第134話 始祖と悪魔 3
その男は動けるはずがなかった。常識的に考えて、絶対と断言できるほどに死に体だった。
慣れない環境、連戦による疲労。雷に胸を焦され、氷に貫かれ、出血量は計り知れない。
だと言うのに――
「て、てめぇ、なんで動けやがる!」
あろうことか立ち上がり、駆け抜け、今までで一番重い拳を振るった。
「......プレゼンスは死の淵から這い上がり、己の信念を貫いた......アイゼンは病に侵された心臓の痛みに耐え、息絶える瞬間まで戦い続けた......エスペルトはただ1人で秘密を抱え込み、今も尚苦しんでいる......ならば......私1人がこの程度で根を上げるわけにはいかないッ!」
「そう言うこと聞いてんじゃねぇよッ!」
根性論1つで生死の境目を彷徨えるものではない。見当違いな回答に悪魔は憤慨する。
「......!」
が、そこでグラジオラスは膝をついた。既に限界を超えつつある身体。しかし、彼が苦しむ点はそこだけではない。
頭の中で声がする。
無数の声がする。
まるで何人もの思考が、頭の中を駆け巡るような、そんな感覚。
「ククッ、漸く鈍感野郎でも気付きやがったか。ソレ使ってタダで済むと思うなよ?」
"教皇"が持っていた魔法群。始祖の魔法、その半分。
詰まるところ、グラジオラスは今、おびただしい程の魔法を抱えていることになる。常人では発狂しかねない量の意思を抱えている。
『時々聞こえるんだ。魔法の声が。意思が。あの噂はきっと嘘じゃない』
ライオールの言葉が脳裏を過ぎる。魔法の声、魔法の意思。よく聞く、都市伝説にも近い噂話。彼はそれを信じていた。いや、実感していた。
そしてグラジオラスも今、実感している。莫大な量だからか、始祖が絡んでいたものだからか、この魔法群からは確かに声がする。
そして、頭の中を巡る無数の声や意思に自我が崩れそうになる。制御なんて二の次だった。
「常人が手にしていい代物じゃないんだよ。......ったく無駄な抵抗しやがって」
悪魔が氷で生成された刺又を手に取る。動かなければ、トドメを刺される。
『妹に"鍵"の制御を強要するか。だが、貴様はどうだ? "力"を選ばず、"力"に選ばれることを良しとした貴様は果たして同じ業を為せるのか?』
誰よりも魔法の扱いに長けていたペルセラルは、そう言った。良いわけがない。散々他人に強要しておいて、自分ができないなど持っての他だ。
レティシアやゼデクが膨大な魔法のコントロールに苦しみ、努力して、そして完璧でないしろモノにした。
グラジオラスは擦り切れそうな頭の中、自我に意識を集中させ、何とか立ち上がった。
あらゆる代償を払った身体は、驚くほどに強化されていた。激痛が走る反面、何時もより軽く、速く動く。
「......まだ動くか」
悪魔は空間魔法を用いて、グラジオラスの元まで瞬間移動する。彼を始め、これまでの人間には追随できない動き。
だが、彼は確かに順応してきた。突き出された氷の刺又を、本来持ち得ない炎で溶かし尽くす。
まだぎこちないが、確かに始祖の魔法の一部を使い始めている。
「これで魔法は同じ領域まで辿り着いた......」
「だが、テメェ自身が成っちゃいね――」
「ならば後は私自身が貴様を越すまでよ! 自我を保ち、力を限界まで引き出す! 力同等な今、外道に劣るわけにはいかんッ!」
グラジオラスの周囲を紫水流が舞う。魔力でブーストされた水流に妖しげな輝きが増していた。
「んはっ、あれはヤバいな」
流石の悪魔も後退りする。迫りくるアメジストの波を、迎え撃つことなく回避に専念した。
「このまま早く朽ちてくれよ、王族様ぁッ!」
決して近付かず、無駄な浪費をさせるべく、牽制弾を放つ。余計に力を使えば使うほど、身が持たないグラジオラスは死へと加速する。
しかし次の瞬間、彼は姿を消した。
"雷光瞬足"
悪魔と同じ、空間移動魔法。この短期間で今まで全く縁のない魔法を使いこなし、悪魔の背後へと姿を現した。
「これまでの清算をして貰うぞッ!」
「ハッ、馬鹿の一つ覚えってか!」
視界外の攻撃に対しても難なく回避した悪魔は逆に、グラジオラスへと刺又を突き立てる。
「自分の魔法にやられるマヌケはいない......ついさっき"教皇"で演じたばかりだろ」
「......がはッ」
自身に刺さった刺又を握りしめ、項垂れるグラジオラス。瞬時に魔法群に適応したことは驚嘆すべき事実だったが、悪魔に及ぶことはなかった。
それは経験値の差であり、実力の差であり、執念の差であった。
「......捕まえた」
「はぁ?」
「......漸く貴様を捕まえた」
だと言うのに、彼は不思議なことを呟く。
「ははっ、血迷ったか? 刺又の一本や二本掴んで捕まえたとはめでたい思考してんなぁ! 馬鹿も休み休み――」
「いいえ。確かに、漸く貴方へと追いつきました」
刹那、悪魔の胸を一振りの剣が突き破る。
「......なんで生きてやがる」
「私は......私たちはこの瞬間を待ちわびていた。さぁ、今こそ清算と行きましょう。ストレングス様」
男は......"教皇"レフティス・ミロワールは、悪魔の肩へと手を乗せ、疲労を隠すことなく笑みを浮かべた。




