第110話 少年と鏡面世界 1
一面、真っ白な光に包まれる。どこか魔法の世界を彷彿させるそれは、一瞬の出来事だった。
「......くっ」
呻き声をあげるゼデク。目が眩むのも一瞬で、次第に視界を取り戻していく。
「君がゼデク・スタフォード。残りの人物は別の場所に飛ばされた......それが今の私の限界か」
ほぼ頭上から声をかけられたのと同時に、視界が完璧に定まった。どこからか、オルガンの音色が聞こえてくる。
「......!」
言葉が出てこなかった。そこはグラジオラスの私室ではなく、真っ白な景色でもなく、七色の光で彩られた鮮やかな世界。
カラフルなステンドグラスの壁、透き通ったガラスが貼られた床。大理石の支柱が連なった先に玉座があり、そこに1人の男が座っていた。
「......ここはどこだ?」
「あぁ、すまない。最低限の説明は必要だな。ここはヘイゼル王国。そして私の名はレフティス・ミロワール......“教皇”といった方が理解を得られるかもしれない」
“教皇”、レフティス・ミロワール。ヘイゼル王国の国王だ。
そしてヘイゼル王国といえば、六国の中でも最大規模を誇る大国であり、“聖地”の中に眠るとされる、“魔法使いの始祖”を唯一神と崇める宗教国でもある。
故に、彼は国王という一面を持ちながらも、“魔法使いの始祖”に1番近しい存在――つまり宗教のトップである“教皇”という地位にも落ち着いている。
「......ここ数日の視線はアンタだったのか」
「その通りだ。ここ数日、君を監視させてもらった」
「で、俺を攫った理由はなんだ?」
「概ね予想はつくと思う。この場で余計な情報を渡すつもりは無いが......」
やはりゼデクの中にある魔法。それに、大きな利用価値を見出しているのだろう。
「強いて君に教えるべきことがあるとするなら、これから君を監禁することぐらいだろう。先に詫びておく」
「あーそーかい、そうなるよな!」
幸い、手元に刀は残っている。すぐさま迎撃体勢をとった。しかし馬鹿正直に戦うことは利口ではない。何せ、ここは相手のフィールドであり、“教皇”は確実に強者の部類である。
となると、程よく戦いつつ――
「今の君に退路はない。大人しく寝てくれ」
「......っ!」
最後の希望も絶たれた。この世界に引きずり込まれた時点で、殆ど詰みの状態だったのだ。
ゼデクは刀に炎を纏わせて勢いよく飛ばす。牽制をしている余裕すらないかもしれないが、不用意に近づくことが正解でもない。
襲いかかる炎の波、それに“教皇”は終ぞ立ち上がることはなかった。
彼の目の前に鏡が展開される。ただの鏡如きならひとたまりもないだろう。諸共焼かれるだけだ。しかし――
「なっ!?」
次の瞬間、炎の波がゼデクの方へと押し返してきた。さして威力のない牽制の波だ。難なく打ち消すゼデク。
「何をした......?」
思考もほどほどに、やがて1つの仮説にたどり着いた彼は、再び動き出す。
何本か鋭い熱線を放つ。威力も速度も先の炎とは段違いの攻撃。
「無駄なことを......」
鏡が遮ったかと思うと、同じ攻撃がゼデクの方へと撃ち返された。またもやゼデクが防戦に徹することとなる。
今の攻防から導き出されること、それは
「その鏡で反射。単に魔法を撃ち返すんじゃなくて、等しく反射させている。どこまで反射できる? 魔法か? それとも物理的なものも可能なのか?」
「2度目でそこまで理解できたか。歳行かぬ少年だが、場数はそこそこ踏んでいるらしい」
感触からするに、魔法を押し込むことは得策ではない。おそらく物量関係なく等しく反射されるからだ。
となると頼りになるのは己の身体と刀だけだが......
