29 お祭り3
コレットは何事もなかったのように道を歩き始める。
左右から商品を売りつけようとするたくさんの声が掛かる。ちょうど喉が渇いたこともあって、すぐ右手に出ていた露店で飲み物を買ってみた。
「おじさん、これを一つ」
「おっ、領主様んとこの子じゃねぇか! 金? いっつも世話になってるからなぁ、いらねぇよ!」
同じような状態でジャックはいつもこんな申し出を断っていることを思い出す。どうしたものかと困っていると、コレットが「わたしにもそれを。そういうわけにもいきませんよ」と言って、二人分の代金を台に置いた。
受け取ったコップを口に持っていく。中身は、なんだか爽やかだけど、甘みのないリンゴジュースだった。
同じようにそれを飲んだコレットが叫んだ。
「お嬢様、これお酒です!」
「お酒?」
きょとんとコップの中身を見た。見た目はリンゴジュースにしか見えない。色も味も、どう見てもワインではない。わたしはワインしか飲んだことがなかったので、お酒だとは全く気が付かなかった。
言われてみれば、確かに気分がいいような気がする。でもこれを飲む前から、陽気な気分ではあったし、何が変わったとも思えない。コレットいわく酒だというそれはワインより飲みやすく、喉が渇いていたわたしはあっという間に飲み干してしまった。
「お嬢様! ああ、なんてこと……ご主人様にお酒は飲ませるなと言われていたのに……」
コレットが悲鳴を上げて、両手で顔を覆った。ジャックの命令に背いてしまったからだろうか。そんな世界の終わりのような顔をしなくてもいいのに。
「ジャックがなあに?」
そういえば、初めてワインを飲んだとき、ジャックの前で眠ってしまったような気もする。それを心配されたのだろうか。でもまさか、こんなところで歩きながら寝るようなことはないに決まっている。
「とにかく、これ以上お酒は飲まないでください!」
眉を吊り上げて怒るコレット。彼女のコップは空になっていない。しらふだ。
いいことを思いついた。
わたしはそれを取り上げて、コップを仰いで中身を空にした。
「お嬢様……!」
「コレットも飲みましょうよ」
わたしはにっこり笑って、空になったコップ二つを近くにあった回収箱に入れた。わたしの妖精時代からのいたずら心のなせるわざだ。
それを見るコレットは半泣きだった。
わたし、別に酔ったって何もしでかさないのに、何をそんなに気にしているんだろう。
飢えも乾きもおさまったところで、ちょうど広場に出た。ここは屋台というより見せ物が多かった。
『その胸に抱くは、至高の瑠璃色の花。神の力を借りた騎士の英雄譚――』
調子のついた声が朗々と広場じゅうに響いた。
すごい。叫んだわけでもないのに、お祭りの喧噪の中、しっかりと耳に届いた。その声をとらえたのはわたしだけではなく、周りの人たちもそうらしい。
わたしたちの足は自然とその声の出所に向かった。
広場のど真ん中、一番いい場所に木組みの舞台が組まれていた。
「『ユースガルト』ですね」
コレットが邪魔にならないよう、小声でささやいた。
吟遊詩人の歌が元になった芝居だそうだ。
「騎士ってなに?」
わたしの問いに、首をひねりながらコレットが答える。
「うーん、お姫様を守る男の人のことですよ」
「ならジャックはわたしの騎士ね」
話は、騎士とお姫様が出会って、お互い恋に落ちるという恋物語。お姫様が夜明けのような紫がかった色の髪をしていたので、『瑠璃色の花』らしい。恋に落ちたはいいが、お姫様には婚約者がいた。しかしその嫁ぎ先の貴族がひどい男で、お姫様がどんな仕打ちを受けているのか知った騎士が、城に乗りこんで悪い男を倒し、最後にお姫様と結ばれるのだ。
『おのれ、オーヴェルニュ公、許さぬ!』
姫が幽閉された城に乗り込む場面では、盛り上がりが絶頂に達した。
「いいぞ! やっちまえ!」
「この腐れ野郎め!」
騎士には応援の言葉が、悪者貴族には罵倒の言葉が浴びせかけられる。
わたしはそれで、前に妖精の子どもたちにひどいことを言われたのを思い出して、嫌な気分になった。
芝居は大詰めを迎えようとしていたが、そっと一人で人混みから抜け出して、後半は遠巻きにして見た。
貴族が倒され、姫と騎士が抱き合って芝居が終わった。
わたしを探してきょろきょろとあたりを見回すコレットに手を振り合図する。
「勝手にどこかいかないでくださいよ」
コレットがわたしを責めた。でも、目を離した、というか芝居に釘付けだったのはコレットの方だ。
「あんまり熱心に見ていたから、ね。面白かった?」
彼女は少し頬を赤らめて、小さい声で「はい」と言った。素敵な恋愛を夢見るのは女の子として当然のことで、何も恥じることなんてないのに。
次なる娯楽を求め、小さく流れてきた旋律に耳を傾けて、広場の別な場所に構えた演奏を聞きに行く。弦楽器と管楽器からなる計十人ほどの、この辺りではめったに見ることのできない大楽団だ。一人、二人という演奏者はたまに見かけるが、この人数はまず見られない。わたしも見たのは初めてだった。
楽器十本分が重なった旋律は、それだけで雰囲気が出てすごい演奏のように聞こえる。確かに綺麗だ。楽団の周りを取り囲むように、町の人たちが演奏を聞いている。
だが、わたしの耳はごまかせない。
綺麗な気がするけど、少し耳をすませばすぐにわかる。一人一人の技術が不足している。
これなら、前にジャックと見た、みすぼらしい身なりながらも素晴らしい技量を持った奏者のほうが、ずっと上手だ。
すぐに演奏に飽きたわたしは、次の場所を求めて歩き出す。
「お嬢様! もう演奏はよろしいのですか?」
「前にもっと腕のいい人に会ったの」
一足遅れたコレットに、なにか飲み物を買ってくるように頼む。
「ですが、お嬢様……」
コレットが躊躇する。わたしは彼女を安心させるように笑顔を作ってみせた。
「ここで待っておくから」
「絶対ですよ」
険しい顔で釘を刺し、何度も振り向きながらわたしから離れていった。
疲れたから待っているわ、という風にベンチに腰掛け、にこにこと手を振って見送る。
人混みの中に彼女がまぎれるのを見届けて、わたしは立ち上がった。コレットとは逆方向に歩き出す。
わたしの姿はすぐに人混みに紛れ、ありふれた町娘と区別がつかなくなった。
ドレスは周囲の少女たちと同じ流行に乗った型で、この町の中で着ていても目立たない地味な色をしていたので、簡単なことだった。昼間と同じくらい明るい町では、屋敷を出るときにはぐれそうだと心配していたコレットの全身黒のスタイルの方が、目立ち具合ではずっと上だ。
やっと一人きりになれた。
わたしは上手くコレットと離れられたことに、安堵のため息をついた。




