38 別離
何をいい気になっているのか知らないが、口元に笑みを浮かべる彼を冷ややかに見返す。
「そういうあなたもね」
「やはり分かるか」
「ええ」
ワルツに乗せて、近づいたり離れたりしながらお互いを見つめ合う。
やっぱり。
ここにいる貴族たちみたいに、人間にも綺麗な顔の人はたくさんいる。でも、妖精のそれは別次元のものだ。人間から見たら単なる美人かもしれないが、彼の美貌はそれをもはるかに超えていた。
「俺の名前はマールム。東の森出身だ」
彼がささやき、ワルツに合わせてわたしたちはぐっと密着した。
「君にいい話がある」
わたしを抱き留めたまま、彼が声をひそめた。
「俺は今パイゼン家というところにかくまってもらっている。単刀直入に言う。パイゼン家に来ないか」
元妖精をかくまっている家?
気になったわたしは詳細を求めた。
「当主は俺の正体を知っていて置いてくれている。無論貴族としてだ。一目見た時から君が同類だということはすぐに分かったから、当主にはもう話はつけてある」
「話はつけてるってどういう意味?」
「養子として君を歓迎できる状態にあるということさ。悪い話じゃないだろ?」
「そうね……」
わたしは足を動かしながら考えるそぶりを見せた。
悪い話じゃない。それどころか、いい話だ。相手は妖精のことを知っているらしいし、縁組は婚姻関係でなく養子ときた。最悪全く知らない人との結婚も視野に入れていたので、降ってわいたような幸運だ。
感覚でしかないが、マールムが妖精なのは間違いがないし。
「どうする? 答えを出すならできるだけ早くしてほしい……他の家も君を狙っているみたいだから」
「えっ?」
マールムが視線を逸らした方向を見ると、そこには大勢に囲まれて笑顔を振りまいているジャックの姿があった。
もしかして、あの人たちはわたしを引き取りたいと言っているのだろうか。
ジャックがふとこちらを向いた。
その瞬間、わたしの心臓に火花がはじけ飛んだ。
「あっ」
よそ見をしていた上に、今日の靴は特別歩きづらく、足首が折れてバランスを崩したのも無理はなかった。
こけちゃう、そう思った時、力強い腕で腰を引き留められた。
「マールム……!」
「大丈夫か」
彼が腰を引き寄せてくれたおかげで転ばずにすんだ。
でも、これじゃ完全に抱き合った姿勢だ。音楽もそういう部分じゃないのに。
「え、ええ。もう大丈夫よ」
暗に「だから離して」と言ったつもりだったのに、彼は腰を寄せたままダンスを続けた。
「君のナイトの目線が痛いよ」
彼の言う「ナイト」がジャックのことだとすぐにわかった。
ジャックが見てるんだわ。まるで恋人同士みたいに手を取り合って踊るわたしたちを。
そう思っただけで、羞恥で体が火照った。
ジャックに頼らないと決めたわたしは、それでもなんとか言い返す。
「ナイトじゃなくて保護者よ」
そう、保護者だ。わたしは自分に言い聞かせる。そして新しい保護者が見つかった今、彼とはもう何の関係もない。
わたしの表情を見て取ったマールムが口元をゆがめた。
「決心がついたみたいだね。今日から君は俺の妹だ」
突然できた家族に、わたしは刹那あっけにとられ、すぐに笑い出したい気分になった。
「よろしくね、お兄様」
「ああ、こちらこそ」
少なくとも、冗談が言えるくらいには大丈夫らしかった。
曲が終わり、マールムのもとを離れる。
「ジャックに話してくるわ」
次のダンスを申し込んできた人を断って、人垣に囲まれたジャックを目指す。
「ジャック!」
わたしはどきっとした。
さっきからずっとわたしのことを見ていたのかしら。
わたしがジャックを探し出した瞬間に、彼と目が合ったのだ。
彼の周りに集まっていた人々が、波のように割れてわたしとジャックをつなぐ一本の道になった。
「ああ、リオーナ。君と養子縁組や婚姻を結びたいという方がたくさん――」
仲良さげに話していた貴族たちは、やっぱりその話をしていたらしかった。
そのうち、どの家にわたしをやろうって言うの?
