28 お祭り2
領主であるジャックの屋敷は、広大な敷地をもって町の中心にある。
それはつまり、頑丈な門を出たすぐそこは町一番の大通りだということだった。
その光景を見たわたしは息を呑んだ。
すっかり花の季節に入ったバルスロネットは、だんだん夜が短くなり始めていた。日が暮れたのは、眠りの季節なら真っ暗な時間帯になってからだった。
満月が煌々と町を照らしていた。
ううん、今日だけは月だけじゃない。人々の掲げるたいまつが、町全体を照らしているようだった。
暑い。それは季節のせいだけではない。たいまつの火のせいででもない。人々の熱気だ。
客引きの声がわたしの耳をいっぱいにする。
「甘いチーズから辛いチーズまで取り揃えています! おつまみにいかがですか!」
「ワイン一杯3ディレイト! おっと、そこの兄ちゃん!」
「アンタ町の外のもんだね? バルスロネット特産の――」
「干した果実はいかがかな! 東から苦労して持って来たもんだよ。奥さん、見るのは初めてかい――」
町の中で見たことのある人も、そうでない人もいる。
たぶん、最後の声は町の外から来た人だ。ちょっとだけ発音がおかしかった。普段は別の言葉を喋っているのかもしれない。
「すごいわね、コレット!」
「そうでしょう、お嬢様」
感激して叫んだわたしに、コレットが得意げに胸を張った。
そうか、コレットも、ジャックの町が好きなんだ。
人々の熱気に若干及び腰になりながら、わたしは通りに出る。
こんなにたくさんの人間を見るのは初めてだったし、異様な熱気が少し怖かった。みんなして声が大きいから、耳をふさぎたくなってしまう。
対して、コレットは慣れた様子で余裕があるようだ。ジャックの家に仕える身として、始めて見る光景ではないのだろう。
領主の屋敷から出てきたわたしたちにも、今日はあまり視線が集まらない。みんな自分が楽しむので精いっぱいで、他人のことなんて気にしていないのだ。
ジャックにあんな反応をされて、ドレスの丈が気になっていたけれど、その心配は杞憂に終わった。コレットが流行りだと言ったのは事実らしい。特に今日はお祭りでみんなはしゃいでいるので、いつもの慎ましい恰好を脱ぎ捨てて、流行の短いドレス姿でいる女性は少なくなかった。
道を歩いていると、次第に町の熱気に当てられてくる。
うるさいと思っていた声にも少しずつ慣れてくる。祭りの雰囲気は彼らの声からできていた。
たくさんの人がいることに驚いたけど、揃ってみんな楽しそうなのもすごい。
例えば、わたしと同じくらいの年頃の少女たち。一見して仲がいいと分かる三人組。おそろいの流行のドレスに身を包んだその姿は姉妹のようだ。何かを頬張りながら、声を上げて笑いながらわたしとすれ違った。
例えば、仲睦まじく微笑み合う一組の男女。露店を指さして何か言う男。それに耳を傾けて、話の内容に笑う女。ワインが入ったコップを片手に、彼らはわたしたちの前をゆっくりと歩いていた。
楽しそうな彼らの笑い声が、わけもなくこちらも楽しい気分にさせる。
それに、いつものように、誰もわたしを「ジャックの屋敷に匿われたどこかの令嬢」だという目で注目したりなんかもしない。
なんだか本当の町の一員になったみたい。
屋敷を出た瞬間とは一変して、すっかり気分が高揚していた。
こんなの初めて。
こんな空気、こんな気持ち、初めて!
