殺せ、殺せ、殺せ。頭の中が殺意に支配されそうになる。悪魔に魂売った代償だ。理性を失いつつある。でもこの場に立ったら皆こうしたいだろう。表向きは従順でも、心から従ってるやつなんて誰一人としていやしない。
気付けば腕を振り上げていた。王はこちらを向かない。であれば、後は振り下ろすだけだ。それで彼は死ぬ。なのにーー
「どうした? やらないのか? お前が殺せると思ったチャンスなのだろう?」
しばらく躊躇っているロゾにオスクロルが声をかける。ロゾはその場で固まった。この先動けば死ぬと本能が訴えているからだ。同時にオスクロルの周りに瘴気が漂い始める。それは攻撃の合図だった。
「......っ!」
闇と表現するにふさわしい、深い黒を宿した瘴気は徐々に彼の上に集まっていく。どうする? 振り下ろすべきか? そのまま殺されるか? ロゾは必死に頭だけを動かした。
「もう良い、死ね」
ズドン、と大きな音を立て、闇の瘴気で形成された槍が落とされた。戦鬼の頭に。
「ーーえ?」
「何を勘違いしている。使えないのは目の前のゴミで、お前はまだ使えるんだ。使わないともったいないだろう?」
オスクロルは立ち上がると、ロゾの方へと振り返る。変わらぬ笑みを浮かべ、歩み寄る。
「でも俺はお前が怪しいと思う」
「わ、私が、怪しい......?」
「まさかお前、どこかに内通してないだろうな?」
その言葉にロゾは肩を震え上がらせる。それが証明になるとしても止めることなどできなかった。もう遅いとわかっていても、ロゾは弁明を試みる。そうするしかないのだ。
「ま、まさか! 私が貴方を裏切るなどと!」
「そうだよなぁ? 裏切れないよなぁ? お前じゃ俺には勝てないのだから。誰を連れようと、誰から力を貰おうと、何を使おうと、俺に勝てるやつなんていない」
それでもこの男はシラを切る。確実にわかっている顔だ。なのに殺されない。所詮、自分は駒としてしか見られていないのだ。反抗心あれど、まだ飼い慣らすことのできる犬だと。
「お前が以前と変わらぬ、そうわかって安心したよ」
オスクロルがロゾの肩の上に手を置く。まだ生きていられるらしい。ロゾは心のどこかで安堵を覚えてしまった。そしてすぐ後を、大きな屈辱感が追う。
この国は確実に破滅に向かっていた。同時に自身の理性をも破滅に向かっていた。この破滅を止めるにはーー
◆
綺麗に整った道、の隣の険しい山道の中を歩く団体が1つ。決して多くもなく少なくもないその団体は、ルピナス王国の方角を目指していた。
「いやぁ〜それにしても、当日に寝坊する人がいるなんてね〜」
その道中、エドムが悪戯めいた笑みでゼデクを見つめる。
「悪かった。悪かったからもうやめてくれ」
あれからプレゼンスに起こされるまで、ゼデクは山の中で眠ってしまったらしい。ゼデクが起きた時に半裸の男はもういなかった。ただ、傍には彼が持っていた槍が。それを驚きと慈しみの瞳で見つめていたプレゼンスを、ゼデクは生涯忘れることはないだろう。
「でも良かったんですかね? 私たち参加しても」
「問題ない。親父が許可取ったから」
オリヴィアとガゼルの声を聞いて感じる。久しぶりに5人揃ったのだと。しばらくゼデク1人だけ別の場で修行していたためか、懐かしさと安堵を覚えた。
「......あんた」
「うん?」
ゼデクが声の方を振り返ると、少しムスッとしたウェンディがこちらを向いていた。昨晩のことを気にしているのかもしれない。秘密事かは知らないが、周りに聞こえないよう声を抑え、話す。
「それも悪かったな。まさか父親といるとは思わなかった」
「そうじゃなくて! ......いや、それもなんだけど。あんた昨日、誰と話してたの?」
「え?」
奇怪な質問をする。ゼデクは一瞬固まったが、何を意味するかすぐに判別がついた。半裸の男は自分以外には姿を見せなかったのだ。だとすれば彼なりに隠したい訳があって、ここで明かす訳にはいかなくて。
「......独り言?」
「頭大丈夫? 修行のやりすぎ? それとも元から?」
辛辣な言葉にゼデクは顔をひきつらせる。いや、苦し紛れでおかしな答えであることに間違いはないのだが。
「まぁ、良いわ」
「良いのかよ」
「......」
「......」
沈黙する2人。その間彼女はずっとゼデクを見つめていた。時に不思議そうな顔をしたかと思うと、真顔、ムスッとした不満顔、何かを考えるような顔、納得したかのような顔、様々な表情を浮かべる。
「......う〜ん。ふん。う〜む。ふむ」
コロコロ表情を変える彼女。きっと親譲りであろう彼女の綺麗な顔立ちは、いかなる表情でも崩れることはなかった。気恥ずかしくなり顔を背けるゼデク。
「なんだよ」
「本当に強くなったのね、なんだか悔しいわ」
そんなこともわかるのか、と思わず目を見開く。同時に自身が前進している証とも取れる言葉に喜ぶ。
「すごいな、俺自身ではそんな変化なんてわからん」
「パ......父上がそう言ってたもの。正直私もわからないけど、父上が言うなら絶対よ」
「......お前自身で判断した訳ではないのな」
そうだとしても嬉しいことに変わりはない。以前の自分を知ってるか定かではないが、かの“守護神”にそう判断されたのだから。そして今更取り繕っても手遅れだが、父親の呼び方に関しては突っ込まないことにした。彼女の名誉の為に。
「でも、前より雰囲気は良くなった気がする。こう、なんだろう? 落ち着いてる、みたいな?」
「落ち着いてる、ね」
心に余裕が出来たのは事実だ。きっとそれが表に出ているのだろう。そこは自分でもよくわかる。
そんな話をしていると徐々に視界が開けてきた。山を越え、草木が徐々に減ってくる。この先は崖になっていて、国境にもなっている。
「よし、ここまでは順調じゃな」
先頭のプレゼンスが歩みを止めた。それに伴い止まる一団。今回の目的はルピナス国王の抹殺及びルピナス王国との同盟。一見矛盾してるかのように思える目的は、彼らの見立てによると成立するらしい。キングプロテア国王と七栄道の見立てによるとだ。
下手をしたら一夜にして六国の情勢が変わる作戦。今回、プレゼンスの隣にいたゼデクは、一緒に内容を聞いていた。おそらく今立ち止まったのは、ここに待ち人がいるため。
やがて奥から足音が聞こえる。本人は隠そうと努めているだろうが、重量感溢れる巨体がそれを許さない。
「......お前たちがキングプロテアからの援軍で間違いないな?」
その巨体に恥じぬ声、威圧感。ゼデクは息を呑む。これほどの者がキングプロテアに内通しているのだというのだから。
そこには戦鬼が、戦鬼の首長レゾンが立っていたーー




