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鍛冶屋バスコーニ

作者: イグコ

 素焼き煉瓦に囲まれた薄暗い店内に響くアルコールを注文する声。あるテーブルでは笑い声がひっきりなしに起こり、あるテーブルでは喧嘩が始まる。酔っ払いが溢したエールの匂い、葉巻の煙、つまみになる料理の塩気とスパイスの濃い香り。かちゃかちゃとリズムを刻むような食器の音もここでは心地好い。その中でちらちらと客の視線を浴びる二人組がいた。隅にあるテーブルに着く異種族二人である。

 壁掛けのランプによって浮かび上がるシルエットは両極端のものだ。背筋の伸びた長身の男と丸い体を更に丸めた姿の男。二人ともに一見して人間族とは違う、異種族と分かる先の尖った細長い耳を持っていた。

 長身の男はエルフのバスコーニ。銀の長い髪に憂うような瞳。色素の薄い肌は空気に溶けていきそうな儚さだ。長い裾のローブを持て余すことの無い長身は、人間でいうなら優男、というイメージがつくかもしれない。だが彼には長い年月を生き、過ごしてきたエルフ族特有の高貴さがあった。他の種族には無い森の番人達のかもし出す雰囲気は、全てを惹き付ける。現に今も光の精霊達は彼に纏わり付いている。残念ながらその幻想的な光景は人間達の目には写らないのだが。

 もう一人の異種族はドワーフのコビード。ドワーフ特有のずんぐりとした体に彼本人の個性である気難しい顔。立派な髭に隠れた口は今もへの字に曲げられていた。太い腕の先にある手は長年の仕事によって固く、黒く汚れている。指は一本一本が芋虫のように丸いが、彼は驚く程器用だった。

 コビードはジョッキを傾け、中身である黒い液体のエールで喉を潤す。すると柔らかい笑みをたたえたままそれを見守っていたバスコーニが口を開く。

「コビード、僕はそろそろ死ぬと思う」

 普段と変わらぬ顔で言ったバスコーニを、コビードは唖然と見返す。髭についた泡を拭うのを忘れてしまう程だった。めったに気難しい顔を崩すことのないコビードが目を丸くしている様子に、驚かせた張本人、バスコーニは小さく笑う。

「そろそろ森に帰る時期が来たんだ」

 そう伝えるエルフの言葉をコビードも理解する。エルフは肉体が滅んだ後も精神だけはこの世に彷徨わせる、と聞いたことがあった。自らの故郷に帰り、精神世界から森を守るのだ、と。

 その知識があってもコビードは呆気に取られたままだった。なぜなら目の前のエルフは外見だけならコビードよりも若い。どう見ても壮年期より前、といったものだ。ずっと二人きりで旅をして過ごしてきたが、普段から「もう若くない」「体が持たない」「僕はもう長くない」など苦笑混じりにぼやくのを聞かされていた。しかしそれも歩き回る事が苦手なバスコーニの単なる愚痴だと思っていた。

「……馬鹿馬鹿しい。あんたは人をからかうのが好きなようだが、わしは冗談が大嫌いだ」

 そう言って席を立つコビードはいつもと変わらない台詞といつもと変わらない難しい顔だった。それをバスコーニはいつもと変わらない笑みを浮かべながら見つめていた。




 朝、安宿の狭い部屋で目が覚めると、脚を中心に固くなった体をほぐす。それがコビードの日課だった。歳は取りたくない、そんなぼやきを交えつつ。獣脂のランプの残り火で指先を温める。気休め程度だがほっとする。

 ベッドから起きて身支度を整え、バスコーニを起こしに行く。これがいつも二人旅での流れだった。エルフの全てがそうなのかは知らないが、バスコーニは朝が弱い。普段は優雅で柔らかい物腰のエルフが、朝の起床の時間にはコビードに呪いの言葉を吐く。日中なら喧嘩に発展するだろうが、朝だけはコビードも聞き流すことが出来た。

 荷物を背負い、ギリギリとうるさい扉を開けて宿の寒さそのままの廊下に出る。他の客はまだ起きていないようだ。旅人しか泊り客はいない古い宿だったが、まだまだ日の出の遅い春先だからか、出発を遅らせている者が多いのだろう。