非日常にすっかり酔ったわたしは、ドレスの裾をひるがえしながら踊るように人込みに紛れる。
「お嬢様、はぐれてしまいます!」
「大丈夫よ!」
だってこの町の人は、優しい人ばかりだもの。
コレットにお金をもらって色々なものを買い、コレットと半分ずつ楽しんだ。
まずは夕食。屋台で出ているのはどれも少量だったがそのぶん安く、色々な種類のものを食べることができた。トマトのパイ、満月粥と銘打った卵の入った粥。「チョコレート」という味のケーキも。
それから香水。可愛らしい小さいボトル、同じ匂いのものを二つ。もちろん妖精避けなんかじゃない。
「ご主人様にですか?」
コレットがわたしの手の中にあるそれを見て、目元を緩ませて聞いた。
「違うわよ。あなたのぶん」
笑って、買ったばかりの香水瓶をコレットに渡した。
「え……」
コレットが信じられないという風に、自分のものになったそれを見た。
お祭りに参加している人はみんな二人以上でいた。誰も彼も、仲が良さそうだった。わたしもコレットとそんな風になりたいと思ったのだ。
「あなたとわたしで、おそろいよ。ジャックがこんな匂いをつけていたら、嫌でしょう」
言いながら、香水を自分の体に振りかけた。甘い花の匂いがわたしを包む。そのくせ、なんだかわたしには分不相応な感じのする大人っぽい香りだ。一体なにに例えればいいのだろう。自然の匂いじゃない。何か混ぜ物がされている。でも、悪くない。
「わたしよりコレットの方が似合うかもね、この香り」
「そんな……ありがとうございます」
心底恐縮している様子でコレットに礼を言われたが、わたしはあることに気が付いてしまう。
「あっ、でもこれ、コレットのお金だわ。ごめんなさい」
コレットが首を振る。
「いいんです。お嬢様にこんな贈り物をいただけるなんて……嬉しいです」
「そんな、これくらいで」
とわたしはまた笑い飛ばしたが、自分がこの町に来た頃、コレットにどんな態度で接していたのかを思い出した。
あの頃は人間世界に放り込まれた身を嘆いていた。生きるためには人間の厄介になるしかなかった。そんな自分が嫌だったし、無防備なわたしの身をどうとでもできる人間たちが憎かった。
自分より下に見ていたものに世話をされるのが嫌で、コレットには冷たく当たってしまっていた。
それと比べたら、コレットと仲良く話せるというこの状況は奇跡のようなものだった。彼女が感激するのも無理はないのだ。
「その、あの頃は……ごめんなさい」
そんな脈絡のない謝罪に、コレットは目をぱちくりとさせ、微笑んだ。
「いえ、いいんですよ」
そう言って、許してくれた。
でも今の言葉だけで、わたしの言いたいことが分かったのだ。
「あの頃」が出会ったばかりのころを指していることを悟り、わたしの謝罪を受け入れた。それはつまり、コレットはわたしのあの態度に少なからず思うところがあったということ。わたしはやはり、謝らなければいけないことをしていたということだ。
身の回りの世話をしてくれたのに感謝もせず一方的に冷たくしておいて、相手が自分に害を与えないことが分かってやっと、それを撤回した。
最低だ。自分勝手すぎる。
顔を曇らせたわたしに、コレットは優しく語りかけた。
「いきなり知らない家に連れてこられて、周りも知らない人ばかりで……仕方がなかったと思います。もう気にしていませんよ」
やっぱり、前は気にしてたんだ。そりゃそうだよね。わたしだって、初対面の人にわけもわからず冷たくされたらショックを受けるに決まっている。
「お嬢様、そんな顔をしないでください」
「だって……」
「せっかくのお祭りにふさわしくない顔をしていますよ」
コレットが茶化すように言った。
「わたしのことは気にしないでください。今こうしてお嬢様が心を開いてくださっていて、それだけでわたしは嬉しいです。それに、お嬢様はご主人様の心の支えです」
「わたしが? ジャックの?」
驚いて声を大きくしたわたしに、コレットは真面目な顔でうなずいた。
「お二人には仲睦まじくいてほしいです」
あの日、わたしの心は深く傷ついた。あんなことをされたあとで、仲良くなんて……。
視線を足元にやって返事を渋ったわたしを見て、コレットは寂しそうな顔をしていた。
それを見てわたしはまた、なぜか心がざわついた。
……コレットもジャックのことが好きなのかしら。




