第130話 少年と六花 2
本来、有り得ない存在だと認識されていた伝説上の生物、翼竜。その翼竜が終焉を迎えつつある世界に飛翔していた。
「クク......クッハハハハ! 良いぞ! 良いぞ! これまで鬼、狼、鮫に鳥、あらゆる物を見てきたが、今回の変幻こそ、俺の求めていたものやもしれん!」
対峙するは”巨人“・スペシオサス。彼の巨躯を以ってしても、眼前に飛来する生物は余りにも大きなものだった。
「さぁ、この瞬間まで出し惜しみをしていた“化の鍵“よ! 俺を楽しませてく――」
「言われなくてもそのつもりよ」
ドスの効いた低い声が大地を揺らす。急降下から放たれた閃脚は、スペシオサスを軽々と吹き飛ばした。
二転、三転。深く沈み、大きく跳ね、高く飛び、彼は成す術も無く蹂躙される。
「いたた、これ見よがしに不意打ちして、ひでーもんです」
傍で手首を回しながら立ち上がる少女。巨大な尾で撃ち付けられて尚、彼女の身体は傷1つ付いていなかった。
翼竜の瞳がサフランを捉える。
「あんまり時間ねーんで、早々に追わせて頂きます」
「それを黙って見過ごすと思って?」
「見過ごしますよ。アンタさんに余所見する余裕なんてねーですから」
刹那、鈍い音と共に、おびただしい程の鮮血が降り注いだ。翼竜の呻き声が上がる。
「まだだ! 貴様はまだ舞える筈だ! 最期まで俺を愉しませろッ!」
豪快に腕を振るうスペシオサス。彼は引きちぎった翼竜の片翼を地面に捨てる。
「哀れですね。これでもう翔べません。次はどうしますか? そのまま戦います? それとも別の何かに化けます? 何度も言いますがウチらは時間がありません――」
彼女は道を塞ぐレゾンへと向き直った。
「どうしても邪魔してーなら、ウチらも容赦はしませんよ」
◆
また地面が揺れた。街の建物が少しずつ崩れていく。もう何度目となるのか? 不規則に地震が続く。
「......間に合わなかったか」
グレンジャーが予め用意していた隠し通路。その中継地点である集合場所に彼らの姿はなかった。時間は余り経っていないものの、やはりこの緊急時は1分1秒が惜しい。彼らは先に"教皇"の元へ向ったのだろう。
「......まだ大丈夫。急げば間に合うよ! 行こ、むっすり君」
レティシアは取り繕った笑顔を浮かべた。しかし、ゼデクは先の出来事を忘れていない。今でも掌に痛みが残っているような気がした。この世界で彼女がずっと抱えてきたものが。
「......どしたの?」
「......いや、行こう」
彼女への詮索を悟られぬよう、今度はゼデクが取り繕う。苦し紛れに目的の方角へと目を逸らした。すると......
「......?」
幼い子供がうずくまっていた。親とはぐれたのか泣いているようだ。
「ううん。それじゃ間に合わない」
自分の心境を見透かしたかのように、彼女が語りかけてきた。2人は薄情にも目的地へと歩みを止めない。子供の横を通る。ここに来るまで、この世界で多くの人を見捨ててきた。そして、これからこの世界すら見捨て、踏み台にしようとしているのだ。
今更、子供に手を差し伸べるのは――
「......そう、紛れもなく偽善だよ。唾棄すべき偽善だ」
子供らしからぬ声が上がる。刹那、ゼデクの背に悪寒が駆けた。
そもそもだ。グレンジャーが指定した隠し通路に......子供?