「かなりマズイな」
「漸くわかってもらえたか。ではあと一押しといこう」
彼は指をパチンとならす。すると、室内全体のステンドグラスやガラスが輝いた。さらに“教皇”の頭上に火・雷・風・水とありとあらゆる魔法が展開される。
「......嘘だろ?」
これが六国屈指の魔法大国、その国王の実力なのか。ゼデクは戦慄する。今確認しただけでも彼は魔法を5つ所持しているからだ。とてもじゃないが、一個人が保有していて良い代物ではない。
そして、光輝くステンドグラス・ガラス。これが意味することとは――
「死なないように調整せねばな」
光の雨が降り注ぐ。ゼデクは最悪のパターンを想定しつつも回避行動に移行した。だが、想定できても身体が付いていくかどうかは別問題だ。
初撃をすべて躱すゼデク。そして最悪のパターンを目の当たりにする。躱した魔法すべてが、壁や床のガラスを乱反射し、ゼデクを絶え間なく襲いかかったのだ。
躱す限り、延々と続く攻撃。ならば1つ1つ打ち消すしか方法はない。
「これだけでは足りないか」
何とか食らいつくゼデクに追い討ちをかける“教皇”
絶え間なく注ぎ込まれる魔法の嵐にゼデクは押され始めた。頰や足のみならず、腹部や首元にも魔法が掠れる。
「......うっ」
八方塞がり、このままではジリ貧だ。ゼデクに残された手は少ない。まだ形成すらできなかった、“王花の剣”だ。
「この場でアレを使いこなすしか――」
刹那、翠色の閃光が走った。ステンドグラスや魔法の光彩を跳ね除ける輝き。それは、ゼデクに迫り来る攻撃を全て消し飛ばす。
「......五体は揃ってるな」
光の中から男が出てきた。ボロ布に身を包まれた男。だというのに、彼の中から放たれる翠色の光はまるで生命力に満ちているようで――
「......グレンジャー・レーヴェン」
「久しぶりの再会も落ち着かないものになった。悪いが小僧は俺が拝借する」
「......へ?」
いうや否や、グレンジャーと呼ばれた男はゼデクを抱え走り出す。彼の魔法であろう翠色の光が激しく煌めいた。
一気に加速する。およそ、魔法使いの範疇すら超えた速度で突き進んだグレンジャーは、侵入時に破った突破口から強引に抜け出す。
「で、出てきたぞッ! 脱獄したグレンジャー・レーヴェンだッ!」
「おい、あの方が抱えてるガキは誰だ!?」
“教皇”が玉座らしきものに座っていたことを考えるに、おそらくここはヘイゼル王国の城だ。当然、騒ぎ立てれば立てるほど、周囲に配備されていた兵を呼びつけることになる。
「......叫くな。久しく外に出ていなかったんだ、頭に響く」
グレンジャーの手元に魔法で形成された大筒が現れる。それを肩で担いだ彼は、己が魔力を注ぎ込んだ。
「“カルヴァリン・オブ・レーヴェン”」
重々しい言葉と共に、何もなかったかのように、景色を翠色へと塗り替える。王城の一角に風穴を開けると、轟音が追随した。彼らを囲んでいた衛兵の末路は言うまでもない。
「......流石にやり過ぎじゃ?」
「抜かせ、この世界で生きたくば甘さを徹底して捨てろ」
ゼデクを降ろすことなく走り出す。あれだけの砲撃があったのにも関わらず、城内の衛兵が続々と湧いて出た。
「もうすぐ“十三家”が来るな。......レフティスは疲弊しているが長居できる場所でもあるまい」
「これどこ向かってんだよ!」
グレンジャーは廊下の隅へと走る。
「小僧。交渉はお前も尽力しろ、この先はお前の腕に掛かっている」
やがて、とある一室についた彼らは強引にドアを蹴破る。光を遮られ、真っ黒な部屋の奥へと滑り込む。
だがこれではダメだ。すぐに位置が特定され、振り出しに戻る可能性がある。
「......ククッ、随分と余裕がないらしい」
ゼデクは硬直した。今日は驚く事ばかりの一日だ。そして、その一日の中でも最も驚きを禁じ得なかったと言える出来事に直面する。
聞き覚えのある声、威圧感、暗闇。いずれもゼデクの本能にまで刻まれたもの。忘れるはずもない。
「あ、アンタ......なんでここに? いや、なんで生きて......?」
「よぉ、ゼデク・スタフォード。相変わらず情けねぇ面だぜ」
部屋の奥で座していた男――ルピナスの元国王、“暴君オスクロル”は、大胆不敵な笑みでゼデクを見降ろした。




