第106話 プロローグ〜とある世界に少女は願う〜
あたり一面に広がる麦が夕日に照らされ、金色の光を放っている。その中に私はいた。風に揺らめく麦を優しく掴んで、撫でてみる。
ここで、ただひたすらにボーっとする。それは非日常であった。
今は自由、今だけは自由。あれもこれも自分の思うまま。気の赴くままに景色を眺めて、気が済むまでただずむ。
でもそれだけじゃ足りない。
『お腹空いたなぁ』
腰に提げた布袋には数枚の金貨がある。だったらやってみよう、買い物というやつを。
『お婆さん、これくださいな』
『ひぇ、アンタさん! そんな金貨どこで手に入れたんだい!』
不思議なこと言う。私は困惑した。でも、お婆さんは何か納得するような顔をすると、数回のやり取りで袋詰めのパンをくれる。
どこか怯えるようで、敬うような態度。慣れたものだった。私に対して、みんなはそんな顔をする。私が王族だからだ。お兄様のように物怖じしない人もいるけど、それはお兄様だから。私よりも上の存在であるから。
同じ目線で話してくれる人はもういない。大好きだった母はいない。
『......今はどうでも良いや!』
何せ自由なのだ。気付けば走り出していた。私を縛るものはない。好きな物を好きなだけ食べて、話したい人と話す。選択するのは私なのだ。
黄金に光る麦畑の中を風と共に走りゆく。ここはココ村。いくつかのレンガ造りの家々を中心に、広大な麦畑が広がっている村。その中を私は走りゆく。
やがてちょっとした石橋にたどり着いた。綺麗な川も流れている。丁度いい、あそこでパンを食べよう。
私はまた1つ、自分の意思で選択する。パンはとっても美味しかった。気分が後押ししているのもあるが、それを抜いても美味しかった。
『......?』
気配がする。住人? それともエスペルト? だとしたら嫌だ。夢のような時間が終わってしまう。横を見ると杞憂だとわかる。少年がいた。自分と変わらぬ歳であろう少年が......
何気ない出会い。生涯、数多ある出会い。でも私に取っては運命の出逢いだ。
私は忘れないだろう。この先、何があっても忘れない。それだけの想い出を貴方は僅かな時間でくれた。
貴方と話したこと、貴方が作ったパン、貴方がしてくれた約束。何年経とうと、何が起ころうと、どんな世界になろうと私は忘れない。
だけど、だけどね。貴方は忘れてもいい。私が置かれた環境は、私たちの想像を絶する地獄だったのだから。大切な貴方だからこそ、この地獄には来て欲しくない。今はそう思う。
きっと私よりも相応しい女の子がいる。兵器じゃなくて、人殺しでもなくて、貴方の隣で綺麗に微笑む、そんな人が。
だから、貴方は忘れても良い。忘れて欲しい。
でももし、もし赦されるのならば......私だけはこの想い出をずっとずっと懐いていたい。忘れずにいたい。
私はあの日ことを今でも覚えている。貴方と始めて出逢ったあの日のことを。泣いている貴方にこう言ったのだ。
『......あなた、どうして泣いているの?』




