第129話 少年と六花 1
「酷いですね、もー」
これからピクニックでも行きます、そんな風に聞こえる陽気な声。目の前にいる少女は可憐だった。
バケモノの筈なのに、先日の暴れぶりを見ているのに、今の素振りを見せられるととてもそうは考えられない。
だからこそ、恐ろしくもあった。北方の国、ブローディアの女王サフラン。鏡面世界のゼデク・スタフォードを殺したバケモノ。
「な、何で貴女までこ――」
「ここに、ですか? 何ででしょーね。ウチもそー思います。本当はここに来るつもりなんてなかったんですが、ハイゼルバーンの気配が消えたから、もしかしたらって思っただけですよ」
彼女はケラケラと笑う。
「そしたらですよ? 何とアドバンスまで足掬われてるじゃねーですか。......いやはや、死人にまた会えると思ってませんでした」
そしてジロリとゼデクを見た。少なからず彼女は自分のことを知っている筈だ。ゼデクの中に眠る魔法の危険性も、役割についても、もしかしたら、ゼデクが別世界から来たことすら悟られてるかもしれない。
いずれにせよ、アドバンス王のような奇跡は2度起きない。2人だけでは倒すことは不可能。今度こそ、何とか逃げ出す必要があった。
すると――
「何処の何奴だァッ!」
地面が鳴り響き、耳をつんざくような怒号が空気を切り裂いた。だが、それも束の間。やがて何かが空から飛来し、周りの音全てを掻っ攫っていく。
土埃から起き上がった影は高くまで登り、陽の光を遮った。
「......服、汚れました」
「別に良いだろう。どうせお前は、いつも通り返り血で真っ赤になる。それよりも――」
巨躯。余りに巨躯。戦鬼やプレゼンス・デザイアよりも、一回り......否、二回りも大きい男がゼデクたちの前に立ちそびえる。
「強者は何処だッ! この廃れた時代において尚、アドバンスに敗北をもたらした強者は何処だッッ!!」
最悪の状況が形成された。そう言っても過言ではないだろう。ゼデクは目の前のバケモノを知っている。いつの日かグレンジャーが説明し、実際に目の当たりにしたバケモノの中でも最恐のバケモノ。
かつて、ブローディアの大将軍であった男。人は何もかもが規格外だった男に、ただこう称した。
“巨人”・スペシオサス。
グレンジャーは言っていた。彼とサフランだけは群を抜いていると。その2人が今、ゼデクたちの前にいる。
「そこにいる少年ですよ」
「何と......この歳行かぬ童如きに敗北したというのか」
「そーゆー偏見がウチの仕事を増やすんです。アンタさんは万が一すらないと思いますが、絶対に逃すわけにはいきません......ここで殺しましょー」
蛇に睨まれた蛙だとか、そんな次元の話ではない。如何に抜け出せるのか......そもそも逃げれるのか? 次の一手を生き残る術すら至難の業では? ゼデクは眼を凝らす。せめて、命を繋げてなければいけない。繋げないと、希望に縋れない。
「あー可哀そーに。愛らしいですね。まだ1人で逃げる、そんな選択肢を持たないアンタさんはなんて健気で愚かなんでしょーか。怖いですか? 怖いですよね? 今度こそアンタさんは正真正銘の死を迎えるんです......」
瞬間、彼女が消えた。アドバンスの動きですら眼で追えていたゼデクの瞳から、意識から、完全に彼女が消えた。
「......ほら、ウチの手がアンタさんの胸に触れて今にも心臓を――」
いつも間にか目の前に現れた彼女の手ががゼデクの胸に当てられている。間に合わない。絶対に間に合わない。そう、何もかも後悔したところで――
「あらぁ残念。どうやら死ぬのはまだお預けみたいよ?」
何かがゼデクの視界を過ぎったかと思えば、サフランの身体が宙を舞っていた。決して眼で追えない程ではなく、しかし、かなりの速度で彼女は押し返される。
「......アンタは」
「こんちにはぁ。また会ったわね」
見知った顔がいた。相変わらず、鳥の羽を束ねた冠や石で幾重にも束ねられたネックレスが目立つ。この場に似つかわしくない半裸の男。先日出会った変質者だ。
「それにしても危なかったじゃない? アナタ、予定通り集合していたら、こんな状況にはならないんじゃなくて?」
「それは......」
確かにその通りだった。ゼデクが死んでしまえば、元も子もない。本来救うべき世界や仲間はもちろん、向こうの世界で待っているレティシアを残すことになる。それは、鏡面世界の自分と同じ失敗でもあるのだ。
