アラクネの司書
静けさに満ちている──とはちょっとほど遠かった。
府立図書館。
この知識であふれる本の館は、静かであることを利用者に求める。
お静かに。
しかし実際には様々な音で溢れた。
ささやき声。
いびき。
足音。
本をめくる音。
パソコンのキーを叩く音。
除湿機の稼動音。
筆が滑る音。
図書館といえば静かな場所の代名詞だが、あまりそのような雰囲気でもなかった。
「……」
そんな、ちょっと騒がしい図書館。
更識美琴はとある本を探してもらっていた。
今は、まさに司書がその探している本を指で追っている最中だ。
美琴はその司書を地上から見上げた。
高い。
高い。
高い。
とても高い本棚の、さらに上へ、司書は『足』をかけた。
本を求めた美琴は人間だ。
本を探す司書は違う。
三組六の手。
一組二の足。
瞳は二つより多く、十よりは少ない。
一瞬、人間のようであるが、よく見れば人間と違う。
ほぼ人間。
だが美琴とは明らかに違う知的生命種の兄弟。
人間の上半身。
蜘蛛の下半身。
入り混じる別種。
巨体。
それは美琴の前へと降ってくる。
手には美琴がお願いした本があった。
別に特別な本ではない。
ただちょっと見つけづらい場所にあっただけの、普通の本だ。
「こちらの本でよろしいでしょうか?」
──はい。
司書アラクネの選んだ本は、美琴の探していた本とピタリとあっていた。
大きく。
分厚く。
重い。
受け取った美琴は、予想以上のそれに、ちょっとだけバランスを崩しかけたが、すぐに持ち直した。
司書アラクネは、美琴と比して力持ちのようだ。
──間違いありません。
「お役にたてて幸いです」
司書アラクネの複数の目が細まり、ほほ笑みの顔。
どきりとする美しさがあった。
司書アラクネの二つではない瞳へ、美琴の顔が浮かぶ。
間抜けな顔だ。
美琴は心の中で眉をしかける。
『異形』と比べてずっと劣っている、と感じた。
「あっ! そうです、美琴に会ったらわたくし、これを見せようと思っていたのですよ」
パンッ! と手をうった司書アラクネは、図書館の制服である、緑のロングスカートをたくしああげた。
ちょっと露出狂。
しかし司書アラクネはそのようね性癖ではない。
見せたいものには、もっと別の意図があるのだ。
司書アラクネ、その甲殻の鋭利的美しさのある全ての足は、靴下を履いていた。
白い。
足の付け根近くまでとても長く、小さなリボンがつく。
ワンポイントの桃色の兎。
──可愛い靴下ですね。
「ですよね! わたくしもそう思って買ったんですよ」
──特に兎がポイント高いです。
「美琴、わたくしたちの好みはパーフェクトです」
──でも、黒のガーターベルトのが好きです。
「あー、なるほど。昨日までは履いてたんですけどね。残念でした!」
自分の気に入った靴下を自慢する。
ただ、それだけのことだ。
そんなこと、ではある。
しかし、司書アラクネはそんな時間をわざわざつくった。
特別な何かがあるわけではないだろう。
背の高い、高すぎる書架が美琴と司書アラクネ、二人の姿を他の利用客から隠していた。
音だけは聞こえるだろう。
姿をうかがうものはいない。
アラクネは人類であるが、人類ではない。
つまりは異形。
自身と同種ではない種に惹かれるのは、間違っているだろうか。
否。
人は──人であるならば。
愛せる、愛しうるのだ。
『無形の愛よ』
美琴は、司書アラクネが見つけてくれた本を、強く、抱きしめた。