第16話 悪魔と取引
あの日のことを1日たりとも忘れたことはない。
あの日、父が死んだ。
部下が死んだ。
多くの民が犠牲となった。
そして、2度目の母の死を迎えた。
腹違いの妹がこの上なく愛していた母。
旧友が一生の幸せを願った女性。
彼らは失ったのだ。
原因は未だに解明されない。
これも“修正”なのかもしれない。
ただあの日感じた嫌な魔力。
あれが関与していることは間違いないと、グラジオラスは感じていた。
そして、その魔力を持った子供がレティシアを見つめていることに。
笑みを向けていることに。
かつてない憤りを覚えた。
◆
グラジオラスは少年を凝視し続ける。
見た目は子供だが、あれは明らかに人の皮を被った何かだ。
すると少年がこちらを向いた。
視線が合う。
瞬間、自身の魔力が、怒りが溢れるのを感じた。
もはや殺気を隠す必要などない。
アレは殺さねばならない。
グラジオラスは、そう判断した。
それに対して少年は笑う。
すでに限界まで上がった口角をさらに上げる。
少し裂けた口から血が出る。
何とも気持ちの悪い笑み。
グラジオラスが我慢の限界に達したところで少年が逃げ出した。
観客の方へ紛れ、走り去ろうとする。
普通であればアレを見た人々が悲鳴をあげるだろう。
不要な混乱を招きかねない。
だが、それは杞憂に終わった。
グラジオラスと同じく反応したクレール・ローレンスが幻惑魔法を展開していた。
妹とは比べ物にならない程の規模、威力。
観客から少年の存在を完璧に遮断してみせた。
「ライオールッ!!! 」
グラジオラスは彼の名を呼ぶ。
それだけで答えが返ってきた。
「因縁がある君が行くべきだっ! ......足元の彼は?」
「用済みだ、後はお前に任せる」
「わかった。すぐに向かってくれ!」
グラジオラスが走り出す。
振り向く時、背後でエスペルトが屋上から飛び降りるのが見えたが、構わず走り続ける。
観客の上を飛び越える。
誰も反応しない。
クレールはグラジオラスに対しても幻惑魔法を掛けていたのだろう。
空中で周囲を確認する。
例の少年が中央通りから外れる所が見えた。
そのまま魔力を全身に回し、身体能力を高める。
一般人を遥かに上回る魔法使いの身体強化魔法。
七栄道はそれさえも凌駕した。
魔法使いでもあり得ない速さで走る。
だが、一向に距離が縮まらない。
アレもまた相当な実力者だ。
地を蹴り、壁をつたい、空を舞いながら、最短距離で追い続ける。
別方向からエスペルトも追っているはずだった。
彼の“天眼”を用いれば、2人の位置を把握しながら、回り込むことができる。
王都の城下町から徐々に外れていく。
どうやら、自分たちは誘い込まれているらしい。
罠かもしれない。
しかしここでアレを見失えば、後にどのような弊害が出るかわからない。
故に、彼らは追い続けた。
森林地帯に差し掛かったところで少年の動きが止まる。
正面に回ったエスペルトが斬りかかったのだ。
彼の持つ、異彩を放つ剣が容赦無く少年を襲う。
エスペルトはその剣を“刀”と呼んでいた。
隣国、千日紅国で用いられる、反りのある独特な剣。
“千日紅刀”
その本人の技量に大きく依存する刀の力は、エスペルトによって最大限に引き出された。
放たれる光が三度。
少年はそれを全て躱しきった。
刀を振り切ったエスペルトに隙ができる。
「あれ〜? 隙だらけだぞ〜?」
常人では見逃してしまいそうな隙を少年が狙う。
エスペルトは微笑むだけで反応しなかった。
少年が手刀でエスペルトの腹部を突こうする。
だがその手刀がエスペルトに届くことは叶わなかった。
「もちろん。作ってますから、隙」
エスペルトの言葉と同時に少年の視界がガクっと揺れる。
何が起きたか理解した時には彼の足が地面から離れだしていた。
グラジオラスが少年の側頭部にめり込ませた脚を横へと振り切る。
それに伴い吹き飛ぶ。
少年は近くにあった岩壁にぶつかり、地面に倒れた。
それを確認したグラジオラスは自身の魔法を展開する。
彼の周りに水流が渦巻く。
まるで、アメジストを液体化したかのような深紫色の水。