「あぁ、憎い、憎いな。その顔が憎い。その身体が憎い。その力が憎い」
ゆったりと立ち上がり、振り返った子供の顔に生気や感情は一切なく、とても人と呼べる容貌ではなかった。
まるで......否、まさに人形とでも言うべき姿。
「おかしいなぁ。僕は確かに君の死様を目に焼き付けた。しっかりと死ぬのを見届けたはずだったんだけどなぁ」
大きく見開かれた眼がゼデクを捉える。もはや、ただの子供でないことに疑いの余地はない。ゼデクの警戒を察知してか、彼はユラリと身体を傾けながら襲いかかってきた。
そこで異変に気付く。酷く身体が重い。夢の中で懸命に重い足を上げるような感覚に苛まれる。
身体に力が入らない。いや、魔法が丸ごと機能していない。
身体強化魔法が完全に抜け落ち、生身に近い状態のゼデクとレティシアの首に子供の手が伸びる。
「......がっ!」
「教えてくれよ。なんで君が生きてるんだ? あのサフランが手を抜くわけがない。君はそれだけ危険視されている」
対して子供の力は強大だった。アドバンスや他のバケモノに匹敵する力量を持っている。
「そして女も女だ。君はアドバンスやハイゼルバーンが始末をつける算段だった。それがどうだ? 彼らの反応が消えている。まさか、君たちに足下を掬われただんて言わないだろうな? 笑えない冗談だ」
両手で首を締め上げ2人を交互に見渡す子供。彼の掌が異様に冷めていた。そして妙に硬い。ゼデクの脳裏にいつの日か戦場で見た人形兵が過ぎる。
「いずれにせよここで会ったが最期。僕は他の連中ほど甘くないんでね。無駄な時間をかけずに息の根を止めてやる」
首をへし折らんばかりに力が入る。身体強化魔法が使えない以上、2人はただただ声にならぬ呻きを上げるしかなかった。
必死にもがけばもがくほど、息が苦しくなる。どれだけ叩こうとも、引っ掻こうとも外れない鋼鉄の腕。やがて、ゼデクの視界が徐々に暗転し始めた。
意識が遠のきかける。視界の端に黒い闇の輪が少しずつ縮まってくる。何とかしたいのに思考すらまともに機能しない。
やがて、ゼデクの瞳が闇で覆われた。
深い闇。
あらゆる物を飲み込まんとする真っ黒な闇。
だが、その闇が――
「ハッ、つくづく甘い野郎だな!」
ゼデクを救う。地面ごと削る勢いで振るわれた大鎌が、子供の両腕を切断した。
「貴様......! オスクロル、なぜ僕の力の前で魔法を使うことが――」
「"過重負荷"。魔法迫害主義の元凶らしい面倒な能力だ。だが、それはてめぇが勝手に決めたルールだろ。てめぇが決めたルールは、てめぇの力が届く範囲でしか通用しないんだよ!」
力任せに腕を上げる。シンプルかつ暴力的な魔力の奔流が、周囲の建物ごと子供の身体を粉砕した。
その場で解放され、咳き込むゼデクを横目に悪態をつくオスクロル。
「これだからガキのお守りは疲れる。......さっさと呼吸を整えろ。次が来るぞ」
「......はぁ、はぁ......次?――」
舌打ちとともにゼデクの身体が蹴り飛ばされ、その場に蹲ってるレティシアへとぶつかる。直後、剣戟を想わせる金属音が響いた。
オスクロルと軍服を着た男が戦闘に突入していた。先の子供同様、感情が欠落し、不自然に綺麗な身体を持った人形の如き男だ。
「......シーベリー」
すると隣で落ち着きを取り戻したレティシアの声がした。
「魔法迫害主義である大国、カルミア王国の裏でその全てを操っていた男。彼もアドバンスお父様の騎士兵と同じように、人形兵を生み出すことができる」
つまり彼もまた、"六花の子ら"と呼ばれる人の皮を被ったバケモノの類。アドバンスと違い、タチが悪い部分があるとするなら、個々の人形兵に彼の人格が反映されていることだろう。
口ぶりを考えるに、どうやら子供の人形兵はシーベリー本人が話していたようだ。
「ルピナスの負け犬が今更でしゃばるな。どう足掻いても君たちの末路は変わらない」
「恐れ入った。大国の支配者は言うことが違うな! で、その負け犬に一杯食わされた馬鹿は何処のどいつだ?」
「......吐かせ」
カルミアの支配者とルピナスの王。六国の頂点とも言うべき二者の争い。レフティスや、サフランたちと対峙した時もそうだが、やはり今回の戦いは全てにおいて格が違う。
そんなことを考えていると、軍服の男が首を斬り落とされ倒れた。一大決戦にしては実に呆気ない結末。
