第40話 少年と転機
キングプロテアの王都“グランツ・ロード”。その主城の近くに墓場がある。それは、かつての戦で散っていった戦士の墓場。等間隔で綺麗に並べられた墓石の合間を、エスペルトは1人歩いていた。
何故ここに来たのか? それは本人でもパッとしない。ふと、ここに来たいと思ったから。ここで眠る友に会いたいと思ったから。そんなところだ。やがて、1つの墓石にたどり着く。
「申し訳ない。前回と随分間が空いてしまいました」
などと、しゃがみながら墓石に言ってみる。当然返事は返ってこなかった。やたら丁寧に掃除された墓石。よく人が来ている証拠だ。しかし、脇に酒瓶が無造作に置かれていた。
「相変わらず彼が訪れているようですね。これでは眠れないでしょうに」
今度は笑ってみる。もちろん反応はない。エスペルトはしばらく思いふける。友の墓標、そして“彼女”と初めて出会った場所。そんな表現をしたら、ここに眠る主は抗議するだろうか。
『こんにちは。貴方が隣国から来た方ですか?』
彼女が初めてかけてくれた言葉である。この国に来てからの初陣で彼を亡くした。当時落ち込んでいたエスペルトに、彼女は話しかけて来たのだ。
金髪で青い瞳をした美しい少女。今思えば、あれは自身の人生における大きな分岐点だったかもしれない。そんなことを考える。
「貴方のような人がここ居るとは......」
まさかーー
エスペルトは一瞬自身の耳を疑った。彼女と似たような声がしたからだ。エスペルトは驚きがちに振り返る。そこには彼女がーー否、彼女によく似た少女が立っていた。今は亡き彼女の娘である、レティシア・ウィンドベルだ。
「なんだ、貴女ですか」
「なんだ、とはなんですか。失礼ですね」
不満気な表情を浮かべるレティシアを、エスペルトは見つめる。すると、彼女はさらに機嫌を損ねた。
「どうしました? そんなに見つめて」
「いえ。こんなこともあるのだな、と」
親子揃って似たような邂逅。もしこれが神からの悪戯だとしたら、相当にタチが悪い。ただ母と違って、娘の反応は冷たいものだった。もちろん心当たりは十分にある。
「それで貴女こそ何用で?」
「......癪ですが貴方と同じ用事です」
レティシアが隣にしゃがむ。
「彼は将来、私が率いる魔法師団の副団長になる人でした」
「そうですね」
「でも不運にも戦場で亡くなられた。当時産まれてなかったとはいえ、私も少しお世話になりましたから」
“鍵”を護るために設立された魔法師団。ゼデクの代で三代目だ。目の前で眠る彼はその初代に当たる。少なからず、レティシアも罪悪感を抱いているのだろう。本来なら要らぬ罪悪感を。
「ゼデクは大丈夫なのですか? 彼のようにならないとも限りません」
「それはもう、ご安心ください」
「そう言って今まで何人も死んでいきました。正直、貴方のことはわかりません。母も兄も皆、貴方を信じている。それが私には理解できない」
複雑な表情を浮かべる少女。その通りだ。兄ならいざ知らず、母親が父親以外の男を深く信用するなど、只ならぬことだ。それはエスペルトも理解している。
「私やゼデクのことは放っておきなさい。それより貴女自身が大事です。“鍵”のコントロールは順調なのですか?」
レティシアは肩をピクリと動かす。やはり“鍵”という言葉には敏感だった。そして、すぐに答えないことが彼女の現状を語っている。
「......時間がないのはわかっています」
「はて、まだそれなりに残っていますよ」
「ですが! その間にもゼデクがーー」
それをエスペルトが指で制止する。
「先も言いましたが、今は貴女自身が優先です。自分のことを解決できない者が、他人を助けるなど以ての外」
「......」
「まぁ、安心してください。貴女も近いうちにコントロールできるようになります」
困惑の表情を浮かべる少女。そんな表情も、母と似ていた。
「えらくハッキリと断言しますね」
「それはもう、信じてますから」
「......気持ち悪いです」
「締まらないなぁ〜。まぁ冗談はさておき、近いうちに転機が訪れることは確かですよ」
すると、エスペルトは立ち上がる。
「もう帰るのですか?」
「気が晴れましたから」
「......母の墓は覗かないのですね」
「これ以上、貴女に嫌われたくありません」
ところで彼女の周りに護衛が見当たらない。もし1人ならば自分が残らなければならないのだ。流石に1人でここまで出向いたとも思えないので、エスペルトは尋ねてみることにした。
