第10話 宰相と次兄
今から、6年前。
事件は起きた。
キングプロテア王国では、突如として王をはじめとした、王族が何人も謎の死を遂げたのだ。
しかし、それだけに止まらなかった。
情報操作をしていたのにも関わらず、事件は国中に一瞬で広まり、混乱の渦と化した。
それを見計らい、クーデターを企む者まで現れたのだ。
◆
キングプロテア王国の主城内を駆け抜ける男が1人。
あたり一面、赤色に染まっていた。
味方の兵士の血と、反乱兵の血で。
むせ返りそうな程、強烈な匂いが漂う中、男は先を目指す。
目の前にレティシアと、その母親である“グレイシア・ウィンドベル”の私室が見えた。
扉は開かれている。
『ぐぁぁあああっ!!!』
部屋に入ろうとしていた敵を、一振りで斬り捨てると、男は部屋の中に入った。
『グラジオラスッ!』
『......無事であったか、エスペルト』
『先程まで、ここで嫌な魔力を感じました。何処へ?』
『私が来た時には、既にこの有様よ。肝心な魔力の正体も掴めなかった』
エスペルトは部屋を見回す。
廊下同様、赤一色で彩られた部屋の奥で、グラジオラスは、腹違いの妹であるレティシアを抱き抱えていた。
その正面で、全身から血を流しながら倒れる女が1人。
『......グレイシア』
『皆揃って、王の身を最優先に案じていたのだ。王ではなく、こちらに来るべきであった』
『お兄様っ! お兄様っ! ......お母様が、お母様がっ!』
心底悔しそうに呟くグラジオラスと、その胸で泣く幼いレティシア。
それを眺め、エスペルトは疲れを覚えた。
『死因は?』
『わからぬ。血は出ているが、外傷がない所を見ると、件の魔力が原因と見るべきだな』
とそこで、背後から敵となった2人の兵士が、エスペルトに襲いかかる。
見覚えのある顔。
いずれも、城内にいた優秀な魔法使いであった。
が、それを一瞥したエスペルトは、手に持った“刀”を、2人の身体をなぞるように滑らせる。
何のためらいもなく、ただスルリと斬る。
それだけで、一瞬にして肉塊へと変わった。
『ライオール達が鎮圧に向かっていますが、余裕がなさそうですね』
刀に付いた血を払いながら、エスペルトは呟く。
他の信用できる面々は、城下の鎮圧に向かっている。
城内からの反乱兵を抑える余裕がない程に、彼らは苦戦しているのであろう。
城内は、エスペルトとグラジオラスの役目だ。
『何故だ......』
『うん?』
『何故、レティシアばかりが、この様な目にあう? 何故、鍵はレティシアを選んだ?』
エスペルトはグラジオラスの方を見直す。
彼は常々、鍵が自分ではなく、レティシアに宿ったことを悔やんでいた。
望まぬ少女に、望まぬ力が宿るのを見ることしかできない自分の非力さを、ずっと恨んでいた。
それをエスペルトは知っている。
『貴方の所為ではありませんよ。貴方は十分に強い。きっと何か、他に意味があるはずです』
だから、エスペルトは言葉を選んだ。
『......これから先、何年後になるかわからぬが、六国の状況は激動するだろう。この子は嫌でも戦場に引きずり出される』
『ええ、そうでしょうね』
『......エスペルト、ようやく私の役目を理解することができたよ』
すると、グラジオラスは立ち上がる。
その旧友の瞳を見て、エスペルトも悔やんだ。
彼は今、覚悟を決めたのだろう。
自分が変わるしかないと思ったのだろう。
レティシアの方に視線を移す。
次兄を慕っている、彼女に視線を移す。
これから、起こることを考えると胸が痛む。
でも、エスペルトには、どうすることもできない。
どうやら、非力なのは自分の方らしい。
『妹を任せるぞ』
『......本当に貴方は、その道を選ぶのですか?』
無駄だと理解していても、制止の言葉を投げかけるエスペルト。
そんな自分を、らしくないと思う。
それ程までに、精神が追い詰められてると理解した。
『当たり前だ。先ずはクーデターを企んだ愚か者共を一掃し、国を整理せねばならん』
かつての優しさが消え、冷たさのみが灯った瞳がエスペルトを捉える。
『......行きなさい』
その言葉と共に、グラジオラスが部屋の外へと飛び出す。
すぐに、彼が殺したであろう、敵兵の悲鳴が聞こえた。
それを確認したエスペルトは、レティシアの元に駆け寄り、斃れたグレイシアの方を見る。
変わりゆく旧友を止められず、その妹の涙を抑えることもできない。
そして、何よりも......
『私もいい加減、自分のことが嫌いになりそうですよ、グレイシア』
かつて、愛した人の名を呟く。
その死にゆく様を見ていることしかできない自分に、ただ嫌気がさすだけであった。
◆
キングプロテア王国の主城内を歩く男が1人。
だがあの日と違い、血塗られていない、普段通りの廊下だ。
やがて、かつてレティシアと、その母親であるグレイシアが、使用していた私室が見えた。
エスペルトはそのまま通り過ぎ、奥を目指す。
すると奥の部屋から、グラジオラスが出てくる。
「やぁ、グラジオラス」
「ここから先は、お前であろうと無断で入ることは、許されていない」
グラジオラスは、少し面倒くさそうな顔をしながら返事する。
「ここまでなら、問題ないのでしょう?」
「何をしに来た?」
それにエスペルトは、少し考えるように首をひねると、
「貴方の厳し〜い指導を受けて、毎日頑張ってるレティシア様を応援しようかと」
「冗談は良い。私も疲れている、早く要件を話せ」
グラジオラスは、エスペルトの目にある隈を見ながら促す。
「この間の会議の件、ありがとうございました」
「......あまり勝手なことをされても困る。この貸しは高くつくぞ?」
「ええ〜、私と貴方の仲じゃないですか〜」
それを聞いた、グラジオラスは無言で見つめる。
自分とは違い、エスペルトは昔からブレない。
というより、普段からブレているようにも見える。
「どうしました?」
「なぜ、貴様はゼデク・スタフォードに執着する? あの存在は、今のレティシアには毒にしかならない」
「なんでだと思います?」
「それをわかっていれば、こんな質問しない」
余程秘密にしたいのか、あくまでとぼけるエスペルトを見て、グラジオラスは、溜め息を吐く。
「一度、本人に会って聞いてみると良いかもしれませんね」
「今まで、ずっと懐に抱えてた癖に、よく言う」
それを聞いたエスペルトは、くるりと身を翻すと、元きた道を歩き出した。
どうやら、これだけで彼なりの要件は済んだらしい。
「あの会議の日、私は新たな一歩を踏み出しました。事件の日から止めていた足を、進めると決めました」
そのまま帰るかと思いきや、エスペルトは言葉を投げかける。
「貴方は、あの日からの一歩を、いつ踏み出しますか?」
「......」
グラジオラスの返事を待つことなく、エスペルトは奥へと歩み去っていく。
「私は......」
グラジオラスは、声にならない声を上げようとするも思い留まり、エスペルトと反対の方向を歩き出すのであった。




