第2話 少年と宰相
『今日からここが、貴方の住まいです』
屋敷の中に入ってから、暫く沈黙を保っていた人物が振り返る。長い黒髪をなびかせ、こちらの瞳を見据えた。一瞬、そのガラス細工のような瞳が青く輝いたように見えたが、直ぐに黒色を取り戻す。
『......』
屋敷の中を見渡す。レンガや石で造られた建物が主となるキングプロテア王国。その中で、この屋敷だけが異彩を放っていた。木で造られているのだろうか? そんな疑問を解決する前に、屋敷の中へと案内されたため、必要以上に視線が泳いでしまう。
屋敷の中も、ゼデクが知る造りとは異なっているように感じられた。藁のような物が編まれた床を見つめる。
『ふふふ、気になりますか。それは“畳”と呼ばれるものですよ』
『畳、ですか。このような屋敷もあるのですね』
『畳もそうですが、この屋敷は隣国の文化を取り入れた、いえ隣国の屋敷そのままの構造ですよ』
予想外の返答に思わず、エスペルトに視線を戻す。その反応を楽しむかのような笑みが視界に入った。
『それはそうと、これからの説明をしなければいけませんね』
これからの説明。自分がレティシアと逢瀬する為に着いてきたは良いものの、最大の疑問が残る。なぜ、自分をこの屋敷に迎えたのか? なぜ、自分を外の世界へ連れ出し、あまつさえレティシアと逢瀬するためのチャンスをくれるのか?
『......どうして、どうして貴方は僕を救ってくれたのですか?』
気付けば疑問を口にしていた。それを聞いたエスペルトは、浮かべていた笑みを悪戯めいたものにした。
『救う? 私が貴方を? あぁ、そうですね、ここで明確にしておきましょうか。私は貴方の世話をする為に引き取った訳ではありません』
ゼデクは言葉に耳を傾ける。
『後で遺恨を持たれても面倒ですから、単刀直入に。私は貴方に利用価値を見出し、引き取りました。ですから、利用価値が無いと判断すれば、即処分します』
『し、処分!?』
遠回しに殺すと言われているようなものである。気付けば、雰囲気が少し冷たいものに変わっていた。悟った瞬間に身震いが自然と起きる。
『利用価値があるうちは貴方の面倒を見ましょう。逢瀬のチャンスを与えましょう。必要な事も教えます。だから、貴方は私を最大限に活用なさい。絶えず、成長なさい。これらをこなせば生きて想い人と結ばれますよ』
『ぼ、僕の利用価値とは一体......?』
エスペルトの瞳に青い光が灯る。先程のと同じ青い光。それを確認した時、先の光が気のせいでないことが分かった。
『......悪霊退治。いつか私を超え、この国の誰をも超え強くなり、国の為に戦う。これが私が貴方に期待することですよ』
質問の返答とは言い難い内容に、少年は軽はずみに男に付いていったことを少しだけ後悔した......
◆
「その会議が、俺の夢にどう繋がる?」
ゼデクの夢の為に付いてこいと振り返ったエスペルトに疑問をぶつける。何度か彼の会議に付いて行ったことはある。が、国の文官が予算やなんやと必死になるものばかりで、ゼデクの目標とは程遠いものであった。
エスペルトが提示した利用価値は、国の為に戦う戦力だ。武功を挙げ続ける。高位に登りつめる。おそらくその先に、レティシアとの逢瀬が叶うチャンスがあるという意味なのだろう。
「貴方の夢に直結するかは分かりませんが、今回の会議、面白いと思うのですがね」
遠回しな表現に眉をひそめる。ある程度自分で予測しろということだろうか?表情を読み取るべく、目の前の男の瞳を凝視した。ガラス細工のような瞳を。
「......」
「レティシア様もお越しになられるそうですよ」
思考を張り巡らせた瞬間に、そんなことをいう。
「......」
その一言で支度を始めてしまう自分に恥じた。小さな反抗をしていても、結局この男には敵わない。この男を頼らなければ、何もできない。それが今の自分だ。
「ははは、貴方は相変わらず扱いやすい人ですね。そこは昔と変わらず、可愛げがある」
ゼデクはただ恨めしげな視線を送ることしかできなかった。この国、キングプロテア王国の宰相、エスペルト・トラップウィットに。
エスペルトの後を追い、屋敷の外に出る。眼下に城下町が広がった。まだ朝早くではあるが、街の喧騒がゼデクのもとまで届いてくる。
王都であるグランツ・ロード。その城下町は、いくつもの丘に囲まれており、丘の上に王の住む城を始めとした、貴族の屋敷が並んでいる。どの家々も、貴族の屋敷であろうとも、ゼデクの故郷ココ村同様に、レンガや石を中心とした様式になっている。それだというのにーー
ゼデクは後ろを振り返った。一軒だけ、周囲の景色に馴染まない屋敷がある。
「どうしました?」
