19 わたしだけが感じる音色
目が覚めると、わたしはお決まりのように夜着に着替えさせられた状態で、ベッドの中にいた。
「おはようございます、お嬢様。今日はいい天気ですよ」
メイドがカーテンを開け、朝日がわたしを照らした。
「昨日は……」
口を開いたわたしは頭を抱えた。頭が割れるように痛い。
「お嬢様はワインがお得意ではないようですね」
「……飲むのは初めてだったから」
言い訳がましくそう言い、痛みと不満から唇を横一文字に引き結んだ。
どうやらこの痛みはワインのせいらしい。
ワイン……昨日……、昨晩……。
昨日のことを思い出す。
そうだ、ジャックとお母さまと一緒に広間で夕食をとって、それで……、それで?
答えはメイドが教えてくれた。
「ご主人様が部屋まで送ってくださる前に、寝てしまわれたのですよ」
その言葉を聞いてはっきりと記憶が戻った。やけに頭が重くて、ふわーっとして、ふらふらして、最後にはなんだか眠くなってそのまま寝てしまったのだった。
「ジャック、怒ってないかしら……」
昨日は一日中動き回って、いくら疲れていたとはいえ、とんでもないことをしてしまった。
「いえ、気にしている様子ではございませんでしたよ。ご主人様が、お嬢様を抱いてここまでお連れしてくださったのですよ」
「ジャックが?」
ジャックがわたしを抱いてあの赤いじゅうたんの階段を上るところを想像してみた。
なんだか、物語みたいだわ。美しいドレスを着た姫と、姫を抱く王子様……。
そうなればいいのにな、と思ってわたしはため息をついた。
「お嬢様?」
「なんでもないわ」
ジャックと二人で、このお屋敷で暮らしていけたらなあ。
これから先、人間として誰かの手を借りて生きていかなければいかないというのなら、ジャックを選ぶ。まあ、ジャック以外の人間の男を知らないけど。
ジャックは優しい。想像していた人間像と違って、ジャックは声を荒げないし、いら立つ様子も見せない。見た目も行動も、見ていて醜いなと思うところがないのだ。
それに、この土地の王様だし。
今日のドレスはあずき色だった。色も地味だし、細かい細工も見当たらない。全体的に粗末なドレスだった。
やっぱり、今までのドレス、特に昨日のドレスは特別だったんだわ。
「今日は町に行くそうですから、控えめなものにいたしました」
メイドの言葉に納得する。
そうか、今日は町に出るのね。
そういえば、今日は頭が痛いけれど体はそんなに痛くない。馬に乗ったからまた全身が痛くなって、動けなくなるものと思っていたのに、これなら大丈夫そうだ。
支度を終えると、メイドがジャックを呼びに行った。
町に出るのだ。
わたしが今まで、たくさんいたずらしてきた町。
人間の町を、人間の視点で見るのはこれで初めてだった。
ジャックと町を歩きながらきょろきょろ見回していると、大きいと思っていたものが、人間視点だと案外小さいものだということに気づく。
「君に、私の町を見てもらいたくってね」
「わたしは何も思い出さないわよ」
またそれかと辟易して仏頂面になったわたしに対して、ジャックが微笑んだ。
「思い出すきっかけにならなくても、見てほしいんだよ」
「ふぅん……」
太陽がわたしたちを照らしていて暖かい。
もうすぐ花の季節か。
わたしは空を見上げた。あの森は、もうすぐ花でいっぱいになる。人間の町も、そうなのだろうか……。
季節の変わり目をあらわす風を浴びていると、わたしの耳にかすかだが綺麗な旋律が届いた。
ジャックの腕を引っ張る。
「どうしたんだい?」
「あっちへ行きましょ」
わたしを導いたその音は、なにかの楽器のようだった。
音を頼りに歩いていると、町の中心広場に出てしまった。
君はこの町にずいぶん詳しいようだね、とジャックが冗談めかした。
「いえ、音が聞こえて……」
「音?」
ジャックがいぶかしそうにした。わたしにしか聞こえていないのだろうかと、不安になりながら広場を見回すと、広場の隅にその女を見つけた。
「あれだわ」
わたしが駆け寄ると、ジャックも後ろをついてくる。
広場の端っこの方で、壁にもたれて座っている人間の女。粗末なフードをかぶっているので、顔は見えない。
その手に大事そうに抱えているのは、弦が張られていてそれをはじくたびに音が鳴るので楽器だということは分かるが、見たことがないものだ。
「あれはなんていう楽器かしら?」
「いや、私も知らないな……」
「ジャックにも知らないことなんてあるのね」
よっぽどマイナーな楽器らしい。
女の格好はみすぼらしいものだが、その音色は格段に美しいものだった。女の前で二人の町の人が聞いていた。一見、それ以外にギャラリーはいないように思えるが、広場にいるたくさんの人が、素知らぬ顔をしながらその音色に耳を傾けている。
「綺麗な音だね」
ジャックが珍しそうにしながらうなずいていた。
でも、わたしには分かる。綺麗、上手なんてレベルじゃない。この演奏は、達人のものだ。妖精の高い美意識が告げているのだ。
こんなところで一人で演奏しているところを見ると素人のようだが、その腕ははるかに素人のそれを越えている。
一曲が終わり、ギャラリーの二人が拍手した。一瞬遅れてわたしも手を叩く。そのうち一人が硬貨を女の前に置いて、どこかへ行った。
「あれは何?」
「彼女の演奏に対して、聞かせてくれた代金としてお金を払っているんだよ」
「ジャック、わたしたちもお金をあげましょうよ」
「そんなに気に入ったのかい?」
「ええ」
さすがに人間には、この演奏の良さを正しく理解するのは難しいらしい。都会ならとにかく、自分たちの小さな町に一流の演奏者が来ているとは、しかもこんなみすぼらしい恰好をした人間がそうだとは思わないのだろう。
「彼女のこと、雇わない?」
冗談半分でジャックにささやく。
「え!? 気に入ったって、そんなにかい!?」
「見てれば分かるわ。彼女、いまに才能を認められるわ」
「そ、そうかい……」
もう一曲だけ聞いて、わたしたちはその場を後にした。町は見るところがたくさんあるのだ。
わたしはお金を持っていないので、ジャックにお金を払ってもらうと、女がか細い声で礼を口にした。
ジャックは彼女を雇わなかったけれど、きっといつか、彼女はその腕を認められて、パリとやらの都会に出るに違いない。そしてジャックは、パリで彼女に会って、わたしの今の言葉を思い出すのだ。




