第17話 少年と英雄
「大丈夫、落ち着いて」
「落ち着くのは貴女です。何やってるんですか」
レティシアは、自分の両頬に手を添える人物に、困惑しながら答える。
今日は何が何だか、わからないことばかりだった。
パレードの観客の中に、かつての従者が半裸で自分の名前を叫んでいるのが見えたと思えば、兄が知らぬ間に馬車から飛び出していた。
なんだか、6年前と同じ悪寒を感じた気もすれば、最終的に前にいた護衛の1人、クレール・ローレンスが突然立ち上がり、顔を近づけてきた。
「うん、落ち着いてるなら良かった。気分はどお? 悪くない?」
「......悪くないです。というより、近い、近いです! 離れてください!」
もう少し近づけば、口付けするのではないかと思える距離。
観客の前で、何をやってるのだろうか。
レティシアはただ、困惑した。
でも、不思議と安心した。
少なくとも、悪寒による6年前の惨劇のフラッシュバックは、彼女のよくわからない行動で、うやむやにされた。
「ありゃ、お姉さん嫌われちった」
クレールは笑うと、何事も無かったかのように、前の席に戻る。
それで観客の方を見回すが、特に変わった様子もなく、声援が絶え間なく飛び交っているだけであった。
まるで何事も無かったかのように。
なぜ彼らが、今の事態に無反応なのか、わからなかった。
ついでに、クレール・ローレンスという人物も、よくわからなかった。
かつての従者、オリヴィアの姉である彼女を見つめる。
七栄道は基本、結束力が高い。
だから、自分に抑圧的なグラジオラスを筆頭に、彼らも同じ対応をするかと思っていた。
でも実際はそんなこともなく、むしろ優しさが垣間見える程だ。
......エスペルトに関しては、怪しいが。
彼女たちは、自分をどんな目で見ているのだろうか?
兵器?
レティシア?
そんな、レティシアの思考を辿るように、席に座ったクレールが笑う。
そして、
「私は恋する乙女の味方なのだよ」
ふふん、と1人呟くのであった。
◆
よくわからなかった。
突然、蚊帳の外に放り出された感覚。
妙な悪寒を感じたと思えば、グラジオラスが外に飛び出した。
馬車の中で転がるゼデクは、今が抜け出すチャンスなのではないか、と感じた。
しかし、すぐに可能性を否定する。
抜け出したところで、後日追求されるだけであるし、グラジオラスが去り際に、もう1人の護衛に、ゼデクの存在を明かした。
ゼデクは、護衛の方を見上げる。
ライオール・ストレングス、かつて会議で少しだけ会話した人物だ。
彼と目線が合う。
「......後で説教だ。君が飛び降りたであろう建物の屋上で、5人で待ってなさい」
ライオールが笑う。
彼の手が金色に輝いたかと思うと、ゼデクは宙を舞っていた。
ゼデクがそれを認識した頃には、とうに観客を超え、道端に。
そのまま雑に墜落する。
「ぐっ!」
思わず声があがる。
一瞬の出来事だった。
かなり派手に飛んでいたのに、誰もこちらを見ない。
まだオリヴィアの魔法が、観客に効いている証だった。
効果時間は大体五分である、という彼女の言葉を信じるなら、今までの出来事で、まだ五分も経っていなかった。
「......とりあえず、戻るか」
思う所は多々あるが、今は“説教”とやらについて考えなければいけない。
ゼデクが立ち上がる。
と、そこで、
「良かった、無事でしたか! あり? というより、なんで抜け出せてるんです?」
オリヴィアが駆け寄ってきた。
一歩引いてウェンディが付いて来る。
この状況を無事と言うべきかどうか、まだ断定は出来なかった。
「一応、解放はされたな。後で説教があるらしい。さっきの屋上に戻ろう」
「説教? 誰からです?」
「......“黄金の英雄”からだ」
「助かったぁぁぁぁぁ! 姉だったら、とんでもないことになってました!」