 ガタガタとうるさい扉を開けてバスコーニの部屋へと入る。案の定、彼はまだ床の中だった。寝返りを打たないのだろうか?と疑問に思う程、乱れの無い布団に真っ直ぐ仰向けで寝るバスコーニ。その彼の肩を普段通り無遠慮に叩いた後、コビードはぎくりと体を奮わせた。

 体温が無い。布団から飛び出した肩が冷えている、というだけでなく布団の中からも熱を感じない。何より呼吸が無い。いつもなら気持ち良さそうに寝息を立てる姿に腹が立っていたというのに。コビードは頭が真っ白になり立ち尽くしていた。

 死んでしまったのか、本当に。

 そう考えた後、またからかっているのではないか、とも思う。しかしコビードは動けなかった。肩を揺する、胸の音を確かめる、それすら出来なかった。

 友は死んだのだ。友、だったのだろうか。顔を合わせれば憎まれ口を叩き合っていた、バスコーニの生きている間はそんなことを考えもしなかった。自分と彼の仲など、彼との関係性などを。

 ふとコビードはバスコーニの体から漏れ出す光の粒に気がついた。光の精霊のようにふわりと漂うそれは止め処なく溢れ、上昇していく。そして光の粒が漂う度にバスコーニの体が透けていくではないか。

 咄嗟に光が漏れる体を抑える。が、コビードの手のひらを透けて友の体は旅立っていく。

「こういう事だったのか……」

 コビードはそう掠れ声を漏らした。エルフは森に帰る。精神の問題だと思っていたが違う。物質的にも森へ帰るのだ。これは幻想的で美しい光景か。悲哀に満ちた葬儀の光景か。コビードはぼんやりと見つめるしかなかった。




 その日、コビードは一人で街を出た。まだ薄暗い町の中を独りで歩く間、涙は一度も流れなかった。

 心に出来た隙間を、奥底で湧く悲しみを、怒りに変えた。その流れはあまりに自然で、コビードは自分で、バスコーニの死を理解できていないのではないか、と心配になるほどだった。顔は上気し、寒さを感じることもなかった。

 向かう先はタタゼラ坑道。昨日までバスコーニと確認し合っていた次なる目的地だった。

 空が茜色に変わり、星が登り、辺りが暗くなっても歩き続けた。ドワーフの体力は老齢であっても底知らずだ。今まではバスコーニに合わせてゆっくりとした旅だったが、今は一人だった。自分の体力を押し込めてでも、相棒に合わせる必要があったのだ。二人の中でバスコーニは頭脳であり、目であり、耳であり、知識だった。コビードは彼に従い動く、体であり、力であり、手だった。

 暗がりに思い出す。エルフのくせに暗闇を怖がる奴だった。

 ちくりと刺す痛みは前よりも大きくなり、段階を追って襲ってくる悲しみに、コビードはバスコーニを憎んだ。




 『鍛冶屋バスコーニ』。鋳物を扱う者なら知らない者はない、というほどの職人とその店の名前だった。

 実際はエルフのバスコーニが指示をし、ドワーフのコビードがその指示通りに品物を仕上げていく二人羽織体制の店だ。その事実は店を訪れた冒険者、皆を驚かせた。

 彼らの作り上げる品物は小ぶりのダガー、ナイフから大振りのグレードソード、モールやハンマーといった鈍器、重戦士の身を固めるプレートメイルまで多岐に渡った。それもこれもバスコーニの博識と、コビードの器用さの成せる技だった。

 さらに品物の原材料となる鉱石も、自分たちで発掘し、採取し、自ら運んだ。珍しい鉱石を取りに行くのに数年掛けたこともある。時間を掛ければ掛けるほど、良いものが出来上がり、お金は無くなった。店に並ぶのは商品、というよりはバスコーニのコレクションだった。納屋を改築した店舗は徐々に大きくなり、比例して住居は狭くなった。それでも、不満は無かった。





「帰るか」

 タタゼラ坑道での活動を終え、数日ぶりに沈む日を見た時、コビードは自然とつぶやいていた。泥と砂利に塗れた全身を伸ばし、二重にした麻袋を担ぎ直す。

 帰る先は『ニーゼ』。鍛冶屋バスコーニの店舗のある、小さな小さな村だ。山間にあり、冬は寒く夏は暑い。しかし小川近くにある二人の自宅兼店舗を、コビードはこの上なく気に入っていた。生まれ故郷のドワーフの帝国よりも。半年ぶりになる我が家はどんなに荒れているだろうか。しかし取り囲む景色は今は蝶が舞い、水車が回り、咲き始めた野花の周りを村の子供たちが駆けているはずだ。

