第137話 崩落と逃避 2
彼に初めて会ったのは、15歳の頃。最初から鼻につく奴だったのを良く覚えている。
掴み所がなくて、息をするように嘘をつきそうなくらい胡散臭くて、周りの人間なんて興味無いそぶりをして、その癖誰よりも情に弱い、人間味のある奴。
『......何故だ! 何故、みすみす逃した!』
『何故って?』
『言わずもわかるだろッ! あそこにいる女の話を......グレイシア・ウィンドベルの話をしているッ!』
『うーん、キスを失敗したから? ほら、目を瞑ると照準狂うんですよ。鼻とか――』
『そう言うことを聞いているじゃ無いッ! お前と言う人間は――』
『静かにしてください。目立ちますよ』
周囲の様子を確認するエスペルト。幸い熱狂めいた騒ぎ声にかき消され、自分たちは特に注目されていない。
彼らが注目しているのは、今回の主役、キングプロテア王国の国王、アドバンス・ウィンドベルと新たなる側室として迎え入れられるグレイシア・ウィンドベル。
『......あれだけ執着していた癖に』
『してませんよ』
『していたッ!』
『してませんって。というより何故、貴方が私の色恋沙汰にそこまで躍起になるのですか? あー、もしかして貴方も彼女を――』
『愚か者!』
『痛っぁ!』
当然、そんなことはない。だが、彼があれだけ拘っていた女を諦めた理由がわからなかった。これまでの行動を考えると理解できなかった。
誰よりも彼女に拘っていたのは他ならぬエスペルトだ。
『......彼女、ちょっとした落下事故以来、記憶が無いんですよ』
だから、彼は何かを隠している。
『......それは聞いた』
何かを独りで抱えている。
散々人のことを仲間だと友人だと言って、散々人の内情に土足で踏み込んで、その癖自分の悩みは誰にも話さない。迷惑かけまいと独りで抱え込む。
『他にも隠し事があるだろう? 話せ』
『エロ本の在り方とか? なんですか、意外とむっつりなんですね、貴方』
『誤魔化すな』
『じゃあ......秘密にしていた隠れ名店を――』
『......頼むから誤魔化さないでくれ』
『だから何で私のことで貴方が湿っぽくなるんですか』
彼は困ったように微笑む。気を使うかのように微笑む。違う、気を使うのはこちらであるべきだ。知らぬ間に逆転している。
『......話さないじゃないんです』
彼は鼻につく奴だ。
『......何?』
掴み所がなくて、息をするように嘘を吐きそうなくらい胡散臭くて、周りの人間なんて興味無いそぶりをして。
『話せないんです。話したくないんです。貴方を無碍にするわけはなく、重んじているからこそ、話したくない』
その癖、誰よりも情に弱い、人間臭い奴。
◆
「くっそ......」
文字通り身体が地面に沈む。悲鳴を上げるように軋み、亀裂を生む床。ゼデクのみならず、周囲が強大な重力によって圧迫されているようだった。
これが"巨人・スペシオサス"の力なのか。
「他の有象無象はどうでも良い。狙いは貴様よッ! アドバンスを倒した強者ッ!」
スペシオサスが拳を固める。岩の如く大きな拳だった。それが、ほぼ真上から振り下ろされ、自身の身体に直撃すると考えると、ゼデクはゾッとした。
不味い――
ゼデクは全身に力を込めた。そして、この瞬間、一番危機感を抱いていたのはグレンジャー・レーヴェンだろう。
スペシオサスの狙いはゼデク・スタフォード。そして――
隣で構わず動き出すエスペルト。彼はゼデク目掛けて刀を構えた。この状況下でも難なく動けるということは、彼もまた得体の知れない力を持っているということ。もう誰もが認知しているエスペルト・トラップウィットではなく、もはや別人だ。
スペシオサスの攻撃を全霊を持って防ぎ、さらにエスペルトの毒牙からゼデクを救い出す。
絶体絶命な中でグレンジャーは対処しなければいけない。例え、自らの命を捨てることになろうとも。
そう考えている内に、スペシオサスの拳が揺らいだ。巨躯から繰り出される隕石にも似た一撃は、辺りを支配する重力でさらに加速する。
グレンジャーは一切の選択肢を捨てた。引き千切れそうになる身体を無視して、有りっ丈の生命エネルギーで無理矢理動き出す。
許された時は刹那。彼はゼデクとレティシアを抱えて、自らのエネルギーで覆いながら遥遠くへ投げ飛ばす。直後、拳に半身が持っていかれた。
まだ大丈夫――
急所は免れた、再生可能の範囲内だ。グレンジャーはそう判断した。
「レティシアッ!」
「......! 任せてッ!」
流石は戦闘経験を重ねてきた"鍵"の保有者。咄嗟の事態にも素早く対応してくれる。
過度な重力圏から解放された彼女は、エスペルトの斬撃を防ぐべく、"王花の盾"を展開する。
かの守護神、アイゼン・フェーブルの鋼鉄魔法に匹敵する強度を持つ円盤状の盾。並大抵の攻撃では、これを破ることはできない。
しかし、今刃を向けているのは異質の存在だった。
「何度も同じ手は食いませんとも」
両断される。そこに何も無かったかのように両断される。彼の刀は止まることなくゼデクを庇うレティシアへと容赦なく向かった。
「や、やめろッ!」
「これで貴方が私の元へ戻る理由が1つ増えた......絶望をゆっくり噛みしめなさい」
レティシアの脳天に届くか否かといったところで――
"雷光瞬足"
凶刃を防ぐべく、一筋の光が放たれる。寸前まで迫っていたエスペルトの攻撃が弾かれるのと同時に鋭い蹴りが彼の胸に沈んだ。
「......嘘」
レティシアは突如現れ、自身の命を救った人物を見て愕然とした。
嘘だ。こんな所にいるはずがない。でも、確かに目の前の人物は間違いなく本物だった。
「......グラジオラス......お兄......様?」
「グラジオラス! アンタ......その身体は......」
明らかに様子がおかしかった。普段から感じ取れる魔力が違う。時折、彼とは別人のような雰囲気すら醸し出している。
言うなれば、今のエスペルトみたく、常軌を逸した力に手を染めたかのような――
「お、おい! アンタも大丈夫か? 何があった――」
「......レティシア。そこの盆暗を担いで先を急げ」
虚げな、しかし、確かな熱を灯した瞳をゼデクに向けて彼は言葉を放った。
「最後の最後まで手間のかかる小童よ。だが、その間抜け面も見納めよな。......ここでお前ともお別れだ」