ほとんど意味のない会話をする。
あの調子なら、その姉にもバレているだろう。
どのような結果であれ、彼女は後日個別で怒られる可能性が否めない。
第一、説教がどの範囲を意味してるかもはっきりしていなかった。
処罰の可能性だって、十分にあり得る。
すると、ウェンディが口を開いた。
「手紙は?」
「うん? あぁ、現時点ではレティシアのベルトに挟まったままだ。見逃してもらえるか定かではないが」
「そう」
「あぁ」
ウェンディがこちらをジッと見つめてくる。
どのような意図があるにせよ、耐えられなくなったゼデクは、顔を逸らしつつ、
「なんだよ?」
「その......無事で良かった、と思っただけ」
「......そうか」
「うん」
再び沈黙が訪れる。
仲間としての、仲は進展しているようにも思えたが、いかんせん会話が続かない。
ゼデクは救いを求めるようにオリヴィアに視線を送る。
彼女はニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「浮気ですか?」
「屋上に戻ろう」
「そうね、エドムたちも戻ってるかもしれないわ」
「え、ちょ、流石に無反応は悲しーー」
2人して、オリヴィアをスルーする。
わからないことだらけの中、オリヴィアの発言だけは、直ぐに予想がついた。
彼女の発言を予測したところで、今日の疑問が解決するわけではないのに、何故か気楽になる。
こんな状況で、何とも呑気なものだ。
慌てて背を追いかけてくる彼女を見て、ゼデクは1人、思いにふけるのであった。
◆
「いや、散々だった。でも良かったよ、ちゃんと手紙を届けられたんだね」
あれから2時間程経っただろうか。
5人は屋上で、ライオールを待ち続けていた。
ゼデクの隣で座る、エドムが溜め息を吐く。
ゼデクが馬車に引き込まれている間、彼らはひたすら衛兵に追いかけられていたらしい。
齢16といえど、推薦枠を勝ち取ったエリート。
七栄道クラスが相手でなければ、早々に遅れは取ることもなく、撒いてここまで来たようだ。
もっとも、後で七栄道のお叱りが待っているのだが。
最初は緊張していたものの、2時間と待っていれば徐々に集中力が切れるのか、ガゼルに至っては昼寝をする始末。
それを見たゼデクも、エドムと並んで溜め息を吐く。
気が緩んだ次の瞬間、
「こらっ、誰が寝て良いなんて言ったんだ!」
どこからともなく声が聞こえると、目の前一帯が光に満ちた。
思わず、目を閉じる。
すると、
「っっ!」
頭頂部に、軽い拳骨のような衝撃が撃ち込まれた。
5人とも頭を抱えながら悶える。
寝ていたのは1人のはずなのに、とんだとばっちりだ。
光が落ち着くと同時に、1人の男の姿がはっきりとする。
ライオール・ストレングスだ。
「はい、5人とも。横に並んで」
「え、ライオール様の説教なんて聞いてないんだけど......」
「そうか。そういえば、お前には誰とは言ってなかったな」
エドムが1人、顔を白くする。
どうやら彼は、説教相手がライオールであることが不味いらしい。
大人しく、5人並ぶ。
「......よろしい。エドム以外は久しぶり、になるのかな? また会ったね、ゼデク君」
「......」
優しく微笑むライオールに、ゼデクは軽い会釈をする。
前もそうだった。
この人物は派手な鎧と裏腹に、穏やかさが全面に出ている。
それでもって、妙な貫禄がある。
どこか別次元の人間。
だから、彼と会話をする時、グラジオラスとは違った意味で気圧されるのだ。
それはみんな同じようで、静かに次の言葉を待っていた。
「ゼデク君、今回君たちのやったことの意味、わかるよね? 仮にも君たちは、いつかレティシア様の護衛を務めるようになるんだ。その君たちが、無許可で彼女に近づくなんて、褒められたことじゃない」