『帰ったらまずは火をくべて、釜の温度を上げる。川で鉱石を洗って、お茶を飲むのはその後だ』

 にこにこと語る相棒の顔をふと思い出し、感傷に更けそうになる。それをコビードは慌てて振り払った。今は急がなければならないのだ。

 重い荷物が指に負担をかける。ふやけた血豆を庇いつつ持ち手を動かし、コビードは決心する。


 バスコーニの名を継ぐ。


 今までもコビードが『バスコーニ』の半身だったのだ。一度、心に決めた後はすんなりと頭が受け入れた。バスコーニの膨大な知識を受け継げている自信はなかった。しかし、頭は覚えていなくとも、体が覚えている。顔を火照らす竃の温度を。指に吸い付く鉱石の質感を。ハンマーに打ち鳴らされた刀身の光を。

「他の生き方を、わしは知らぬ」

 最後には本音が唇を震わせた。





 「バスコーニ」と書かれた看板が錆びたフックを鳴らしながら揺れている。軒先きまで来て初めて目にとまるような大きさの文字で書かれたそれは、店に客を迎え入れる気は無いような雰囲気だった。

 帰宅後、それに今更ながら気づいたコビードは、看板を新調するか考える。しかし看板の文字を書いたのがバスコーニだということで、迷う内に半年も経ってしまった。

 それでもポツリポツリと客はやってくる。今も冒険者風の若い男がぎこちない動きで店内を物色し、万能ナイフを購入していった。会計時に何か言いたそうにしていたが、コビードの気難しい顔の前に惨敗して去っていった。打ち解けるのはバスコーニの役目だったのだ。これからは少しずつ、他愛ない会話も覚えるべきかも知れない、とコビードは髭を撫でた。





 商品に埋もれるベンチに腰掛け、店番をしながら壁掛け時計を直していると、ふと手元が暗くなった。顔を上げると珍妙な客がいる。頭より大きな鍔広帽子を目深にかぶった、人間族の子供である。痩せた手足がみすぼらしい服からのぞいている。大きな目をぎょろぎょろと動かし、コビードの修理の様子を見ていた。

「なんだ、小僧?」

 どう見ても客ではない様子に、コビードはいつも以上に不機嫌顔を作る。しかし子供は意に介さず無遠慮に時計とコビードの顔を見続けていた。

 奇妙な沈黙が続いた後、子供は汚れた手をいじりながら口を開いた。

「あなたがバスコーニ?」

 コビードは返答に一瞬詰まった。自分がバスコーニを名乗るのに、良心の呵責などはないが慣れないことには変わりない。

「そうだ」

 しわがれた声が髭の奥から響く。それを聞くと目の前の相手は一瞬だけ、嬉しそうに笑った。すぐに仏頂面、いや本人は真面目なだけなのだが無愛想な顔になると姿勢を正した。

「僕はあなたの弟子になりたい。どうかここで働かせてください」





 ニト、と名乗った子供の熱心な話を、コビードは途中から聞いていなかった。

 今までも何度か弟子入りを志願する若者はいた。しかし相手の力量や人柄問わずに断ってきたし、今回の相手は雑用もこなせないような細腕だ。

 青白い肌と痩せっぽちの体、そして頭に乗る大きくて奇妙な帽子は何なのだ。コビードは睨む。黒くて起毛した布地のそれは、森に住む魔術師が被るもののようだった。

 妖の術を使う魔術師の存在を、コビードは快く思っていなかった。例え治癒の術や悪魔を倒す目的の術であっても、自然に反した奇跡を起こす魔法を、コビードは不要のものだと考えていた。

 年齢を見てもニトを魔術師だとは思っていなかったが、なぜこんなものをかぶるのか、こそこそと顔を隠すような行為が受け入れられなかった。影から目だけをギョロつかせる姿はおぞましいではないか。

「話は終わりか。なら出ていけ」

 コビードの冷たい言葉に、ニトは黙る。その隙にコビードは立ち上がり、店の奥に引っ込んでしまった。





 風の強い日だった。修理の終わった時計を抱え、コビードはニーズの村を歩いていた。目指すのは村で一番大きな屋敷。屋敷とはいっても村で唯一、二階建てで独立したキッチンがある、という慎ましいものである。変わり者の異種族二人を快く迎えてくれている村長一家の家だった。コビードが最初に村を訪れてから、もう八人目の村長である。

