32 お祭り6
わたしは不安で、口を開かずにはいられなかった。
「ジャック……あの家のこと……」
「自警団に話をつけて向かわせるよ。何もないとは思うがね」
彼の言葉にほっとすると同時に、その中に含まれた冷たいものを感じ取る。怒っているのだ。
わたしはつぶやくように感謝を伝えた。
人々のざわめきをどこか遠くに聞きながら歩くことで、気持ちが落ち着いてくる。
とりあえずあの家に向かおうとしたのはいいが、わたしが一人で行ってもなにもできなかったことに気がつく。
わたしも、オルトゥスも、ブリュメールも、誰一人として力を持っていなかった。
なにもできないのが悔しい。わたしよりずっと敏感に悪を感じとっている妖精の二人は、もっと歯がゆい思いをしているに違いない。
「君は妖精じゃない。人間だ」
わたしの頭の中を読んだような、まるで正体を知っているかのような突然の言葉に、わたしは足をもつれさせかけた。
「それってどういう意味?」
ジャックがわざわざ足を止め、わたしたちは向かい合った。
「言葉通りだ。妖精のことは妖精に任せておけ。君が彼らの問題に対処する必要はない」
わたしはむっとした。
言い返したいのをぐっとこらえる。言い返せば、わたしが妖精だと肯定することになる。彼がそれを信じるか、単なる妖精に加担する変な女だと思うかは、分からないが。
屋敷に向かっているはずなのに、なぜだか大通りには出なかった。
みんながお祭りに出払っているため、住宅街は恐ろしく静かだった。
口を開けないほどの重い静寂と、彼と話したくないという気持ちで、黙ったまま足を動かす。
気まずい思いはあったが、ジャックと仲直りしたいとも思わない。かといって、このままずっと黙ったままなのかなと思った時、口を開いたのは彼の方だった。
わたしの前を歩く彼の背中が話し出す。
「ごめんよ、リオーナ」
なにを謝っているのやら。
わたしは彼の後ろで唇をまげた。
ジャックが謝ることは、たくさんありそうだけど。
「あの時、無理やり肉を食べさせたことも無理やり口づけしたことも、もう一度きちんと謝らせてくれ」
わたしは何の言葉も返せなかった。
どちらもショックが大きすぎる出来事だった。ごめんで済まされるようなことではない。
「手荒な真似をしたと思うし、本当に申し訳なく思っている。しかし、一つだけ言い訳させてもらえるのなら、どれも君のためだということだ」
「わたしのためって、そればっかり」
こらえきれなくなって、わたしは静寂を破った。
「わたしのためなら、なにをしても許されると思っているの?」
違う、本当はこんなことを言いたかったんじゃない。
ジャックがわたしのことを心配してくれているのは、よくわかる。ジャックに生かされている身で、栄養失調で死んでもいいとか、わがままもいいところだ。わたしの命はジャックの手の中にあるのだから。
わたしが妖精界を追放された時から今まで、生きてこられたのはジャックのおかげだ。それは痛いほどよくわかっていた。
でも、わたしの中には妖精のプライドは生きているのだ。どうやっても許せないこともある。肉のことも、今「妖精じゃない」と言われたこともそうだ。だから、ジャックに言い返す言葉は棘を帯びてしまう。
「君のことが大切なんだ、リオーナ」
「大切? それって、わたしがどこかの貴族の令嬢かもしれないからでしょ」
彼に向かっていったはずの言葉の棘が、自分の胸に返ってくる。
そうだ、大切なのはわたしじゃない。わたしを救ったという事実に価値があるからそうしているだけだ。まだ見ぬわたしのお金持ちの両親に恩を売ろうって魂胆だ。そうでなきゃ、わたしみたいな生意気な子どもをの面倒を見たりなんかしない。
ジャックが勢いよく振り向いた。またさっきの、痛そうな、辛そうな目をしていた。
「違う。君が君だから大切なんだ」
「……わからないわ」
いいえ、心のどこかではわかっていた。
でもわかっちゃダメな気がして、わたしは彼から目を逸らした。
わたしの反応に、ジャックはより一層悲痛な顔になり、傷ついた素振りを見せた。それを見るのがまた苦しくて、わたしは目をつむる。
ごめんなさい、そんなことが言いたいんじゃないの。
ジャックが心配してくれていること、わかってる。わかってるし、感謝もしてる。だからそんな顔しないで……。
わたしたちの手は、ゆるりと繋がれたままだった。彼の二歩ほど後ろを大人しく歩いて、屋敷へ向かう。
満月が煌々と輝き、二つ向こうの大通りから光がもれている。
それとはどこか別世界のような、わたしとジャック二人だけの世界。
森の方から、狼の遠吠えが聞こえた。
「明後日、パリに向けて出発しよう」
「明後日!?」
ふいに告げられた言葉に、わたしは驚いてまた立ち止まった。
「ああ、明後日だ。君ももう旅ができるくらいには回復しただろう。仕事はすぐに終わったし、もともと元気になり次第すぐにパリに戻る予定だった。この祭りを見せたくて待っていただけなんだ。もう馬車の準備もできている」
パリ行きがこんなに早いなんて思っていなかった。まだあと数ヶ月先のような気がしていたので、全く心の準備ができていなかった。
わたしの慌てる様子を長旅への心配だと捉えたのか、ジャックがコレットも連れて行くと告げた。
コレットはジャック付きではなく、ジャックのお母さま付きのメイドだったはずだ。
「お母さまは?」
「しばらく、一人になるが、仕方がない」
「そう……」
それで会話は終わった。
明後日。明後日……。
呆然としたわたしは、無言のまま足を動かして、気が付けば屋敷についていた。
ジャックに続いて屋敷に入ると、「一人にならないでください!」とコレットに抱きつき、叱られた。
落ち込んでいるわたしの様子が、彼女と離れる前と違ったので、すぐに解放されたが。