「ま、だったらレティシアちゃんの家に預けるなって話よね。一応こんなでもアタシとグレンジャーの想定内よ。どんな世界だろうとアナタは絶対にレティシア・ウィンドベルに執着する」
「......へ?」
「って何ボサッとしてるの! ここはアナタの出る幕じゃないのよ!」
シッシッと手を振る男。ゼデクは目紛しく動く展開に困惑する。
「その通りだ。ここは俺たちが受け持とう」
さらに声が加わる。気付けば大斧を携えた男が背後に立っていた。初めて見る顔なのにも関わらず、どこか懐かしさを感じる面影。ゼデクが首を捻っていると――
「遅かったじゃない、レゾン」
「レゾン!?」
予想外の言葉に驚きを隠せなくなる。レゾン。かつてルピナス王国で共闘した戦鬼の首長だ。そう言われれば、面影に合点がいくものの、解せない点が1つあった。
「なんだ、俺のことを知ってるのか?」
「いや、まぁ、有名だからさ、アンタ」
「はは、それもそうか。”鍵”の所有者だなんてそうそう居るもんじゃない」
何とか誤魔化す。こちらの世界のレゾンは、戦鬼ではなく人間だった。そしてゼデクとは面識がないらしい。これまで両世界でそれぞれ違いはあったものの、ここまで容姿が変わっていた人物は初めてだ。
「さぁ、行きなさいな。ここはアタシたちの舞台。偶々アナタが紛れただけ。これ以上、掻き乱されたらたまったもんじゃないわ」
「でもそれじゃアンタたちは――」
「アナタにはアナタの舞台がある。ここの要件は済ませたんでしょ? なら次に取るべき行動は決まってるんじゃない? レティシアちゃん、貴女もね」
その言葉に頷いた彼女は尚も立ち往生するゼデクの手を取った。
「......ありがとう。行ってくる」
「えー、また逃げるんですか〜? 薄情ですね」
それにピクッと反応するレティシア。握る力が増した彼女の手から、動揺していることがよくわかる。
「またそうやって逃げる」
「......」
「あの時も仲間を置いて逃げましたよね? アンタさんは少年少女4人を見捨てた」
「......」
少年少女が4人。......4人? ゼデクの脳裏に過る。そうだ、この世界でずっと見かけていない存在達がいた。最初は居ないと思っていた。だが、よくよく考えれば、全員何かしらの形で存在していることは明らか。
「あの後のこと教えてあげましょーか? 男2人は至ってふつーに死にました。悲鳴も上げず面白味もなかったです」
この世界では出会っていなかったのか、違う道を選んでいたのか。
「でも残りの2人は面白かったですよ。あれだけアンタさんの前で気丈に振る舞っていた彼女たちが足を震わせるのは見ていて大変愉快でした」
ゼデクは無意識のうちに希望的観測へと逃避していた。こちらの世界にも、当然存在していたはずなのだ。
「最後に涙ながらに何て言ったと思います?」
エドム達が。
「やだ、まだ死にたくないって――」
「早く行きなさいッ!」
被せるように男の叫び声が木霊した。
「......行こう」
直後彼女が走り出し、グイッと腕を引っ張られる。
こちらの世界であったレティシアの胸中を全て察することはできない。ただ、彼女に凄惨な過去があったことはよく理解できる。
きっと、ゼデクの手を握っていることすら忘れているのだろう。
今にもはち切れんばかりに握り締められた自身の手から、彼女の痛みを少しだけ感じ取ることができた。
◆
「いやー、感動的な友愛劇でしたね」
土埃を払いながら少女が立ち上がる。満面の笑みを浮かべているのに、瞳に光が灯されていない。
「せっかく4人で囲んだのに、わざわざ身を捨ててまでして庇っちゃって」
すると男は笑い出した。
「舐められたものね。アタシずっとアナタたちの報復を考えていたというのに」
男の体が隆起する。著しく筋肉が成長し、牙爪が鋭く伸びる。
「それに、この姿を見られるのは少し恥ずかしいわ」
極め付けは大きく開かれた両翼に、大地を穿つ尾。伝説上でしか存在しない生物、翼竜。その翼竜がバケモノの前に姿を現わす。
「怖い怖い。これじゃあどっちがバケモノかわかったもんじゃねーですね。見事、とでも言っておきましょうか? 流石は――」
ファンタス・テスカ。
ブローディア王国が誇りし兵器、“化の鍵”の尾がサフランの身体を攫った。