 村長の奥方が、コビードの帰宅を知り、早速修理を頼んできたのだった。

「コビードさん、ちょっと寄って行ってよ」

 露天で煙草と菓子類を売っている村の男が声をかけてくる。

「新しく入れた蒸留酒なんだ。俺は飲めない体質なんで、味を教えてくれよ」

 男はそう言いながら青色の綺麗なガラス瓶を差し出してきた。酒に目がないコビードは遠慮なくいただくことにする。

 強い糖蜜の匂いにコビードは唸った。

「うまい。メリムデからの舶来品だな?」

「製法はね。隣村で作り始めたらしいんだ。うまいなら定期的に送ってもらうとするかな」

 得意げな店主にコビードが頷いた時だった。後方が騒がしくなる。振り向くと村の子供たちが村の外に向かい、何かを囃し立てていた。相手は黒い鍔広帽子をかぶるニトである。コビードは少し眉を動かした。

「あれは?」

 子供たちの様子は決して友好的ではなく、むしろ排除するかのように石まで投げる子もいる。他の子供よりも一回り小さく、痩せたニトを取り囲む、というあまりの光景にコビードは思わず質問していた。店主の男はコビード越しにそれを見、頭をかいた。

「いつの間にか村に居ついたジプシーの子供でねえ、みんな持て余してるんだ。どうも親がいないみたいで、どうやってここまで来たのかも分からないような子なんだよ」

 男が言うのは無論、ニトのことである。その説明を聞いてコビードは尚更、あの怪しげな見た目は何とかならないのだろうか、と疑問に思った。あれでは子供たちの輪に入れないのも無理はない。

 鼻を鳴らすコビードに、店主の男は包みを渡してきた。重さからして酒ではない。包装紙越しに窺える形状や感触で、店に並んでいる菓子類だと判断できた。

「それ、渡しといてくれないかなあ、あの子に。俺、ダメなんだよねえ、ああいう境遇の子。でも俺から渡すと訝しがられそうでさ」

「わしから渡しても訝しがるだろうよ」

「いやいや、コビードさんなら村に滅多にいないし、大丈夫だよ」

 コビードには店主の言い様を理解出来なかったが、酒を振る舞ってもらった手前、頑なに断るのも気が引けた。渋々引き受けると、包みを懐に仕舞う。店主に挨拶すると本来の目的である村長の家に向かった。





 用事を済ませ、村を出て林の小道を歩いているコビードの目に、黒い帽子がチラチラと入った。うずくまり、何かを探す様子のニトの方は、コビードに気づいていないようだった。しばらく様子を見ているが、どうも木の実やきのこの類を探しているようである。それはニトの空腹具合を嫌でも窺わせた。

「おい、小僧」

 低音の呼びかけにびくりとなる。振り返る顔はやはり帽子から目を光らせたもので、コビードは眉を寄せた。

「腹が減っているのか」

 気難しい顔のドワーフにニトは恐る恐る頷いてみせた。コビードは無遠慮に近づくと、ニトの手に包みを握らせた。

「村の露天商の男が寄越した。お前に、だそうだ」

 コビードが手をどけると同時に、薄紙の包みが解ける。中から現れたのはショートブレッドとジャムを挟んだビスケットだった。ニトの顔は明らかに遠慮に戸惑っていた。しかしそれも一瞬のことで、餌に食いつく獣のように菓子を頬張る。

 夢中になって口を動かす子供に、コビードは心底嫌な物を見るように顔を歪める。そして呟いた。

「家に来い」

「え?」

 問い返しには答えず、黙って歩き出し、一度だけ手招きをする。ニトはしばらく固まったままだったが、全てを理解すると慌てて老ドワーフの背中を追いかけだした。




 煙と硫黄の匂いが充満する工房に彫刻機が回るガタガタという音を響かせ、背中を丸めて銀細工を制作するドワーフへ、大きな鍔広帽が近づく。

「師匠、道具は磨いておきました」

 頭を下げるニトにコビードは鼻を鳴らす。

「師匠はやめろ、コビードでいい、と何度言えばわかるんだ。薪は割ったか? まだなら早く行ってこい」

 ニトがバスコーニの店で働きだして一月が経った。季節はまた寒い季節に近づきつつあった。毎日のようにコビードは「弟子にした覚えはない、図々しい」とぼやきながら鼻を鳴らす。それでも仕事を与えるドワーフに、ニトは必死で食らいついていた。