話しかけたジャックを、わたしは思い切りさえぎった。
「知り合いを見つけたわ」
ジャックが笑顔のまま固まった。
「パイゼン家というらしいわ。ジャックがうんと言ってくれれば、すぐにでもその家の養子になるわ」
急な流れに、わたしを取り合っていた周囲のざわめきが、一段と大きくなった。
その中から一人の男が手揉みしながら歩み出る。
「これはこれは、バルスロネット辺境伯殿。わたくし、トビアス・パイゼンと申します。ただ今リオーナ嬢のお口に上りました、彼女の遠縁にあたるものです」
あごひげを蓄えた、目がひどく落ちくぼんだ男だった。これがマールムの義父らしい。
本当か、とジャックに聞かれうなずく。
正確にはトビアスとは親類ではないが、息子ということになっているマールムは、親戚と呼ぶにふさわしい。
「よろしければ、今夜にでも彼女を連れて帰りたいのですが……」
「今夜?」
あまりにも急な要望にジャックが目を剥いた。
トビアスは見逃さず、獲物を狙う鷹のように目を細める。
「何か不都合でも?」
その言葉には、彼女はわたしの親戚だぞという無言の圧力が込められていた。
わたしはどこか冷めた思いでその様子を見ていた。今夜というのはいきなりだったけど、どうでもいい。どうせ、ジャックとはこれでさよならだから。今日だろうが明日だろうが、大差ない。
そう思っていたはずなのに、
「……構わないが」
しぶしぶといった様子でジャックが承諾したのを聞いて、わたしは崖から突き落とされたような気分を味わった。体がどこかに落ちていくような感覚がわたしを襲う。
どうしてだろう、わかっていたことなのに。
「それはよかった!」
トビアスが手を叩き、周囲の人々に言いふらす。
「リオーナ嬢の身元が判明いたしましたよ!」
よかったよかったと手を叩くものもいれば、わたしを手に入れられなくて残念がっている人もいた。でも、彼らはトビアスの横に立ったマールムを見たら納得せざるをえなかった。わたしたち二人は明らかに同じ性質を持っていたから、血のつながりがあることは明白だったのだ。
当の本人であるわたしを差し置いて、それまで遠慮がちな雰囲気が漂っていた場内は一気に気軽で華やかなものに変わった。
「本当に親戚なのか?」
ジャックがいぶかしげな顔でまだ聞いてくる。
あれほどわたしをどこぞの家に帰すと意気込んでいた本人が、今更なんなのよ。
「見て分からないの? わたしとマールムはこんなに似ているのよ」
棘を含んだわたしの言い方に、ジャックは閉口した。言い過ぎたかしら。チクリと罪悪感が胸を刺し、慌てて弁解の言葉を探す。
こんなのが最後の会話になるのはごめんだった。
「ごめんなさい、ひどい言い方をして。でも、ジャックには本当に感謝しているのよ。あなたの町での暮らし、とても楽しかった。今までわたしの面倒を見てくれてありがとう。おかげで、やっと居場所を見つけたわ」
まさか、わたしと同じようなはぐれ妖精がいるだなんて思っていなかったけど、予想外の収穫はとてつもなく大きいものだった。
そういえば、マールムは何が原因で人間になっちゃったのかしら?
それに、マールムやジャックを介してばかりで、トビアスとは何も話していないまま決めてしまった。詳しい話をするために彼らのもとへと行こうとした時、手首をつかまれた。
「ジャック?」
彼の顔を見て、わたしは首をかしげた。
やっとわたしの身内が見つかったのに、もうわたしの面倒を見なくてもいいのに、あんまり嬉しそうな顔じゃない。
苦悶の表情でジャックが聞いた。
「私との暮らしは――どうだった?」
一瞬、何を聞かれたのかわからなかった。
「君は私の町での暮らしが楽しいと言ってくれた。なら、私との暮らしはどうだった?」
わたしは微笑むのに失敗して、自分の顔が変な形に歪むのが分かった。
動揺を隠せない危うい表情で、こわばった唇を開く。
「どうって……どうしてそんなこと聞くの?」
「知りたいからだよ。私は楽しかった」
私は楽しかった。
ジャックの言葉が胸の中で反響し、心が揺さぶられるのが分かった。
「わたしも……」
感傷的なのは好きじゃない。それに、どうして仲違いしているのにそんなことを聞くの。
これが、最後だから?