ここまでくれば流石のゼデクでも勘付いてきた。今のもまた人形の個体であり、本体は別の所にいるし、きっと今の人形とは比べ物にならないほど強い。
軍服の男は子供よりも長くオスクロルと渡り合っていた。とすれば、次に来る個体は複数か、或いはさらに強力なものになる。
「......時間が無いな」
オスクロルもそれが念頭にあるようで、心底うんざりと言わんばかりに眉をひそめた。もし仮に本体でも来ようものなら、彼でさえ余裕がなくなるかもしれない。
「......おい、もう立てるだろ」
「今の内に主城に向かうか?」
「それはお前らだけだ。単純に走ってるだけじゃ直ぐに追い付かれるからな。俺は此処に残る必要がある」
つまり時間稼ぎをする。そう彼は言っているのだ。
「何だその腑抜けた顔は。別にお前らの為じゃない。使いを頼んだ以上、最低限見届けるだけだ。仕事はしっかりしてもらうし、死ぬ気もさらさらねぇ。手ぇ抜いたら俺が殺してやる」
「......約束は守る」
ゼデクは胸の中にしまってある"届け物"を握りしめた。ここまで協力されてしまっては、守らない訳にはいかない。
「問題は俺の方じゃない......この先あるとするならお前らの方だ」
「そうだな。本命の"教皇"がまだだ。グレンジャーとも合流できてないし――」
「違う」
「......え?」
「お前が女を連れて、ここで俺と合流する。今、この状況になるまで概ね計画通りだ。怖いくらいにな。だからこそ、俺は怪しんでもいる。順調過ぎるが故に、何かを見落としている気がする」
オスクロルが軽く腕を振った。それに伴って黒いモヤが渦巻き、ゼデクたちの前に滞留する。主城から抜け出した時と同様の空間移動魔法だ。このモヤの先は主城かそこに繋がる近道になっているのだろう。
「だがそれを深く考えている暇は無い。杞憂ならそれで良し。もしもう1つ壁があるとするなら......」
オスクロルは大鎌を振り切った。ゼデクたちの遥か後方で、密かに迫っていた人形兵たちが四散する。
「お前らが乗り越えるべき壁だ。この先、勝ち取りたいもんがあるなら、それくらい乗り越えてみせろ」
顎で行先を促すオスクロル。
「女。今度こそ最後まで案内するこったな」
「......貴方に言われるまでもなく、そうさせて頂きます」
レティシアはただそう言い捨てると、躊躇うことなくモヤのかかった空間へと入っていった。
「本当にコレを届けるだけで良いんだな?」
「くどい。それで良いから、とっとと行け。今は帰ることすら怪しい状況なんだよ」
次の追手が直ぐそこまで来ていた。それに時間をかけるとシーベリー以外にも追手が来るかもしれない。"教皇"と合間見える上で、余計な要素は増やしたくなかった。
ゼデクはレティシアの後を追うように、空間の先へと歩を進めた――
◆
空間の歪みで身体が揺れ、慣れない感覚に苛まれながらも、次の地点へと到達する。
冷たい床、乱雑に切り開かれた天井、絢爛な装飾にステンドグラス。見覚えのある場所だった。この世界へ来て、初めて迷い込んだ場所。
ヘイゼル王国の主城、その一角だ。前回、グレンジャーやオスクロルが暴れた跡が残っている。とすれば、向かうべき道筋も自ずと浮かんできた。一度は通ったことのある道だ。
「......良かった。やっとここまで来れた」
既に到着していたレティシアが、安堵の声を上げる。正直、今の2人で"教皇"に勝つことは困難だが、ここまで来てしまっては何とかするしかない。
そこで、コツコツと地面を鳴らす音が聞こえた。
誰かが歩いている。近づいて来る。音からするに、人数はおそらく1人。
同じ方角から懐かしい魔力が感じられた。ゼデクはこの魔力を知っている。とても馴染みのある魔力だ。
「むっすり君、気を付けて」
「......レティシア?」
しかし、対称的にレティシアの表情は険しくなるばかりだった。ゼデクを庇うように身を前に乗り出す。
「......あぁ、あぁ......貴方はこの世界に来てくれたのですね。わざわざ私の為に来てくれた。それでこそ――」
廊下の角から1人の人物が現れた。ゼデクの目が大きく見開かれる。
「私が育てた価値のあると言うもの。会いたかったですよ」
この世界で死んだはずの男、エスペルト・トラップウィットが幽鬼めいた笑みを浮かべた。