 しかしハンマーを持たせればひっくり返り、鉱石を洗わせようにも重さでまともに運べない。薪を割れるようになったのがつい最近、というのがニトの状況であった。まさにコビードの言うところの「この体たらく」である。コビードは捨て猫を拾ったも同然の自分を、苦々しく思っていた。情にほだされるような性分なら、とっくに何人かの弟子を取っていた。なぜあの少年を受け入れたのか、はバスコーニを失った寂しさでもあったんだろうか、とうなだれる。

 その時、工房の外から大きな音がする。カラカラと乾いた音から察するに、ニトが薪をばら撒いたのだろう。コビードは「またか」というぼやき混じりに立ち上がった。

 外に出ると案の定、ニトが散らばった薪を慌てて拾い集めている最中だった。

「また欲張って抱えて、落としたな? 時間がかかってもいい。その代わり全部やるんだ」

「すいません、気をつけます」

 ニトは雨樋の下の薪置きに新しいものを追加すると、ふうと息を吐き、帽子を深くかぶり直した。

「その帽子は何なんだ? 似合ってもいないし、邪魔なだけだろう」

 コビードの質問にニトはもじもじとする。「これは……」と呟いてからは、言葉を探すように目を動かしていた。

「これは僕を育ててくれた人の形見なんです」

 ニトの初めて聞く話に、今度はコビードが言葉を失ってしまった。

「親、というような存在ではなかったけど、僕をここまで育ててくれた人です。……残念だけど死んでしまったので、帽子だけいただいてきました」

「その者の名前は?」

「西の森の魔女、モゼリンです」

 それを聞き、コビードは内心「やはりな」と合点する。魔女のような帽子だ、ではなく本当に魔女の物だったのだ。魔女モゼリンの名前はコビードも知っていた。人間だというのに歳は二百を超え、夜は森の中に大量のフクロウを放し、昼はいつも小屋から紫色の煙を上らせていた魔術師だった。バスコーニとコビード以上の世捨て人だと思っていたが、まさか子供を育てていたとは。

「……すまなかった、モゼリンを慕っていたのだな」

 謝るコビードにニトは驚いて目を大きくしていた。

「善人ではなかったけど、僕にはいい人でした」

 その言葉だけで、モゼリンという魔女の人となりをよく表していた。





 ニトが『バスコーニ』に来て二月経った。コビードが井戸で手を洗っていると、林の中から村の子供たちが覗いていた。コビードが睨みつけると、少年二人は慌てて逃げ出していった。

 店に戻ると店番をしているニトと客が会話している。その会話には加わらず、コビードは奥の工房に引っ込み、定位置の椅子に座り込んだ。

 ここ最近は不器用なニトを職人として働かせるのは諦め、売り子として使っていた。しかしこれは懸命な判断であったようで、ニトは客の対応が上手かった。下手すぎるコビードと比べて、ではなく、客の要望を引き出し、最適な商品を与えることに優れていた。今も無骨でいかにも話下手な戦士の要望を辛抱強く聞き、アドバイスしてやっている最中だった。

「怪鳥退治に行くのだ」

「この時期ならロウタイ山ですね? ならアーマースーツを着込んで行くなんて無茶です」

「しかし大ロウタイ鳥の巨大な鉤爪に備えなくては」

「ならヘッドギアにしましょう。彼らは頭を狙ってきます」

 親切なことだ、とコビードは苦笑する。しかし自分が採掘の旅に出る時に、妙な怪鳥はいない方が都合はいい。持ちつ持たれつ、と納得することにした。

 そしてまた旅を出ることについて考える。店を空けることになるとしたら、ニトをどうするべきか。連れて行くのか、置いていくのか。両方の行末を想像してから『本人に聞く』という至ってシンプルな答えに行き着くと、コビードはまた鋼を伸ばす作業に戻った。





「僕が決めていいんですか?」

 ニトの驚く顔を受けて気恥ずかしくなったコビードは、

「自分の意見も言えんのか」

と叱りつけた。夕食のブラウンシチューから伸びる湯気が、ふわりと揺れた。

「もちろん、付いていきます」

 ニトの力強い答えは、コビードの予想とは違うものだった。うるさい老人と旅するよりは、店番の方が楽だろうと思っていたのだ。ニトはシチューを食べる手を止め、興奮気味に語る。

