第123話 少年と王剣 1
『何だとッ! もっぺん言ってみろッ!』
激情に身を任せ、自身が座していた椅子を蹴り上げた。粉々に散っていく椅子。それを見つめながらも、怒りをぶつけられた男は淡々と答える。
『そういう所も含め汝は酷く人間らしいと言ったのだ』
そんな男もまた、人の形をしていた。人が作った白装束に身を包み、人が作った装飾品を首にかける。
そして何より、彼の名はとうの昔に人の名に変わっていた。
号を“晴天”。名を日和見。
本質はバケモノあれど、側から見れば彼も人間らしいことに変わりはない。だが、彼はハイゼルバーンにこう言った。
『女に情を抱き、あまつさえ自分だけの国を造る、か。人を演じる内に随分と性分まで染まったのだな』
存在そのものが彼らに寄った。まるでそんな様に聞こえる。
『俺が下等生物に寄っただと?』
『怒るほどのことでもない。少なくとも我らの親の悲願はそこにある。それに汝だけではない』
“晴天”は装飾をジャラジャラ鳴らした。
『残る我らも同じこと。本体としての駒で終わるはず各々に個性が出た。皆、大なり小なりどこか似ている部分があるのさ......この地の人々を滅し、余さず糧にするという共通認識を除けばだが』
容姿に拘る者、食に拘る者、名声に拘る者、闘争に拘る者。
『まぁ、全てが人だけの要素でないにせよ、本来我らにあり得ないものが彼らから感化されている。だからこそ、気を付ける必要もあるな』
『......あ?』
『同時にその要素が弱点になること。一部とはいえ精神面で彼らの土俵に立つ以上、思わぬ形で足を掬われることもある』
情に流されたり、或いは人の情を図りかねたが故に、予想外の展開を迎えるかもしれない。心の在り方は、身体の強弱に関係なく戦いを大きく左右する要素であった。少なくとも、彼らの魔法は精神に左右される。
『ともあれ汝の願望の善し悪しは別として、人に近付くという概念は汝だけものではない』
『そういうてめぇはどうなんだよ』
『私か?』
『まさか飾り鳴らしてるだけで人間に近付きました、なんてフザけたこと吐かさねぇよな?』
すると“晴天”は目を丸くすると、顎に手を当て間を置いた。どうやら言葉を探しているらしい。
『人に近付くと言ってもな、汝のように慈しみを覚えることもなければ、サフランのように過度な食欲を覚えたこともない。虫を潰すように淡々と殺してきた』
『......』
『だが、1つだけ納得のいくもの......いや、興味を引くものがあってな』
『言ってみろ』
『......汝は天命を信じるか?』
予想の斜め上を行く問いに困惑を隠せないハイゼルバーン。
『運命とも取れる。人の考えの中でも、因果の概念は面白くてな。どれほど避けても逃げられようのない巡り合わせがあるのさ。あれだけは地位や力で支配することができなかったよ』
彼は感慨深そうに空を眺めた。雲が流れ、顔を覗かせた太陽が2人を照らす。
『何かを欲する以上、汝にも切って離せない巡り合わせがあるかもしれないな。精々逃げるなよ。あれは避けるのではなく、乗り越えるものだ』
◆
天命。目標に対する壁もなく、何もかもが上手くいった彼の脳裏に僅かながら過ぎった言葉。だが、悲願が寸前となった彼に巡り合わせだなんて宗教染みた思想を持ち込む余地はない。あと少しだった。あと少しで、かねてから目を付けていたものに手が届くところだった。
瞬間、レティシアが視界から消え、炎が遮る。
ハイゼルバーン・ウィンドベルが一時的な死を免れぬものにした要因は4つ。
1つ、アドバンスの非情さを測れなかったこと。
2つ、力の源である人間を他の個体に譲渡し、比較的力を持たなかったこと。
3つ、目の前に悲願たるレティシア・ウィンドベルがいたこと。
そして4つ――
鏡面世界では死んだはずのゼデク・スタフォードが予期せぬタイミングで現れたこと。
あと少しで彼女に手が届くその瞬間、彼の意識はその一点のみに集中していた。“晴天”の言葉を嘲笑った彼の中に何かが、誰かが邪魔をするなどといった考えは微塵もなかった。
そこに、死体すら拝んだゼデク・スタフォードが現れたのだ。刃をこちらに向けている。もし彼が本物であるならば、あの刀に宿された炎は危険だ。
慢心に満ちていたハイゼルバーンに防ぐ術は無い。 さらに同じくしてアドバンスの剣が胴へと食い込んだ。
どうやら彼は、最初から独断で意に添わぬ自分を間引く算段を立てていたようだ。人の皮を被っている内に、本来必要としなかったプライドを持つようになっていた。或いは国王であったが故なのか。
悲願を成就する上で、最も障害となるだろう存在たちに挟まれる。
己が逃げていた存在たちに。
既に手遅れなのだと理解する。声を上げる間も無く死ぬ事だけを、頭で否定しても本能が認めてしまう。それだけの毒が、怨念が身体の中を駆け巡った。
崩れ落ちるハイゼルバーン。そして、残る2人の思考は彼から離れる。
彼ごとレティシアを斬り落とそうと試みていたアドバンス。
彼を死角にアドバンスへ不可避の一刀を振るうゼデク。
平行世界からやってきた死人が繰り出す一撃は、もちろんアドバンスにとっても不意打ちに等しいものだった。
全くもって予期せぬ攻撃。そして、バケモノたちにとっては特別有害な炎。この2つの要素に勝機を見出したゼデクは間違っていなかった。
だが、正しくもなかった――
「......くっ!」
