第4話 少年と会議
『おいしい〜!』
少年の隣で少女がパンを頬張る。
『そんなにそのパンが好きなの?』
『うん! ココ村のパン、私気に入っちゃった』
いつもの橋の上で2人だけの密会。夕日がレティシアの金色の髪を照らす。周りの麦畑もレティシアに呼応するように輝く。
ただでさえ綺麗な彼女が、さらに輝いているように見えて、まるで一枚の絵のようで。自分でも大げさと感じつつ、それ程までに美しいと思った。
『ゼデクが小麦粉を作ってくれるおかげだね!』
レティシアは微笑む。
『いや、まぁ確かに僕も麦畑で働いてるけど、そのパンが僕の作った麦とは限らないよ?』
彼女に見惚れながら、確証のないことを伝えた。
『えー、何それ。 私ゼデクが作った小麦粉のパンが食べたい〜!』
頰を膨らます彼女にも見惚れてしまって、返答を詰まらせてしまった。
すると、
『あ、そうだ!ねぇ、ゼデク』
『うん?』
唐突にレティシアが立ち上がる。
そして、ゼデクに指差した。
『あなたを王宮のパン係に任命します』
フフン、と満足げな顔でそんなことを言う。
『......ぷっ......パン係って何さ。もっとマシなのがいいな〜』
あまりに突拍子も無いことを言うので、ゼデクは思わず笑ってしまった。
『いいじゃない! 私が王様になったら、王宮のお庭に麦畑を作って、ゼデクが育てるの』
どこまで食い意地を張るのか、彼女の計画はゼデクの知らないところで、どんどん肥大化していた。
『食いしん坊』
『食いしん坊じゃありません。 ココ村のパンがおいしすぎるだけです!』
あくまで、認める気はない様子の王様を眺める。
『よろしいですか? わかりましたか?』
謎の口調でレティシアは続けた。
『はいはい、わかりましたよ〜王様』
そこでレティシアと視線が合った。
『ふふっ』
2人で笑う。夢のような時間。でも確かに今ここで、2人は笑いあっている。再び心から笑える日が来るとは思わなかった。2人の大好きな時間。どうかこの時間が、ずっと続きますように.....
◆
無駄に光沢のある金属で飾られた扉が、鈍い音を上げながら開かれる。
「......あぁ、それと幾ばくかの覚悟をしておいてください」
「え?」
不穏な捨て台詞を残しながら、エスペルトは部屋の中へと向かう。1人遅れて部屋に入るのにも圧迫感があるので、すぐに後を追った。
文官の会議室とは比べ物にならない広大さと華美な装飾の煌びやかさが眼前に広がった。足元のレッドカーペットの先には長机が置かれている。やはりそれも、他のそれより大きなものだ。
すでに何人か座っているようだ。やたらと図体の大きい初老の男、黄金の鎧を着た男、その場にあまり似つかわしくないポニーテールの女が視界に入る。いずれも七栄道として名を馳せた者たちばかりだ。各々に副官、あるいは従者らしき人物を背後に控えさせていた。
何の位も持たぬ人間が本当にこの場に居ても良いのだろうか?この時点でゼデクは気後れした。
「やぁ、久しいですね。元気にしてましたか?」
エスペルトが挨拶を交わす度、ゼデクは他の副官あるいは従者などにならい、静かにお辞儀を繰り返していった。順番に挨拶をしながらどんどん奥に進む。
「今日は特等席を頂きましょ〜」
エスペルトは機嫌の良さが伺える声を上げる。やがて、1番奥にある玉座らしき席が見えた。黄金の鎧を着た男に挨拶を済ませたエスペルトは、そのまま正面に座ろうとした。玉座らしき席から3番目に位置する席である。
「待て」
制止する声が上がる。エスペルトは席に片手を掛けたまま制止した。眼鏡をかけた銀髪の男が近づいてくる。
「やぁ、グラジオラス。久し......って、貴方とは最近あったばかりでしたね。待て、とは? ここまでの席でしたら、特に順番の決まりなど、なかったと思いますが」
“グラジオラス”
ゼデクはこの人物の名前に覚えがある。エスペルトと同じく七栄道の1人である彼は、王族に名を連ねる者でもあった。何かしら、レティシアと所縁があるに違いない。
「......席の話をしているのではない」
「そうですか」
それを聞いたエスペルトは、すぐに席に着いた。
「それで、何を待てば良いのですか?」
「とぼけるな、お前の後ろに居るのは誰だ?なぜ副官を連れずに、どこの馬の骨とも知らない男を連れている? 」
やはり本来であれば、この場にいてはいけない存在だとゼデクは自覚した。グラジオラスの視線がゼデクに向く。その時の視線だけ、妙に圧力が掛けられているような気がして、耐えられずエスペルトの方に顔を向けた。
「いやだな〜、。以前から、散々紹介しているではありませんか。官位? う〜ん、そうですね、副官代理です」
明らかに今思い付いたような嘘を抜け抜けと言い放つ。
「......」
表情に変化が見られないものの、グラジオラスから怒気がもれているように感じられた。
「まぁまぁ、ここは貸し1つということで、ね?」
「......」
グラジオラスはため息をつくと、エスペルトの隣、即ち玉座らしき席から2番目の席に不満げな表情で座った。
今回は不在だが、やはり1番奥の席が王の座る席なのだろう。
「はやく、レティシアを呼べ」
と、彼の副官らしき人物に命令する。ゼデクはその言葉にピクリと反応した。未だにグラジオラスの正面にある席が空いている。
『今日は特等席を頂きましょう〜』
ゼデクはエスペルトの台詞を思い出す。つまり、グラジオラスの正面の席に座るのは......