彼の腕の動きに合わせて水が動いた。
凄まじい勢いの紫流が、少年に降り注ぐ。
見惚れそうな程、美しき水流。
「って、見てる場合じゃないなぁ〜」
少年は素早く立ち上がると、すぐさま回避する。
難なく回避する。
やはり彼は子供なんかじゃなかった。
少年が横目で自分が居た位置を見る。
先程まで自分が居た位置にあった草木は枯れ、岩の一部が溶けていた。
「危ない危ない、毒か何か?」
だがグラジオラスは答えず、互いに距離を置く。
そこでエスペルトがグラジオラスの隣に来た。
「......これもお前の計画の内か?」
「そう見えます?」
「いや全く」
2人が少年から視線を逸らさず会話する。
やり取りも程々に、エスペルトが話しだした。
「で、貴方は何者ですか?」
「それ聞いちゃう? 誰だと思う?」
「うーん、バケモノとか?」
「そのバケモノを、ここまでけちょんけちょんにする君たちの方が、バケモノだと思うけど」
少年が笑う。
蹴られた側頭部が少し潰れ、血を流している。
それでも笑う彼はバケモノだろう。
「で、俺の目的なんだけどね。実は君たちに話があるんだ」
「ほう、話ですか。気になりますね、なんでしょう?」
グラジオラスが怪訝そうな目をエスペルトに向けるが、彼は手で制すると、話に耳を傾けた。
それに少年は笑い続ける。
「......俺と手を組まないか?」
「手を組むと、いかなる利点が?」
「強大な力が手に入り、死んだ想い人が蘇り、六国の頂点に立てて、聖地に行けるよ」
エスペルトは吹きだした。
まるで、なんでも願いが叶うと言ってるようだ。
とてつもなく美味しい話。
でもそんな話だからこそ、失うものやリスクも大きい。
「えぇ〜、そんな夢みたいなこと、どうやってやるんですか?」
「手を組め、話はそれからだ」
「どうします?」
エスペルトが、グラジオラスに話を振る。
「捕まえて拷問する。それで終わりだ」
「だそうです。よかったですね、少し長生きできるみたいですよ?」
最初から手を組む気は無い。
必要な情報源が目の前にある以上、やりようはいくらでもある。
そもそもレティシアの母、グレイシアを殺したであろう人物は、目の前にいる少年である可能性が1番高いのである。
少なくとも関与している。
手を組むこと自体が罠だという可能性もある。
赦す道理なし。
2人の出した答えだ。
「ほんと怖いよ、君たち」
少年が一歩後退りする。
「逃げるんですか?」
「流石にこの身体で、七栄道2人相手は辛いからね。予想外だよ、闇の深そうな君たちなら乗ってくれるとーー」
そこでエスペルトが再度斬りかかる。
少年は躱そうとするが、わずかに反応が遅れた。
少年の片腕を斬りとばす。
しかし、彼は気にする様子もなく岩の上に乗った。
「......他国の候補者とも、コンタクトを取った。今日を皮切りに、六国の戦争は本格的なものとなる。俺の手を取らなかったこと、絶対に後悔するよ」
そう言うと少年は姿を消した。
文字通り姿が消えた。
一瞬でだ。
「......把握できるか?」
「いえ、完璧に消えてますね。かなり広範囲を見てますが、何処にも居ません。高度な転移魔法か何か......というより、他国にも話してるじゃないですか。馬鹿馬鹿しい」
他の五国にこの話を持ち込んでいるなら、やはり先の願いは叶わない。
頂点に立つのは一国のみだ。
キングプロテアはともかく、他の五国はそういう思考しかしないだろう。
「焦らなくとも良い。そんなに都合の良い力は存在しない。代価を考えると、容易に手を出すべきでないことは、他の連中も知ってよう」
エスペルトは実のところ、その力に手を出しかねない輩がいることを知っている。
そして手を出した輩の末路もだ。
みなグラジオラスが思う程頭の良い奴ばかりではない。
そうした者たちの動向が気になった。
「ともあれ、余裕はなさそうですね」
今日を皮切りに本格的な闘争へと移る。
その言葉だけが気掛かりだった。
もう他国は動いているのか?
大規模な侵略が始まるのか?
エスペルトは空を仰いだ。




