23 妖精よけの効かない妖精
体調不良のため、更新が滞ってしまいました。申し訳ありません。お待たせしました。
屋敷にもすっかりなじんだある日、ジャックが町へ連れ出した。
「今日はどこに行くの?」
コレットと買い出しに行くことはあったけど、ジャックと一緒に町へ出るのは初めてだ。腕をとるジャックを上目づかいで見つめると、彼は微笑んで教えてくれた。
「妖精のいたずらに困っている家があってね。他の家は、母上の作った妖精避けの香のおかげで、あらかた片付いたのだけどね」
お母さまが持っていたあの匂い袋を思い出す。あんなものを嗅いだら、たまったものじゃない。妖精たちが気の毒になったけど、わたしがあの臭いで撃退される前に人間になってよかったな、と思った。だって、それほどひどい匂いなんだもの。
「その香でも、妖精のいたずらが収まらない――どころか、逆にひどくなる始末でね」
なるほど、とわたしはあいづちを打った。その妖精の気持ちはよくわかる。わたしだって、妖精避けで撃退されて、おとなしくしている柄じゃない。
「私ひとりじゃどうしようもないので、君を連れ出したわけだ。だめだったかい?」
まさか。そんなわけがない。
わたしは久しぶりにジャックと一緒にいられて、嬉しかった。わたしが屋敷での生活に慣れると、ジャックは本来の仕事である、この地域の統治を始めたのである。その間わたしは、コレットと二人、たまにオルトゥスがついて日々を過ごしていたのだ。
「ジャックと町へ出かけるなんて、最初のあの時以来ね」
「そうだね。君はすっかりこの町にもなじんでしまったようだ」
「そうかしら」
わたしはふふふと鈴を転がすように笑った。
今の生活に満足していた。町の人はみんな優しかった。ジャックがかくまっている年頃の娘として認識されている。
「あら、領主様だわ」
「リオーナ様も」
こうして、広場に出ると町に人たちに声をかけられるのだ。
「やあ。麦の実りはどうだい?」
「おかげさまで例年通りです」
「それはよかった。もっと取れればいいのだが、減らないよりかはいい」
「また卵をお持ちしますね」
女の申し出をジャックが慌てて断っている。
この町は、決して裕福な町ではないのだ。みんな優しい統治者であるジャックに恩義を抱いていてそれを形にしようとするのだが、そんなことをすれば彼女たちの生活が厳しくなるのは明白だ。領主という身分でただでさえ裕福な生活をしているわたしたちが、町に人から必要以上に搾取するような真似はできない。
残念そうな顔で、女たちが離れて行った。
「この町の人たちって、優しいわね」
わたしはつぶやいた。妖精だったころとは全く違う認識だった。あの頃は、人間って馬鹿で愚かな生き物だと思っていた。動物を食べるし、すぐに怒ったりすぐに泣いたり、見ていて面白いけど、決して関わりたくはない相手。
でも、気が付いたのだ。
人間だって愚かなりに生きているのだ。人間として暮らしていて、少しずつ人間の気持ちがわかってくる。思ったことを口にせず、時によれば自分の思いとは全く逆のことを口にする、ひねくれた生き物。最初はやっていられないと思っていたけど、それが人間の生き方なのだ。
ジャックは優しい。コレットも、最初は嫌いだったけど、わたしが冷たい仕打ちをしても嫌がらずに面倒を見てくれた。それがだんだん、彼女の好意から来ていることがだんだんわかってきた。細い目で、目つきは鋭いけど、コレットは悪い人間じゃなかった。
「この町のこと、好きになってくれたかい?」
もちろん、とわたしは頷いた。
もう、花の季節だった。
わたしは鼻いっぱいに町の空気を吸い込む。
パンの焼ける香ばしい、いい匂い。道をなす土と人々の体臭が混ざり合った、この町の匂い。
ジャックの町の匂い。
眠りの季節が終わって、空気はあたたかい。
広場を通ったとき、ちらと片隅を見やった。
「あの楽器の演奏者はいないのね」
初めてジャックとこの町を歩いたときに、広場の隅で知らない楽器を達人の腕で弾きこなしていた女。
「え? ああ。あの時の」
ジャックも彼女を覚えていたことがわかって、顔がほころぶ。ジャックとの思い出だ。
「きっと色々な町を転々としているんだよ。あの腕なら、いつかパリで出会うかもしれないな」
「わたしもそう思うわ」
ジャックと、パリ。
わたしはまだ見ぬ都会へ思いを馳せる。
最初は嫌だったけれど、最近は少し楽しみにさえ思う。ジャックとひと旅行、くらいの気分だ。
それに、ジャックがことあるごとにパリの豪華さ、きらびやかさ、素晴らしさなどを語るので、わたしも興味が出てきたのだ。
どんなところなのかしら。
想像しようとしても、どうやってもこの町に似てしまう。それに、ジャックの屋敷より豪華な屋敷なんて、無理、想像がつかない。だって、妖精の王様のお城よりもジャックの屋敷のほうが素晴らしかったのに。
「ついた。この家だ」
ジャックが足を止めたのは、何の変哲もない、両隣の家とどこが違うのかわからない、特徴のないどこにでもあるような家だった。
扉を叩いた瞬間、中から開かれる。
「お待ちしておりました、領主様」
出迎えたのは恰幅のいい女性だった。早々中に案内されて、わたしは人知れず鼻を覆った。
この匂い……妖精避けかしら?
ジャックと相談者の女性は様子を変えない。
やっぱり、わたししか感じていないみたい。
鼻を覆うのをやめて、平気なふりをする。臭いけど、我慢できないほどじゃない。と言いながらも、極力息を吸わないように、息を詰める。
「こちらです。息子の部屋が……」
息子の部屋とやらに入ると、臭いは一層きつくなった。我慢できずに、鼻をつまむ。ジャックの後ろにいるので、彼が振り向かない限り見とがめられることはない。
「これは……ひどいですね」
ジャックが言ったのは、臭いのことではない。部屋の惨状だった。
物入れの引き出しが全て開けられ、その中も物が荒らされている。布団はところどころ破れ、中から綿が出ていて、窓ガラスにはひびが入っている。典型的な、妖精のいたずらだ。
「妖精避けを置いても、毎日こうなるんです。息子は毎朝仕事に出ていって、息子が部屋を出た後に……」
そう言う女性の顔はやつれていた。
わたしは胸がズキズキと痛んだ。自分が楽しいからという理由だけで、人間にいたずらしていた毎日。それが、こんなに人間を追い詰めていたなんて。
衝撃と罪悪感を覚えているところに、リオーナ、と小声でジャックが腕を引っ張る。
「私たちが解決いたしましょう」
「まあ、そちらのお嬢さんも?」
目を丸くする女性に、わたしは愛想笑いを返す。臭いが……。
「彼女はひときわ妖精と通じ合える感性を持っていてね。不幸なことに記憶を失っているようで、私が屋敷にかくまっているのです」
まあ、と気の毒そうにわたしを見た女性を、ジャックが部屋から追い出す。
「あなたがいないほうが妖精も出てきやすいと思います。大丈夫、必ず解決してみます」