「僕は薬草学に詳しいです。モゼリンに習いました。きっと旅に役立ちますよ。それに鉱石や地層学も勉強中です」

「ほう」

 素直に感心したコビードは感嘆の声を上げると髭をさすった。

「それに、師匠は数字には弱いです。僕が一緒の方が絶対にいいです」

「余計なことを言うな」

 コビードはむっとして眉を寄せるも、本当のことなのでそれ以上叱らなかった。

「出発は10日後にするとしよう。それまでに村の警備隊からの発注品を片付ける」

 そう言ってコビードは蒸留酒を飲み干す。村では周辺に住むコボルトたちが繁殖期を迎えた為に、慌ただしくなっていた。コボルトが村を襲いに来ることは無いが、農作物を荒らしにくる場合は追い払わなくてはならない。

「わかりました。忙しくなりますね。どこに向かうんですか?」

「……タタゼラ坑道だ」

 ニトの質問に、コビードはなぜ一瞬詰まってしまったのか、分からなかった。 





 それからの数日、ニトはいつも以上に張り切っていた。声は弾んでいたし、力仕事も可能な限りは頑張っていた。しかし、旅立ちの日が近づくにつれ、覇気が無くなっていく。

 客の質問を聴き逃し、頭を下げる姿を見てコビードは「疲れているか、初めての旅に神経質になっているんだろう」と思った。

 そして旅立ちの日の前日、ニトが改まった様相でコビードに話しかけてきた。

「お話があります」 

 少年のいつにない緊張した顔にコビードは眉を寄せた。嫌なのではなく、単なる癖だった。

「旅にお供する前に、見て欲しいものがあります」

 そう前置きして、ニトは帽子を脱ぐ。思ってもみない行動に、老ドワーフはすでに驚いていた。しかしそれによって現れたものに、さらに驚かされることになった。

 脱いだことで現れたのはニトの端正な顔と先が尖る大きな耳。白い肌に上気した頬、赤い唇。

「エルフだったのか」

 コビードは紛れもなく驚いていた。自分の人生に二度もエルフと出会うとは、そしてこの店にやって来るとは、と様々な思いが駆け巡る。

 しかしニトは静かに首を振る。

「モゼリンの話では、僕の両親は二人とも人間です。彼らの両親も、また人間でした。それ故に僕は一人になったそうです」

「チェンジリング……!」

 まれに生まれるという先祖返りの存在を口にし、さらに驚くコビード。彼らはどの種族の社会であっても忌み嫌われ、迫害されているということも。そしてまたニトの緊張の理由も理解できたのだった。

「そう、母は僕が生まれた時のショックで亡くなったと聞いています。実際に死んだのか、それとも遠い地で生きているのか、僕には分かりません」

「……でもお前は実に中性的な顔をしている。エルフの特徴でもあるぞ」

「……だって僕は女ですから」

 今度こそコビードは言葉を失ってしまった。痩せっぽっちでまだ性差の出る前の年頃なのに加え、コビードは少年のような振る舞いのニトを男だと疑っていなかったのだ。

「すまなかった。知らなかったとはいえ失礼な態度を取った」

 頭を下げるドワーフに、今度はニトが驚く番だった。

「いえ、僕が紛らわしいのが悪いんです。モゼリンには『女は弱い』と言い含められていたので」

 ニトの謝罪にコビードは魔女への偏見を考え直さなければならない、と自省した。チェンジリングであること、女であることを晒していたら、ニトは今ここにいないかもしれない。それを彼女が理解することは、どんなに辛いことだったろう。

「勘違いしちゃいかん。わしが謝るのはお前を『小僧』と呼んだことだけだ」

 気難しい顔に戻るコビードにニトは「わかってます」と笑った。そしてコビードはもう一つ、ある予感が胸に萌していた。

 

 ニトをバスコーニとして継がせる。


 鍛冶屋バスコーニはまたこの少女によって紡がれていくのかもしれない。ならば自分はまた役割を果たせば良い。

「なに、『手』はここにあるのだ」

 自分の真っ黒に汚れて年季の入った手を見つめて呟くコビード。初めて自分の生きてきた意味を、役割を理解できた気がした。自分の死の後、今度はニトが『コビード』を見つけるかもしれない。

 こうしてコビードはニトを『バスコーニ』として育て上げる決心をし、二人体制の鍛冶師に戻るのだった。

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