26 妖精のやめ方
「リオーナ、わがままを言わないでくれ。肉を……」
「嫌よ!」
わたしは金切り声を上げて、ジャックの手を払った。
「動物の肉なんて、死んでも食べない!」
「このままだと本当に死んでしまうよ」
「構わ ないわ!」
コレットがはらはらした様子でわたしとジャックを交互に見ていた。
「リオーナ、お願いだ」
「絶対に嫌」
息を荒げながらジャックをにらみつける。
動物の肉を食べるなんて、絶対に嫌。そんなこと、許されるわけがない。
わたしの両目に宿る決意の炎を見て、ジャックは引き下がった。
「明日は食べるんだよ」
「いらないわ」
いくらジャックでも、なにを言われようがわたしは絶対に食べない。
それに、今まで肉なんて食べなくても生きてこられた。今更肉が必要だなんて、そんなことあるはずがない。医者の間違いに決まってる。これはただの風邪。あと数日もすれば治るんだから。
それからさらに数日経っても、症状は悪くなる一方だった。体を起こしているのもしんどくて、ずっと臥せったまま。毎日ジャックはわたしについて、肉を食べろと説得するけど、食欲がない上に肉を食べろだなんて言われて、わたしはジャックの顔も見たくなかった。
「出て行って」
そう言うと、ジャックは苦しんでいるように眉をひそめて、わたしを見る。
「リオーナ、このままでは……」
「いいの!」
自分の体力が、どんどん衰えていっているのは分かっていた。
このままだと、本当に死んでしまうのかもしれない――でも、肉は……動物の肉だけは口にしたくなかった。
「次の満月、祭りがあるんだ」
「お祭り?」
突然何を言い出すのか。わたしは息を切らしながら返事した。先ほど域を荒らげたせいだ。もう話すのも億劫だった。
わたしがきちんと反応したことにジャックは安心したようだった。彼の口からするすると言葉が出てくる。
「ああ。この町のお祭りさ。始まるのは日が暮れてからだよ。露店が出て、町の人全員が参加するから、夜なのににぎやかなんだ。みんなその祭りに向けて、新しいメニューを開発したり、祭り用の商品を作ったりして、その日だけはいつもとは違った町になるんだ」
わたしはぼうっとした頭でその様子を想像してみた。
夜、満月に照らされるジャックの町。いつもはしないようなこぎれいな服装を着て、露店で見たことのない料理を食べる人々。たいまつがたくさん掲げられて、どこも明るい夜の町。
「……綺麗ね」
ぽつりとつぶやいた。
「ああ、綺麗だ。君に見てほしいよ。だから早く元気になってくれ」
「……そうね」
わたしの素っ気ない返事に、一転ジャックは悲しそうな顔になって、部屋を出て行った。
次の満月って、何日後だったっけ。
昼も夜も関係なく寝ているから、月なんてしばらく見ていなかった。
『リオーナ! どうしたの!?』
「あら、オルトゥス……久しぶりじゃない」
開け放った窓から入ってきたのは、オルトゥスだった。緑の鱗粉がきらめく。
『久しぶり……って、そうじゃないよ! リオーナ、その様子……』
彼は、見ただけでわかるのだ。わたしが今どんな状態なのか。
「オルトゥスには、今のわたしはどんなふうに見える? 死にかけ?」
なんてことを聞いているんだろう、と思って、わたしは笑ってしまった。
『笑いごとじゃないよ! ちゃんとご飯は食べてるの!?』
「もう食欲もないの」
『食べないとだめだ!』
弱々しく微笑んだわたしにオルトゥスが噛み付く。
ジャックみたいなことを言うのね、オルトゥス。
「あのね、肉を食べたら、治るんですって」
『肉……? 肉って、動物の肉?』
オルトゥスが虚を突かれた顔をした。何を言っているのか分からないという顔だ。それがまたおかしくて、笑ってしまう。空咳が出た。
「……っ、そうよ。動物の肉」
『そんな……』
ショックを受けている様子だった。その顔を見て、やっぱりこれが普通の反応なんだ、と分かって、安心して涙がぽろりとこぼれた。
わたしは間違ってなんかなかった。
『リオーナ!?』
「やっぱり、肉なんて食べられないよね」
ジャックもコレットも、みんなが肉を食べろと迫ってくるのだ。かたくなに拒んでいる自分が正しいのか、分からなくなっていた。
『でも、食べないとリオーナは死んじゃうんでしょ?』
オルトゥスが案じてくれているのが分かる。けれど同時に、わたしは裏切られたような気がした。
「わたしは……食べない」
『どうして!』
「妖精は動物の肉なんて食べないからよ!」
オルトゥスにまで肉を食べろなんて言われたら、どうしていいのかわからなくなってしまう。お前はもう妖精じゃない、人間だと切り捨てられた気分になる。