後ろから、エスペルトの声が聞こえてくる。屋根に瓦と呼ばれる物を乗せ、木材がふんだんに使用された屋敷を眺める。
畳とやらもそうだが、屋敷そのものが隣国の、即ち敵国の様式であるとエスペルトは言っていた。騎士道精神のカケラもない屋敷。
「これが国の宰相の屋敷って、ダメだろ。普通」
「いい加減見慣れて欲しいものです。有能な文化はいくら取り入れても良いものですよ。王の許可も得ています、安心なさい」
エスペルトは少しも悪びれる様子もなく、歩き始める。屋敷の様式が有能であるかどうかは定かではないが、と心中呟きながらゼデクは、後を歩いた。城までの道中、しばらく時間がかかる。それ故に、沈黙に耐えられなくなったゼデクは気になっていたことを口にした。
「......護衛、要らないのか?」
「居るじゃないですか、貴方が」
「......」
ここが貴族の住宅区とはいえ、早朝に自分より弱い護衛1人だけを引き連れ歩く国の宰相が何処にいるというのか。返答しかねていると、
「それに私、腕が立ちますから。そんじょそこいらの通り魔如き、返り討ちです」
と、腰の剣に手を当てながら、くるりと半回転。こちらを振り返りながら後ろ歩きをする。今日はどこか機嫌が良いようだ。
「それ、死ぬやつだ。縁起の悪いこと言うな」
躊躇いなく、不吉な予兆を感じさせる国の宰相に、冗談交じりの忠告をいれておく。
「ふふふ、私を討ち倒す通り魔がいるなら、是非我が軍に加わって欲しいものですね」
「本当に見境ないな、あん......」
なおも建設を続けるエスペルトに呆れながら答えていたゼデクだが、途中で言葉を詰まらせる。
「どうしました?」
似たようなやり取りを繰り返している気分だが、今はそれどころではない。エスペルトの背後の先にいる、それから視線が離せない。ゼデクの視線を追うように、エスペルトは顔だけ背後に向けた。
そこには10人に聞けば10人が“通り魔”......ではなく“修羅”と答えるような形相をした男が立っていた。白銀の長髪。それだけで人を殺さんとする眼光。元々体躯の良いエスペルトより更に一回り大きな身体。よく人を見た目で判断するなとは言うが、戦わずして勝てないと確信するような容貌であった。
「やっと見つけた。後はお前だけだ、エスペルト」
如何にも暗殺者が口にしそうな台詞が聞こえる。
「おい、そいつどうにかなるのか......?」
ゼデクは気迫に圧倒されながらも、なんとか声を絞り出し、エスペルトに縋るように尋ねた。心なしか、エスペルトの顔に冷汗が流れているような気がする。
「......ビックリしました、貴方ですか。大丈夫、大丈夫です、知り合いですから」
「ちゃんとこっちを向いて話してくれ」
今までの流れからは到底想像できない発言に、疑念以外感じられない。そんなやり取りをしていると男の視線がエスペルトからゼデクに移る。
「......あぁ、お前がゼデク・スタフォードか」
「!!」
国の宰相ということもあり、明らかに顔が割れているエスペルトはともかく、あまり屋敷の外を歩かない一介の使用人であるゼデクの顔と名前を知っていることに疑問しか浮かばなかった。
「......何故俺の名を?」
「それはだって、貴方の......痛っ、痛い! 痛いです! ちょ、やめてください!」
「少し大人しくしていろ」
何故か、男でなくエスペルトが返答しようとしたところで、エスペルトの頭を男が鷲掴みにする。とりあえず、エスペルトは手遅れかもしれない、とドライな思考が頭を過ぎる中、次に来るであろう自分の番を如何に回避するか考える。
腰に帯びた剣を抜く? エスペルトを置き去りに逃げるか? レティシアとの逢瀬の事を考えるのであれば、ここでエスペルトを助けるのがベストではあるが、死んでは元も子もない。
すると、ゼデクの心配をよそに、男はエスペルトを放り投げた。
「ゼデク・スタフォード、もし死に物狂いで道を駆け抜け、その果てに迷いが出たのであれば、俺の元に来るが良い」
「......?」
「詳しくは、そこで伸びてる奴に聞け」
そう言い残し、その場を去ろうとする。
「......私への要件は良かったのですか?」
「正しくは、お前ではなく、お前が抱えている小僧に会うためだ。久々に王都に出向いたからな。要件は済んだ」
男はエスペルトに振り返ることなく歩み去っていった。
「いやぁ、本当に驚いた。心臓に悪いですね」
「結局あれ、誰だよ?」
ゼデクは土ぼこりを払いながら立ち上がるエスペルトに聞いた。
「ですから私の同僚で、貴方の......まぁ、詳しくは時が来れば、またお話ししましょう」
「それはいつになるんだ......」
相変わらず肝心なことを教えないエスペルトに少し苛立ちながらも、主城に向かうゼデクであった。