「......はい」
「いいかい? 君たちーー」
説教が始まった。
抱いた印象と変わらない、彼らしい説教。
レティシアの状況以外は、悲しい程に正論なので、黙って聞き入れる。
その後も彼の説教が続いたが、
「ーー特にゼデク君、君には軽はずみな行動をして欲しくないんだ。これじゃあ、テーラにあわせる顔がない」
そこで、ゼデクの思考が切り替わる。
テーラ。
今、ライオールは確かに、その名を口にした。
それは、ゼデクが幼い頃に亡くした、母の名であった。
「どうして、そこで母さんの名が出るんだ?」
思わず聞いてしまう。
それにライオールは苦笑いをして、
「あぁ、初対面の反応でそうだろうと思ってたが、やっぱりエスペルトの奴、言ってなかったんだな」
頭の後ろを掻く。
今の台詞を組み合わせていくと、ゼデクもしくは母親と彼が、何かしらの関係を持っていることになる。
ゼデクは既視感を覚えた。
会議前に出会った巨漢だ。
あの男やエスペルトとも、同じようなやり取りをした。
最近は本当に、わからないことだらけだ。
頭が痛くなるのを堪えながら、ゼデクは問いかける。
「母さんと、どういう繋がりなんだ?」
「うーん、今言っても良いし、敢えて隠す程のことでもないんだけどね。エスペルトが言ってないなら、彼が切りだすまで待った方がいい。彼なりの理由があるかもしれないから」
ごめんよ、と手を合わせるライオール。
流れも前回のやり取りと同様だった。
結局エスペルトに聞いたところで、はぐらかされるだけだ。
「でも君を心配している、この事は確かだから覚えていてくれ。よし、これで説教は終わり! 君たち4人は今日まで、エスペルトの屋敷に泊まるのだろう? 帰ろう帰ろう!」
そこで、5人はぽかんとする。
肩透かしを食らった気分だ。
ここからが本番だと思っていたため、驚きが隠せない。
「お、おい! これで終わりか? 刑罰とかないのか? 手紙はどうなった、見逃せてもらえるのか?」
「ははは、落ち着いて、一気に聞かない。グラジオラスは言ったろう? 僕に全部任せるって。七栄道で1番甘い僕に任せる、その時点で彼からのお許しは出てるんだよ。既に彼との会話は済んでる、違うかい?」
ゼデクは車上の会話を思い出す。
あの質問の答えで、彼は満足したのだろうか?
とてもそんな風には思えない。
では、彼なりの意図があるのか?
そこにエスペルトの思惑が絡んでるのかもしれない。
「あ、そうだ。最後に、君たちに言い忘れてたことが。......お節介かもしれないな」
去り際にライオールが振り返る。
少し躊躇うも、やがて意を決したような顔をして、
「エスペルト、多分君たちの中で彼の評価は最悪だと思う。ものすご〜く捻くれてはいるが、君たちが思う程彼は悪い奴じゃないんだ。どうか、彼を悪く思わないで欲しい」
そんなことを言う。
答えられないままでいると、手を振りながら光を纏いだす。
彼が現れた時のように、目を閉じる程の光が落ち着くと、彼の姿は消えていた。
ゼデクは肩の力を抜く。
ともあれだ。
「みんな無事で、しかも手紙を渡せたんだな」
ゼデクはその事に安心した。
4人の方を振り返る。
安心故か、疲れ故か。
今日はもう、良いかなと思った。
実力差を見せつけられた1日だったが。
日が経つごとに疑問も増すばかりだが、今日はその事を全部放り投げ、帰路に着くのだ。
きっと、みんな同じ心境だろう。
「......帰るか」
それに彼らは笑って答える。
もちろん、反省はする。
今後も努力は続ける。
でも、とりあえずは。
とりあえず今日は、レティシアに手紙を届けたことを、みんなで祝うのだ。
ゼデクが一歩を踏み出そうとしたところで......
彼は突然、意識を手放した。