ハイゼルバーン越しに放たれた不意打ちは、アドバンスの超人的な斬り返しをもって防がれる。
「驚いた......幻惑魔法か? 死霊魔法か? 死して尚、我らを燃やさんとするとは、奇怪なこともあるものだ」
まだだ、まだ間に合う。ゼデクはそう判断する。彼の能力は騎士兵を産み出す支援型。普段は群集の奥に隠れて姿を拝むことすら困難。であれば、周りに衛兵がいない今が最大の好機であり、単独で接近戦に持ち込んだ分有利なのだ。
上下に分かれたハイゼルバーンの身体を蹴り飛ばし、アドバンスの視界に死角を作る。
可能な限り魔力を引き出し、最高速で斬撃を叩き込むゼデク。
「なっ!?」
それすらも届かない。彼は表情1つ変えずに全て撃ち落とす。
「だが甘いな。ハイゼルバーンをこの場唯一の護衛と判断し、孤立した俺に接近戦で敵うと勘違いしているのならば」
次の瞬間、鋭く放たれた蹴りがゼデクの鳩尾に沈む。側で膝をつくレティシアの元まで飛ばされた。
「遠く及ばぬ紛い物よ。どうやら貴様は俺が知る人間ではないらしい」
「......っ、やっぱ強ぇ」
これまでの敵とは比較にならない程に。それはきっと、悪化した鏡面世界の彼らが、途方にくれる量の糧を得た為だろう。少なくとも五国は滅んでいるのだ。何人の人間が彼らの餌食になったのか、考えるだけでゾッとする。
「な、なんで......」
隣でレティシアが我を取り戻す。
「なんで戻ってきたの! 無事に帰るって約束したじゃんッ! 今戻ってきたら......今戻ってきたらッ!」
「あぁ約束した。生きて帰るって。誇れるような男になるって」
「なら何で――」
「アイツに胸張って言えないんだ」
「......え?」
「レティシア・ウィンドベルを見捨てて、お前の元に帰ってきただなんて俺は絶対に言えない」
ゼデク・スタフォードがレティシア・ウィンドベルを見捨てるなんてことは絶対にあり得ない。どの世界であろうと、どんな彼女であろうと、見捨てることを許せない。
例え世界の都合でも邪魔されない、揺るぎなき信念。
ゼデク・スタフォードが、ゼデク・スタフォードたらしめる為にも、彼は戻ることを決意した。
「......2人でもお父様には勝てない」
「あぁ、死ぬのはゴメンだな」
既に彼の強さは身に染みている。
「なら今すぐ私を置いて逃げて」
「それもゴメンだ。だから頑張って一緒に逃げよう」
現実味があるようでない提案。彼がそんな隙を与えてくれるとは思わない。
「私たち、まだ出会って1ヶ月も経ってないけど。他の女の子に執着したら彼女さん泣くよ?」
「......うーん、あー、お前は良いんだよ。特別っていうか......いや、そういう意味じゃなくて、うーん」
「......浮気者」
だが、彼女を見捨てることだけはできない。この世界で初めて出会った時、すぐにレティシアだとわかった。
どれ程時が経っていても、いつも通り食いしん坊で。
どれ程やつれていても、変わらない微笑みを浮かべていて。
どれ程傷付いていても、弱みを見せようとしない。
レティシア・ウィンドベルとはそういう人間だ。
「いや、違うんだ。ほら、あれだ! 昨晩の話大分はぐらかしたから足りない分の宿賃! とにかく逃げよ――」
ゴキリ、と何かが鈍く折れる音が鳴り、会話が止まる。音の先では、アドバンスが骸と化したハイゼルバーンを掌で圧縮する異様な光景が広がっていた。小さく丸められた死体が彼に吸収されていく。
先の立ち合いで彼を斬り捨てようとしたこと然り、倫理観の伴わない行動に愕然とする2人。
「......面白い反応をする。まるで異端者を見るような顔だな。だがこれは当然のことよ。人を喰らい、蓄積するのが我らの本懐。くだらぬ劣情を抱き、本懐に背いた不良品は解体するのが筋というもの。そしてレティシア――」
光を灯さない虚ろな瞳がレティシアを捉える。それだけで、彼女の根底に刻まれた恐怖が蘇った。彼が戻ってきた分、状況は悪化している。とすれば、次に父が取る行動は目に見えている。
「時間稼ぎの正体はソレだな。良い、良い。貴様を殺す前に踏みにじってくれよう」
「お、お願いします、お父様ッ! 私なら今すぐ死にますッ! だから彼だけは――」
「貴様の死など当然だ。己にどれだけの価値があるのか考えてみろ」
悍ましい速度で詰め寄るアドバンス。本来ならば誰にも捉えられない速度。しかし、何故かこの時、ゼデクの瞳だけは彼を追うことができた。
「......逃げる隙とやらを作れると良いな」
煽るように大きくかざされる剣。お陰でなんとか身体が追い付ける。が、それはあくまで構えの段階。おそらく下手な回避では間に合わない。ゼデクは防御を固め――
「受けちゃダメッ! 避けてッ!」
「念入りに潰さねばな」
絶叫が聞こえた直後、ゼデクの頭上に強烈な一撃が叩き込まれた。刀越しでも伝わる重い斬撃。少しでも気を抜けば刀ごと粉砕されかねない。ただ、それだけでは終わらなかった。
腹部に痛みが走り、口内に血が上る。おそるおそる目を向けると、背後から剣が突き立てられていた。誰が手にしているわけでもない自立した剣がゼデクの脇腹を抉る。
「怨念より蘇りし亡霊よ。皮肉よな、現し身とはいえ、貴様の剣であったことに変わりはないのだから」
ウィンドベル家、自立性、盤外から放たれる一手。ゼデクの脳裏に一振りの剣が過ぎる。
「“王花の剣”。これで二度と化けて出ぬよう葬ってやろう」




