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36 鏡の中のわたし



「本日はお越しいただき、ありがとうございます。今宵はとある姫君のために集まっていただきました。

 バルスロネット付近で倒れているところを見つけ、私が保護いたしました。

 名をリオーナと申します。金の髪に桃色の瞳を持つ美しいご令嬢ですが、記憶をなくし、自分がどこから来たのか覚えていないのです。

 お心当たりのある方は、どうぞ私に声をおかけください――リオーナ」


 ジャックに名前を呼ばれて、わたしは舞台に舞い降りる。




 一時間前。


「うっ……」

「大丈夫ですか?」

 コルセットをきつく締めあげられ、肺から空気が抜けた。たまらずうめく。顔からも血の気が引けていて、今のわたしはすごい顔をしているに違いない。

 わたしの反応をみたコレットが、すぐに、ほんの少しだけコルセットを緩めてくれた。

 ふぅ、とめまいがしながら、わたしはなんとか立っていた。

 これでなんとか呼吸はできそうだ。いつもの何倍も浅いけれど。


 ここはジャックの友達のお城。わたしの家族を探すための夜会が行われることになっていた。

 お城についてすぐ、コレットを筆頭として、初対面のメイドたちに囲まれながら準備に追われた。

 ジャックもネイサンもどこかへ行ってしまい、コレットはわたしの知らないメイドたちと見事なチームワークでわたしを着飾っていた。わたしは目を回しながらされるがままにされていた。


 今日着せられたドレスは、今までで一番豪華なものだった。胸元は大きく開き、その余剰を埋めるかのように大ぶりの宝石の首飾りがかけられる。もちろん宝石はドレスにも縫い付けられ、腕飾りにもティアラにも施されていた。ドレスに袖がないぶん、二の腕まである長い総レースの赤い手袋をはめる。スカートはふんわりと広がり、足元が見えない。


 真っ赤なドレスだった。見立てたのは誰だろう。ジャックかしら。

 似たような色のドレスを一度着たことがあった。ジャックの屋敷で、晩餐会をした時だった。


「本当にこれでいいの?」

「ええ、もちろん。とてもよくお似合いですわ。こちらに鏡がございます」

 用意が終わり、そわそわしたわたしの手をコレットが引く。


 靴もいつもと勝手が違って、気を抜いたらこけてしまいそうだ。

 なんとか鏡の前に立ち、それを見たときまず思ったのは、

「あれは誰?」

 だった。そして次に、

「これが鏡?」


 わたしの知っている鏡は水鏡しかなかった。そういえば、人間の姿を自分で見るのはこれが初めてかもしれない。

 いや、違う、問題はそこじゃない。鏡の大きさだ。鏡はわたしの全身を映してもなお余りある大きさだった。右手を振ると、赤いドレスを着た向こう側の彼女も同じようにして手を振った。

 そこでやっと、向こうの彼女がわたし自身だということに気がつく。

「これが……わたし?」


 鏡の中にいる女性は、わたしの知っている自分ではなかった。

 ドレスと、髪形と、あとは化粧のせいだ。

 こんな自分、見たことがない。

 妖精だから、自分が他の人間よりも美しいことは自覚していた。だけど、これじゃ……違いすぎる。

 わたしは鏡の中の自分を見て、うっとりとため息をついた。

 妖精は、美しいものが好きなのだ。


「本当にお美しくいらっしゃいます」

 なぜかコレットが鏡の中で涙ぐんでいた。

「お嬢様を手放すなど、ご主人様も愚かな真似をするものです」

 目元にハンカチを当てながら、コレットがこぼす。


 ジャック。

 彼と最後に心の底からの笑顔で会話したのは、一体いつなんだろう。

 すべては、彼がわたしに無理やり肉を食べさせたからこんなことになってしまったのだ。あの出来事さえなければ――

 そこでわたしはジャックの唇の、舌の感触を思い出す。

 わたしの、初めてのキス。


 一瞬彼方に想いを馳せ、わたしはすぐにはっと我に返った。


 あっ、ええと、そう。今何を考えていたっけ? 意識が一瞬逸れてしまった。

 そうだ、あの出来事さえなければ、わたしとジャックは良好な関係のままいられたのに。


 そのまま「もしも」の妄想を続ける。

 もしもジャックとあのままの関係でいられたなら、今日わたしを引き受けると言ってくれる家がなくても安心してジャックのところに留まれた。というか、知らない人の家に行くよりも、ジャックのところにいたかった。ジャックと二人で、あの屋敷で、コレットとネイサンと、お母さまと一緒に暮らせたのに。ジャックもそう言ってくれたのに――。


「そろそろ時間ですよ」

「ええ」


 そんなのは幻想でしかなかった。

 わたしはこれから、ジャック以外の誰かを選びに行くのだ。


 もう一度化粧を直してもらい、コレットの手を借りながらジャックのもとへ、そしてわたしの舞台へと歩き出す。


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