「だから……わたしは絶対に食べないわ……」
『リオーナ……』
「オルトゥスまで肉を食べろだなんて、言わないで……」
言いながら、わたしは泣いていた。
鼻をすすった時、扉が開けられてジャックが入ってきた。さっと羽ばたいて、オルトゥスはどこかに行ってしまった。
「リオーナ?」
泣いているわたしを見て、ジャックが心配する。その手には、腸に肉が詰められたもの――ソーセージの乗った、お皿。
それを見た瞬間、わたしは頭から布団をかぶった。
「リオーナ、今日こそ食べるんだ」
「嫌! 絶対に嫌!」
声が布団の中でくぐもった。
「リオーナ!」
ジャックが激しく名前を呼び、次の瞬間、布団が引きはがされた。
「ジャック……何をするの……」
逃げようにも、ここはベッドの上だ。逃げ場などない。
「さあ、食べるんだ」
「嫌だって言っているでしょう」
「このままだと死ぬぞ」
「死んでもいいわ!」
わたしは叫んだ。死ぬのも怖いけど、妖精としてのわたしが死ぬのが嫌だった。
ジャックがわたしにのしかかり、恐ろしい形相で迫ってくる。
「やめて!」
ベッドの上で後ずさると、頭はすぐ上の壁にぶつかった。口をふさごうにも、両腕はジャックに押さえつけられていた。
「やめて……」
ジャックが怖い。肉は食べたくない。人間になりたくない。妖精でいたい。
泣いて怯えていると、安心させようとジャックが表情をやわらげた。
「君のためなんだ。食べてくれ」
「離してちょうだい……」
「君が食べるまで離さない」
疲れ切った目で、ジャックを見上げる。こんな状態にあってもなおわたしは、彼の真剣な顔に向かってせせら笑った。
「無駄よ。わたし、こうしてあなたの下で死ぬのね」
「黙れ!」
ジャックがものすごい力で腕を握りしめた。
「ジャック……!」
口から悲鳴が漏れた。
痛い。
あの日、ジャックと初めて町に行ったとき、連れ去られかけたことを思い出す。
怖い。あの時の男も、ジャックも。
「やめて、ジャック」
「君が食べないと言うのなら、こうしよう」
ジャックがソーセージを掴んだ。わたしの口にねじ込むつもりだ。唇を固く閉ざす。
何があっても口を開かないわ。
彼はそれを見て、ソーセージを自分の口に持って行った。
なんのつもり?
そう思ったのは一瞬のことだった。
ジャックがソーセージを口に含んだまま、わたしに口づけた。
あっと思い、固く閉ざされていた唇が、驚きで一瞬開く。
ジャックはその隙を見逃さず、わたしの口内に、彼に咀嚼されたソーセージが入ってきた。
ジャックの口内にあったソーセージ。生暖かくて気持ち悪い。
わたしの唾液に、肉独特の味が溶ける。
食べたくない、食べたくない。
目尻から涙が滲み出た。
ジャックから逃げようとするわたしの思いとは裏腹に、彼は唇で、後頭部と腰に回された腕で、わたしを掴んで離さない。
やめてジャック、やめて。やめて……。
彼の舌がわたしの中を侵し、肉塊になり果てたソーセージが口の中で泳ぐ。
飲み込んだら終わりだ。
でも、口の中いっぱいに広がる肉はかぐわしく、唾液が次から次へと出てくる。
こんな状況にあって、動物の肉を美味しいと思ってしまう自分が嫌だった。
何が何でも、飲み込んだりしない。絶対にこのまま耐え抜いて、吐き出してやる。
そう思っていたのに、息苦しさについに耐えきれなくなったわたしは、ごくんと喉を動かしてソーセージを飲み込んでしまった。
「食べたな?」
ジャックが顔を離して、わたしの顔を見た。
彼の瞳に、絶望に染まったわたしの顔が映っていた。
「……離して」
声が震えていた。
早く吐き出さないと。
「だめだ」
ジャックが言い放ち、もう一切れを口に含んで、同じように口づけた。
抵抗する暇もなく、わたしは彼に押し込まれるままにソーセージを飲み込んだ。
「やめて……」
わたしは手で顔を覆った。
吐きそうだったし、吐きたかった。
わたしはもう、妖精じゃない。人間になってしまった。肉を食べる、野蛮で、忌まわしい人間に。もうかえれない。
「全部食べ終わるまでだ」
ジャックの冷酷な声が告げる。
皿の上には、まだ三本も残っていた。
「自分で食べられるから、もう離して……」
か細い声で頼んでも、彼は信用ならないなと言って最後までその行為を続けた。
地獄のような時間が過ぎた。
やっとジャックに解放された時、わたしは身も心も擦り切れてしまっていた。
すすり泣くわたしを見て、ジャックが「すまない」と頬を撫でた。
振り払う元気もなかった。




