第133話 始祖と悪魔 2
『ねぇ、グラジオラス。私、"鍵"に選ばれたんだって!』
記憶が蘇る。
『国の栄光である、"光の鍵"。その所有者に選ばれたんだって!』
懐かしい記憶。忌まわしい記憶。これは走馬灯なのだろうか?
『ふふっ、凄いでしょ! みんな褒めてくれるの! まだ小さいからよく分からないけど、いつか大人になったら国の英雄にだってなれるはずよ! 王族の誉だってアドバンス父様も仰ってた! ......相変わらず笑顔ではなかったけど』
姉は嬉しそうにしていた。当時、自分も喜ぶべきことだと思っていた。"鍵"に選ばれなかったことは残念だけれども、父親に褒められなかったことは悔しいけれども、それでも、姉が選ばれたなら良いと思っていた。だから......
『おめでとう、姉さん』
『ふふっ、グラジオラスも護ってあげる!』
幼い自分は"姉は酷く打たれ弱い"と考慮することができなかった。
幼い頃は良かった。周りは姉を手放しに褒めるだけだった。誰も姉を怒らないし、厳しい現実を叩きつけない。皆、王族の怒りに触れることを恐れていた。
だから、ただただ"鍵"の所有者であることがおめでたいことだと担ぎ上げる。
『......中々、大変だね。その、期待が重いっていうか......』
大きくなるにつれ、誰も彼もに甘やかされた姉は急に現実を知ることになる。
『......人として見られていないっていうか』
王族である以上に重い期待。そしてかけ離れた存在。"鍵"は所詮兵器である。周りの臣下や臣民は甘やかす反面、内心彼女を恐れ、良くも悪くも干渉しようとしなかった。
『......最近のお父様も怖いし』
知らず知らずの内に姉の精神は蝕まれていく。表面上は取り繕っていても、徐々に彼女は限界を迎えつつあった。
『......思ってたより、その、辛いね』
その言葉を吐いた時の表情は今でも忘れられない。後に国王となった兄、シエルの除き、誰も彼女の深層に触れようとしなかった。
自分たちだけでは、姉の精神を支えることは叶わなかった。
やがて、限界を迎えたある日、彼女は発狂するように部屋の中で暴れ回り、自刃を選ぶ。
こんなに辛いだなんて、誰も教えてくれなかった。
無責任な賛美ばかりで、誰も手を差し伸べてくれなかった。
あれだけ可憐だ淡麗だと言いつつ、人として見てくれなくて。
あれだけ頑張ったのに、振り向いてくれなくて。
偽りの愛しかくれなかった。
そう叫び、死を選んだと聞いた時、救うことができなかった自分や兄は心底悔やんだ。悔やむに悔やみきれなかった。
払拭できない後悔の情念を、魔法の修行に全てぶつけた。強くなったら、姉が命懸けで捨てた"鍵"を拾えるかもしれない。同じ苦しみを辿って初めて、償いができるかもしれない。どこか意味の履き違えた日々に明け暮れる。
やがて、側室との間に新しく産まれた腹違いの妹が次代の所有者として選ばれたことを知った。
兄はいつか、王となる器だ。それは他の王子が危惧を覚えるほどの才覚、自分でもよく理解できる。
ならば自分は何ができるのか? 王にもなれず、"鍵"の所有者にもなれない半端者には何ができるのか?
妹はきっと甘やかされる。きっと姉と同じ道を辿る。姉のように甘やかされれば、脆弱なまま現実を知ることになる。誰も彼もが王族に言を送ることを恐れ、躊躇う。そして、何故か父はそれを寛容する。
誰かが、要らぬ希望を持つ前に現実を教えなければいけない。強くある為に、覚悟を持たせなければいけない。
それができるのは同じ王族だけだ。
次代の国王は、人望溢れる存在であるべきだ。決して兄、シエルの負う業ではない。
ならばその役目は――
◆
「なぁ王族様よ。ザマァないな」
「......」
「何が責務だよ。あんな愚民ども、みんなみんな生きる価値のない存在だろ。人の犠牲を何とも思っちゃいない。自分じゃなくて良かったと安堵するだけ。それはお前が散々見てきたもんだろうに」
男は目の前で揺蕩う魔法に手を伸ばす。
「俺は弱い人間が嫌いだ。お前ら弱い人間が嫌いだ」
「......」
「魔法1つ扱うのにも手惑うお前らが嫌いだ。だから存分に苦しみながら死んでいって欲しい」
至高の悦に浸るように笑う。
「王にもなれず、"鍵"に選ばれることもなかった半端者、自分のことそう思ってるだろ?」
「......」
「甘い。考えが甘過ぎる。力は自分で勝ち取りに行くもんだ。"鍵"だって例外じゃない。アレの所在は自分で選べる」
「......」
「教えてやるよ。"鍵"の所有先、あれはな、俺が全部決めたんだ。お前の父、アドバンスとそうなるよう仕向けた」
「......な、に......?」
「お前の姉が苦しむ様を見たかったから選んだだけ、エスペルトが苦しむ様を見たかったから、グレイシアをアドバンスの側室に添えただけ、レティシア・ウィンドベルに"鍵"を宿らせたのもそうさ」
突然の独白に頭が真っ白になる。
「俺は俺の顔に泥を塗ったウィンドベル家が大っ嫌いなんだ。六国の王族様が大っ嫌いなんだ。なーにが選ばれる為に頑張るだ。根本が違うんだよ。おかしいと思わなかったか? 何で脆弱な女ばかりに"鍵"が宿る? 何か意味があるはずだ〜? 笑わせる」
揺蕩う魔法群が揺らめいた。"教皇"の体内から出てきた高密度かつ、大規模な魔法の塊。男は手を振るだけで制御する。
「何の意味もねぇよ。全ては俺を愉しませる為の余興にすぎない......死に体のお前に暴露すんのも愉しいもんだ。末代まで苦しんで貰うぜ」
それを掴もうとする。
「......"始祖の魔法"、その半分。世界が違えど本質は同じだ。"教皇"の身には余るもんだったな。そしてもう半分は既に、俺が持っている」
「......」
「......漸くだ。漸く全て揃うぞ。人間もバケモノも全部全部全部! この地から抹消してやる!」
男の手が魔法群に触れようとした時――
「そうか、つまり......貴様の中に宿る魔法と同じだけの力が、ここにあるんだな」
「なっ!」
一抹の油断。動けるはずがないと過信していた男が唯一見せた隙。
「......貴様の言う通りだ。私が甘かった......愚かだった! もう待つなんてことはしない」
その僅かな隙を突いて、グラジオラス・ウィンドベルは立ち上がり、男よりも早く魔法群を掴む。
「貴様のような悪魔ッ! この命に変えてでも地獄に叩き落としてやるッ!」
彼の拳が、悪魔の頬を捉えた――