「護衛、誰なんです? 見当たりませんが」
「お兄様が近くにいます。貴方の姿を見て私だけ行くよう促しました」
それにエスペルトはムッとする。試しに遠くを見回してみると、木の下にグラジオラスがいた。彼の視線に気付いたのか、すぐさま顔を逸らすグラジオラス。
「これは1つやられましたね......」
タチの悪い悪戯をする神様は、存外近くにいたのであった。
◆
「ふんっ!」
豪快な掛け声と共に、巨大な拳が振るわれる。ゼデクはそれをかわした。以前よりも早く、以前よりも容易く。間髪入れず二の拳や脚が追随する。最初は認識することすら叶わなかった攻撃。しかし、今ではそれを受け流すことができた。
「ほんと何があったんじゃ? ここ数日の成長。眼を見張るものがある」
「何日も爺さんの動き見てるんだ。そろそろできなきゃ、自分で嫌になる」
これは事実であり、少し語弊もあった。晩の半裸の男と手合わせ。それがプレゼンスの修行に順応するクッションになったのだ。少しずつだが彼に追いついている。ゼデクは今ならそう実感できた。
「ふむ、ならば踏み込まねばならん」
プレゼンスが側にある槍に手を伸ばそうとしたところで、
「プレゼンス将軍!」
2人の修行に割って入る者がいた。この国の騎士だった。どこかの魔法師団に所属しているであろう男。彼はプレゼンスの側まで来ると膝をつく。
「おぉ、グラジオラスのとこの者じゃな! して、どうした?」
「王が貴方を呼んでおります」
「......そうか。ついに来たか」
何やら不穏な雰囲気になる。ゼデクはその様子を見守っていた。
「すぐに服を着ていただき、お一人で参上願います」
「なぁ、この少年を連れて行くことは叶わぬか?」
「ご容赦ください。そうグラジオラス様より命を受けています」
するとプレゼンスは何故かこちらを見る。それに騎士も不思議そうにしていた。
「行ってこいよ、爺さん」
「......」
「......」
しばらく見つめ合う2人。やがて、プレゼンスはニッと笑うと、
「なぁ、お前さん」
「はっ」
「許せ。事情は後からワシがグラジオラスに直接伝えよう」
唐突に走り出した。それもゼデクを抱えて。騎士が言葉の意味を悟った時には、もう遅かった。
「ちょ、爺さん! 何する気だ!?」
嫌な予感しかしない。驚愕の表情を浮かべた騎士がこちらを追いかけるも、どんどん離れて行く。
「無論! お前も連れて行くことにした!」
構わず走り続けるプレゼンス。あの騎士は確かに王が呼んでいると言っていた。となれば今から自身が向かう場所は1つ。
「なぁ、爺さん! いくらあんたでもそんな横暴許されるのか!? 何で俺を連れてくのか知らないが、それはやめろ!」
ゼデクを王の下に連れて行く。エスペルトですら実行しなかったことだ。敢えてやらなかったのか、はたまたできなかったのか。そんなことは知らない。だが、今のゼデクには後者としか思えなかった。
「爺さーー」
「お前は8年間、姫との約束を胸にここまで来た。ワシはそう聞いとる」
いつになく真剣な表情をするプレゼンス。その顔に笑みはなかった。あまりの神妙さにゼデクは頷いて答える。
「齢16の少年が胡散臭い大人の垂らした糸に懸命にすがって8年。常人なら折れても死んでもおかしくない8年を経て今、この場にいる」
王都の家屋。その上を半裸の男を担いだ半裸の巨漢が、怒涛の勢いで駆け巡る。
「きっとな、迷ったろう。人知れず涙を流した日もあったろう。終始振り回さればかりだったかもしれん。それで良い。お前はまだ16の少年なんじゃ」
やがて主城が見えた。夕陽に照らされ、オレンジ色に染まる主城。その手前でプレゼンスは足腰をグッと沈めた。
「だかな、そろそろ転機が訪れて良いのじゃ。そしてその転機は、今のワシにしか引っ張れん」
「ーーなっ!?」
次の瞬間、2人は跳躍していた。プレゼンスの巨体はあっという間に城の上層まで届きーー
「お前の願い、受け取ると約束したからな」
彼が笑ったところで、窓を突き破った。轟音と共に廊下に滑り込む2人。
「さて、謁見の間まで一直線じゃ!」
「その必要はない。プレゼンス、貴方は相変わらず滅茶苦茶な人だ」
すぐ傍で声がした。そちらを見たゼデクの瞳が開かれる。会ったことがないとはいえ、国民であれば誰しもが眺めたことのある男。
キングプロテア王国の国王がそこにいたーー