遠巻きから眺めるだけだと思っていたがために、急な展開に頭の処理が追いつかなくなっていた。
1人の少女が、会議室の中へと入ってくる。金の長髪に、8年前の面影を残す顔付き。その少女は紛れもなくレティシアであった。ただ一点、生気のない目を除いて。
ゼデクは今日まで、エスペルトにレティシアがどのような存在かを、これでもかという程聞かされてきた。“王族”としてのレティシア、“鍵”としてのレティシア。それが、どのような惨状を生み出しているか、分かっていたつもりだが、その目を見た瞬間、自分の想像が、いかに甘いかを思い知らされた。
自然と強く拳を握りしめる。できれば、あんなに悲しそうな目をした想い人を、見たくなかった。8年経ってもなお、何も進歩しない。むしろ、レティシアの状態が悪化したまである。
レティシアはゼデクが立っている方を一瞥することなくグラジオラスの正面の席に腰を落ち着けた。それと同時に、グラジオラスが声を上げた。
「では会議を始めるとしよう。不在の王に代わり、この私、グラジオラス・ウィンドベルが取り仕切る。今回の議題は、事前に連絡していた通り、新設の魔法師団の選出についてだ。みなも知っての通り、我が国の“鍵”であるレティシア・ウィンドベルが戦場に赴くにあたり、護衛集団が必要となるが......」
長々とした概要の説明が始まる。年も16となり、国の兵器として、着実に訓練を積んだレティシアは、近い将来、戦場に赴くことになる。良くも悪くも国の象徴である“鍵”を指揮官に添えた、魔法師団を新設するという内容であった。
選出は将来のことを考え、レティシアと近い年代の有望な若者を中心に行われることが、淡々と説明された。
「......選出にあたり試験を行うが、我ら七栄道をはじめとした、有力な人材が見込める貴族には、それを免除する推薦枠を設けた。この事も、お前たちには事前に連絡しているため、既に決まっているはずだ」
グラジオラスは他の七栄道の面々を見渡す。
「空席が2つあるな。アイゼンは国境警備に向かっているが、ペルセラルはどうした? 珍しく、王都に出向いたと聞いたが」
「あぁ、彼なら故郷に戻りましたよ。先程会いました」
グラジオラスの問いに、エスペルトが答えた。話し手が急にエスペルトに変わったため、これまで無表情でグラジオラスを見続けていたレティシアの視線が、エスペルトがいる方に切り変わる。
ゼデクは、その様子を終始見続けていた。そこで、彼女と視線があう。ギョッとしたかと思うと、レティシアの目に光が灯った。
「相変わらず、自由奔放な人間だな。良い、ライオール、お前から順番に推薦者の名前を挙げてゆけ」
司会の声が、頭の中を通り過ぎる。どうやら8年経っても、ゼデクの顔に面影は残っているようだ。レティシアは驚いた顔を戻すことなく、こちらを凝視していた。
それもそのはず。なんせ、いるはずのない人間がいるのだから。レティシアからすれば、ゼデクが王都にいることすら、あり得ない筈なのに、ましてや、その人間が王族・七栄道が中心となっている会議室にいるのだ。
「最後か。エスペルト、推薦者を指名しろ」
「......普段、宰相として文官に入り浸ってますから、武に長じた若者を見つけるのに苦心していたんですがね、1人ここに将来有望な若者がいるじゃないですか」
レティシアに気を取られている間に、エスペルトが席を立ち上がり、ゼデクの両肩に手を乗せた。それを見た、グラジオラスが不快を隠さず、あらわにする。
「私、エスペルト・トラップウィットは、レティシア様を支える将来有望な人材として、この、ゼデク・スタフォードを推薦します」
「なっ!?」
エスペルトは驚くゼデクとレティシアを交互に見ながら、いつものように悪戯めいた笑みを浮かべるのであった。