「あなたと暮らすの、楽しかった。ありがとう」
それ以上ジャックと目を合わせていられなくなって、わたしはぱっと背を向けた。
「挨拶は済んだのか?」
こわばった顔でうなずくと、マールムが恭しくわたしの手を取った。
「改めましてリオーナ嬢、わたしたちは今日から家族だ」
トビアスに引き合わされ、あいまいに微笑む。
「あんまりに突然のことで、なんだか夢を見ているみたい」
「まさかマールムのようなものがいるとはあなたも思っていなかったでしょう。でも、もう今日から安心してもいいですよ。あなたを保護することができて本当によかった」
「俺も仲間が増えて嬉しいよ。仲良くしようぜ、妹よ」
ジャックと本当にお別れだということが頭の片隅にこびりついていたが、それとは別に、パイゼン家に転がり込んだのではなく、今度こそ誰かに受け入れられ歓迎されたことがわかって、わたしは目頭が熱くなった。
やっと自分の居場所を見つけたんだ。この人たちには、自分を偽らなくていい。
「分かるぜ、今までひとりで辛かったよな」
マールムの言葉に、今まで我慢していたものが決壊した。
「おいおい、泣くなよ」
「だって……」
辛かった。妖精でもないし、人間でもない、どちらにも属せない自分。誰かに助けてもらわなければ生きていけなくて、そのために妖精だということを伏せなければいけなかった。
でももう、そんなことをしなくていい。
わたしを妖精として受け入れてくれる人が、いるのだ。
嗚咽するわたしを見た周りから同情といたわりの視線が向けられているのを感じた。親族に再会できて喜んでいると思っているに違いない。
あながち間違いではなかった。
彼らはもう、わたしの仲間だ。
着の身着のままでパイゼン家の馬車に乗る。乗ってきたジャックの馬車よりもさらに豪華で、乗り心地が良さそうだった。かなりお金持ちの家らしい。これならわたし一人くらい増えたって、生活は苦しくないだろうと思って心がさらに軽くなる。
ジャックの屋敷に帰らずに、社交界がお開きになったそのままの姿でわたしはパイゼン家に行くことになった。予想よりも早い動きにびっくりしたが、ジャックのもとに置いてきたものなど何もない。
「そんな、こんないきなり行ってしまわれるなんて……」
コレットも最初に比べると、ずいぶん表情が豊かになった。心の準備ができていなかったのだろう。おろおろしている彼女を見て苦笑し、別れを告げた。
「お知り合いの方が見つかってよかったです。……どうか、お元気で」
涙ぐんだコレットがわたしの手をぎゅっと握った。
まさか彼女がこんな反応を見せるとは思わなかったので、驚きやら嬉しさやらで胸がいっぱいになった。
「今まで本当にありがとう。手紙を書くわ」
「お嬢様、文字が書けるので?」
コレットに突っ込まれて、そうだった、人間の文字はまだ書けないんだったと思い出す。
「勉強するわ」
楽しみにしています、と言ってコレットは笑った。
「ジャック」
ジャックに向き合う。これが正真正銘、本当の最後の挨拶だ。
気を引き締めて、わたしは顔いっぱいに、今まででいちばんの笑みを浮かべた。
「今までありがとう。パリに連れてきてくれてありがとう。まさかと思っていたけど、おかげでついに知り合いに会えたわ。ジャックのおかげよ」
「君に会えてよかった。どうか元気で」
ジャックも弱々しいながらも笑みを浮かべた。
わたしには、その表情の意味がわからなかった。
彼もわたしとの別れを寂しく思ってくれてるのかしら。
うん、きっとそうだ。そういうことにしておこう。
わたしを映すエメラルドグリーンの瞳を見ているうちに、切なさがこみ上げてきた。
ああ、本当にこれで最後なんだ。
ジャックと過ごした日々が浮かんでは消えていく。
最初に彼に助けられたこと。体が痛くて死にそうだった。ブリュメールの相談に乗ったこと。お祭りのこと。連れ去られそうだったこともあったし、お祭りでは悲惨な事件が起こった。無理やり肉も食べさせられた。でも、悪いことばかりじゃなかった。彼と過ごした日々が遠のいて、きらきらしたものに変わっていく。人間になったわたしの、最初の思い出たち。
「さあ、リオーナ」
マールムが馬車の上からわたしに手を差し伸べた。
「さようなら、ジャック」
わたしが取った手はマールムのものだ。今までジャックに何度も差し伸べられてきた手は、これからマールムにとってかわる。
ギィ、バタン。
扉が閉じられた音を合図に、わたしはジャックとの生活に終わりを告げた。




